翻訳ひといきコラム

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翻訳学習

『屋根の上のソフィー』が描く希望

キャサリン・ランデル 著、佐藤 志敦訳、岩波書店

原書との出会い

『屋根の上のソフィー』の原作“Rooftoppers”とは、ロンドンの老舗書店ハッチャーズで出会いました。翻訳を学びはじめて数年が経ち、素敵な原書との出会いを夢みていたころのことです。

児童書フロアの書店員さんに、カタコト英語で本選びのお手伝いをお願いすると、真っ先にすすめてくれたのがこの作品。「ぼくも大好きなんです」という言葉にさそわれ、ホテルにもどってさっそく読みはじめると、文字どおりページをめくる手が止まりません。パリの夜、屋根の上を駆けぬけるパワフルでキュートな子どもたちに、ぐいぐい引っぱられるように一気に読了しました。

裏表紙の紹介文で、お母さんさがしの物語だとわかるのですが、読み進めるほどに、残りのページ数でほんとにお母さんに会えるの? とハラハラもしましたし、小さな言葉遊びや伏線回収がちりばめられていて、本を閉じたときには、なんて洒落たお話なんだとため息がでたほどです。帰国後しばらくして、邦訳出版の予定があるようだという嬉しい噂も聞こえてきました。

忘れっぽいのが幸いして

ところが、待てど暮らせど邦訳がでたようすがありません。わたしがうっかり見すごしているのかもしれない……。そこで、一冊目の訳書『地図と星座の少女』でお世話になっていた編集者さんに状況をうかがってみたのです。原書と出会って5、6年も経っていたでしょうか。これが、運命の分かれ道でした。

自分では、そのとき初めておたずねしたと思っていたのに、編集者さんのお答えはなんと、「その作品、前にもご紹介くださいましたよね。じゃあ、ちょっと調べてみますね」。自分の記憶力のなさに耳が熱くなりましたが、しばらくして、版権がとれるかもしれないという連絡をいただいたのです。忘れっぽいのが幸いして、しつこくお聞きしたのがチャンスにつながるなんて、年をとるのもそう悪くないかもしれません。

ちょっとだけあらすじを

冒頭は大型客船沈没の場面。チェロのケースに乗ってイギリス海峡を漂っていた赤ん坊は、同じ船の乗客で学者のチャールズに救われ、ソフィーと名づけられてロンドンで成長します。チャールズとの暮らしはちょっと風変わりですが、二人は幸せに暮らしていました。でも、ひとつだけ、意見があわないことがあります。

ソフィーは、海に浮かぶ板にしがみつき、必死に助けを呼ぶお母さんの姿を覚えています。チャールズは、生きている可能性はほとんどないと言いますが、でもそれは、わずかでも希望があるということ。いつかきっとお母さんに会える、ソフィーはそう信じていました。

ソフィーの12歳の誕生日を前に、二人のもとに児童養護施設への入所通知が届きます。悲しみと怒りにまかせてチェロのケースを壊すソフィー。すると、ベーズの下から、製造元の住所を刻んだプレートが出てきたではありませんか。そこに母の手がかりがあると考えた二人は、パリを目指します。

ほら、続きが気になってきたでしょう?

「希望」あふれる作品たち

キャサリン・ランデルさんの児童書は、『屋根の上のソフィー』のほかにも、『オオカミを森へ』(原田勝さん訳、小峰書店)や『探検家』(越智典子さん訳、ゴブリン書房)が刊行されていて、どの作品も主役の子どもたちがパワーにあふれ、読んでいるこちらまで元気になります。物語に描かれた子どもたちの信念や、その心に燃える希望の光は、大人が想像もできない冒険に読者をつれだしてくれるのです。

いえ、それだけではありません。ランデルさんの作品は、大人向けのエッセイであっても、いつも真ん中で「希望」が輝いています。それも、どこか遠くでキラキラしている、夢にみるような対象ではありません。知恵と力を尽くしてつかみとる希望、痛みも苦しみも引き受けて手に入れるべき希望、そして、まわりの人や世界に広げていくべき希望なのです。

ソフィーの物語では、それがオリジナリティーあふれるプロットにのり、読者の胸の深いところに届きます。日々の暮らしのなかでは、大きな壁にぶつかることがありますが、この作品は、どんなときも、心に灯った希望の光を消してはいけないと教えてくれるのです。いくつもの文学賞を受賞し、20以上の言語に訳され、各国で高く評価されている理由が、ここにあるのだと思います。

本探しは楽しい

さて、冒頭でご紹介したハッチャーズは、一冊目の訳書でもご縁のあった書店です。『迷い沼の娘たち』(中野怜奈さん訳、静山社)のルーシー・ストレンジさんを知ったのも、これから邦訳が出そうなC. C. Harringtonさんの作品をすすめられたのも、ここ。文学賞候補になるような作品は、紙の本が書店にならぶころには邦訳が決まっていることもあるようですが、書店員さんと話しながら好みの本を探す時間は、至福のひとときです。

それはきっと、日本語の本を選ぶときも一緒。顔見知りの書店員さんと挨拶をかわしたり、本のありかを教えていただいたり……本をあいだに小さな思いが伝わるとき、手にした本が、いつもより輝いているような気がします。だから、本も本屋もきっとなくならない。そういう「希望」を胸に、これからも素敵な作品を訳して、読者の方に本を探す楽しみを届けていけたらと思います。

佐藤 志敦さん
翻訳家。北海道釧路市生まれ。大学で植物病理学を学び、博物館の館長職などを経て翻訳家に転身。児童書、YA作品を手がける。佐藤志敦@推し活翻訳家|note

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