翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

輪になって話そう、翻訳のこと(5)

この時期、こいのぼりや五月人形の話題、子どもの日にこんなイベントやりますという案内があちこちで聞かれます。わたしが小学生だったのはもう半世紀も前のこと。誰かの家に行って「人生ゲーム」その他ボードゲームで盛り上がったこともあったけれど、たいていは外で「だるまさんがころんだ」や「馬跳び」をやったり、公園や学校の遊具で遊んだりしていました。探検と称してちょっとあぶないところに行って、危うく崖から落ちそうになったこともあったりして。

でもいつも友だちと遊んでいるわけではなく、一人で本を読んで過ごすことも多かったな。特に雨の日は、静かに本を読んでいたい方でした。家で買ってもらっていた世界文学全集(名称も出版社も覚えていません)が最初の読書体験でした。『母をたずねて三千里』『小公子』『小公女』『ベニスの商人』『ロビンソン・クルーソー』『若草物語』など、今思えば有名なお話ばかりでした。『小公女』ではセーラの部屋がどんどんきれいに整えられていく場面が大好きでした。『ベニスの商人』では夫を助けるために知恵を働かせるポーシャに憧れました。それから『フランダースの犬』には今時の言葉で言うなら涙腺崩壊。よりによって薄暗い雨の降る日に一人留守番をしているとき。静かな雨音が聞こえる窓辺でネロとパトラッシュの悲しい最期を迎えて、泣けないわけがない。こんなに不幸で幸福な物語はないでしょう。

学校の図書室からもよく本を借りていました。特にシャーロック・ホームズのシリーズは本棚にあるだけ全冊借りて読みました。中でも『まだらの紐』はしましまになった紐が垂れている挿絵が強く印象に残っています。わたしのホームズ好きは、ここから始まりました。

そしてアルセーヌ・ルパンの『奇岩城』。暗号の解読にわくわくして、夢中になって読みました。最後の場面は衝撃的でした。ホームズの銃弾を受けて死んでしまった恋人を抱いて嘆くルパンの姿には、子どもながらも心をうたれました。ルパンは紳士であって悪人ではないと思い、大好きであるはずのホームズが血も涙もない悪人に思えたのでした。

よく考えてみると、ルパンはこの『奇岩城』しか読んでいません。他の作品も読みたいと思いつつ、その機会がないまま現在に至ります。そしてつい先日、最初期の作品の英訳を見つけたのでした。ルパンはアメリカでも人気があったらしいのです。そこで5月6日から始まる文芸翻訳和訳演習講座の課題にして、受講生と一緒に読むことにしました。(The Extraordinary Adventures of Arsène Lupin, Gentleman-Burglar By Maurice Leblanc, Translated from the French By George Morehead)

翻訳の演習で意識してほしいこと

新年度ということもあるので、改めて翻訳の演習で重点をおいていることをお話します。先日4月15日の体験授業でお話したことをまとめました。

文法を意識しよう。

言語構造のまったく異なる英語を理解するためには、やはりルール(=文法)を知らなければなりません。学校で習った文法は読解のための基礎です。基礎に忠実に、正確に原文を読んでください。教壇に立って生徒たちに説明する先生になったつもりで、自ら文法的な説明をすることができれば、きっと誤訳は減ります。

原文の流れ、物語の流れを大事にしよう。

たとえば次の文のtillの訳し方を考えてみましょう(2023年1月期の課題より)。

The youth belabored the old man till he, whimpering, begged him to leave off. Then he let him go.

till以下の節を先に訳すと、「若者は、老人が泣きながら放してくれと乞うまで、しつこく殴り続けた。それから彼は老人を放してやった。」となりますが、何かしっくりきません。若者が老人をなぐり、それに対して老人が泣いて助けてくれと言い、それで若者が老人を放してやった、というのが登場人物たちの動きです。そこでtillを辞書で調べると、「(…して)ついに」の使い方が出てきます。「若者が老人をしつこく殴り続けると、とうとう老人が泣いて助けを乞うた。それで老人を放してやった」この方が物語になりますね(ひどい話に見えますが、老人とは老人の姿をしたばけものです)。登場人物たちの動きは原文の通りに進みます。それを損なわずにどう日本語にするか、文法の助けを借りながら考えます。

読者がストレスなく読める文章になっているか、読みなおしてみよう。

読者の目の前にあるのは訳文だけです。その訳文で物語を楽しむのです。だから、どうしてこういう訳語なの?とか、さっき書いてあったことと矛盾するのだけれど、などと悩ませてはいけません。ストレスなく、スムーズに読める日本語かどうかは、訳した本人にはわかりにくいものですが、それでも訳してから一定時間置いて、第三者の目で読みなおすと、意外に気になるところが見つかるものです。普段何気なく使っている日本語とは違うぎこちなさが見えてくることもあるでしょう。必ず読みなおしてください。

国語辞典や類語辞典など、日本語に関する辞書・辞典を活用しよう。

わたしたちは日本語ネイティブですが、出身地の言葉や仲間内の言葉の影響を受けたり、または勘違いしていたりして、必ずしも「正しい日本語」を話したり書いたりしているわけではありません。自分ではぴったり合う訳語だと思っても、国語辞典で調べると意味がズレていた、ということがあるものです。面倒に思わず、こまめに辞書を頼ってほしいと思います。また日本語の文法についてもたまには確認するといいですね。お勧めは『日本語練習帳』(大野晋著、岩波新書)です。たとえば主格を表す「が」と「は」の微妙な違い、説明できますか? この本をお読みでない方、ぜひお試しください。すごく助かりますよ。

斎藤静代

東京外国語大学英米語学科(当時)卒。産業翻訳や大学受験添削指導を経て出版翻訳へ。出版翻訳歴20余年。訳書は『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)、『ロシアの神話』(丸善ブックス)、『ドラゴン:神話の森の小さな歴史の物語』(創元社)、『ママ・ショップ』(主婦の友社)、『千の顔をもつ英雄』(早川書房)、『バレエの世界へようこそ』『刺繍で楽しむイギリス王立植物園の花たち』(ともに河出書房)など。サン・フレアアカデミー誤訳コラムで「ノンジャンル誤訳研究」を執筆中。

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