翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

ベトナムつれづれ。(4)“Englishes”

ベトナムでは、何か用事があれば、英語がわかる相手にその内容を英語で伝え(ここで話が済めばよいが)、その人にまたベトナム語に訳してもらうのが一番確実でした。私は英語を今まで通りに話せば、そのまま相手に伝わるだろうと考えていました。

港町ハイフォンに来てまだ間もない頃、ホテルに宿泊した時のことでした。外国人(ビジネス目的の訪問者が多い)が宿泊するような大きなホテルでは、ハイフォンでも英語が通じます。私はフロントに英語で電話をかけ、食事のルームサービスを頼もうとしました。
「もしもし、食事のルームサービスをお願いします」
すると、電話に出た女性がすぐに答えました。
「そのサービスはありません」
そんな…。絶句した私に、フロントの女性はさらに続けました。
「足のサービスはありません」

足?どういう意味?そういえば、この近くの歩道は舗装されておらず、デコボコの上を歩くと足が痛い。宿泊客から足のマッサージサービスの問い合わせがあっても不思議ではありません。いやいや、私は「食べ物」を頼んだのです。私はfoodと言い直し、それを聞いた女性はfootと言い、私がまたfoodと言い直す。そんなことが繰り返されるうちに両方の単語が私の頭の中でぐるぐる回り始め、だんだん混乱してきました。
food? foo(t)d? foot?
あれ?女性は最初からfoo(t)d service と言っていたのではないか。それを私が勝手にfootと聞き間違えたのかもしれない。そういえば、ベトナム人の英語は母語の干渉を受け、末尾の子音がはっきりしないといわれています。たしかに女性は「フッ」と笑うように語尾を上げてfoodを発音していました。同じことばを巡って「なぜ通じないんだ?」と何分も押し問答をしていたのです(結局、「まず厨房に電話してください」という趣旨でフロントの女性は“No foo(t)d service here”と言っていた)。


敷地内のバナナの木

私の住まいはサービスアパートメントと呼ばれるところでした。住人のほとんどが日本人を含む外国人だったため、そこのフロントの人たちは英語を流暢に話しました。困った時はフロントの人たちにヘルプを求めればよい。いつしか私の頭にはそう刷り込まれ、彼らを一番頼りにしていたのでした。
ある朝、私は備え付けの電子レンジで冷凍のパンを解凍しようとしていました。ところが、ボタンを押して数秒後にはパンが火花を散らし、瞬く間に黒い煙が立ち上がり、部屋の煙感知器が作動して止められなくなりました。電話の受話器を握りしめながら、私はフロントの人にそう英語で説明したのでした。後から「それは聞いてません」と言われないように、なるべく多くの情報を一つの文に盛り込もうとしたのです。電話に出た女性(Mさん)は、フムフムと聞いてくれた後、優しい口調で “I see”と言いました。でも、それっきりMさんは無言のまま。私が電話を切るのを待っているかのようです。煙はどんどん広がり、別の感知器もピカピカし始めました。このままではマズイ。私は慌ててsmoke、alarm、engineer(設備のトラブルはすべてエンジニアと呼ばれる人が担当だった)の3つの単語を使って、「煙、警報、誰か来て」という単純なストーリーにして伝え直しました。短い文をただつなげるだけ。きっと英作文の添削を受けたら「もう少し工夫しましょう」とコメントが入るはずです。でも、相手にすぐアクションを起こしてもらいたい。長い文も凝った表現もいらない。早く何とかしてほしい。電話越しにMさんの笑顔が消えたのがわかりました。それから、Mさんは張り詰めた声で「エンジニアが今すぐ行きます!」と言って電話を切ったのでした。

小学生の頃、私はアメリカに住んでいました。当時「英語」といえばアメリカ英語しかないのは当たり前で、思えば、その頃から自然と「英語」にアメリカ英語らしさを求めるようになっていました。そのことに気づいたのは、ベトナムに住んでからです。
英語は今や母語話者(ネイティブスピーカー)よりも非母語話者の割合の方が多いといわれています。国や地域によって英語のバリエーションが増えたというだけで、それらの英語間に優劣があるわけではない(Englishが複数形になっているWorld Englishesという概念が専門家により提唱されている)。にもかかわらず、私はアメリカ英語(実はアメリカ英語も一様ではない)を模範とし、知らないうちに英語に序列をつけていました。相手の英語を自分の「英語」の基準で判断し、自分が正しいと考える「英語」を相手に押しつけていたのです。そのとき私が関心を払っていたのはお互いにとって何が最適かではなく、自分にとって「正しい」かどうかだけ。それで意図せぬ方向に会話が進んでしまったとしても仕方ありません。
翻訳も相手が存在するコミュニケーションの一つです。目の前の人と会話していなくても、自分の「正しさ」だけを基準にしていると相手(文章)を理解できなくなり、相手(読み手)に伝わらなくなるのは会話の場合と同じかもしれません。しかも翻訳は相手の顔が見えないだけに、そんな悪循環に陥っていることに自分では気がつきにくい。大事なことはその時ではなく後になって気がつくのですよね。

福田 理央子

慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。

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