翻訳学習
2022.10.18
『フローチャートでわかる英語の冠詞』執筆つれづれ話
『フローチャートでわかる英語の冠詞』は、10月25日に研究社から出版されます。最大の特徴は、英語の言語世界における「ものの見方」に基づくシンプルなフローチャート。英語が達者な方でも、aとtheの使い分けに迷うという話をよく聞きます。本書では「分けることは分かること」をモットーに掲げ、フローチャートをたどって正しい冠詞を選べるようにします。興味があったら是非手に取ってみてください。
さて宣伝はさておいて、当コラムでは本書執筆の際に心がけたことをお話したいと思います。一つは「できるだけ面白い例文を考える」ことです。というのも英語の参考書に載っている例文は、えてして無味乾燥なものが多く(ポイント解説のためにはやむを得ないですが)、通常はほとんど記憶に残りません。でも印象に残る楽しい例文なら、覚えやすくて学習効果も高まるはず。「面白い」はさまざまに定義できると思いますが、「へえ~」と感じる意外性は大事な要素です。時代に沿ったライブ感を出すために、たとえば固有名詞を含む英文ではありきたりの名前は減らすようにしました。代わりに、漫画キャラのバッドマンや歌手のレディーガガ、野球のイチローと大谷翔平、そしてエリザベス女王まで多岐にわたる人物を登場させました。
身近な話題で冠詞の使用例を見つけるため、執筆中は、原書を読むときも外国映画を見るときも、常にaやtheにアンテナを張っていました。「こんなふうに使うのか!」という例に遭遇すると急いでメモしました。
せっかくなので、そんな冠詞メモから例を二つ挙げます。本には載せなかった例です。
一つ目は、『グッド・シェパード』(原題The Good Shepherd)というロバート・デ・ニーロ監督による2006年の映画です。アメリカ中央情報局(CIA)に属するある諜報員の半生を描いた映画で、次の会話がありました。
B: “Because you don’t put ‘the‘ in front of God.”
Aが政治家で、BのCIAエージェントに「なぜあなたはtheを付けないで(自分の組織を)単にCIAと呼ぶのか」と聞いています。ここでの冠詞の使い方にポイントが二つあります。まずa ‘the’は、あまり見かけない組み合わせですね。なぜaが付いているかというと、theを単なる1個の単語として捉えているからです。英単語は可算名詞なので、ここでaは「ある一つ (one of many)」を表しています。
次のポイントはthe CIA。これはthe Central Intelligence Agencyの略語で、単語のイニシャルをそのまま「シーアイエー」とアルファベット読みしています。このようなinitialism(イニシャリズム)の略語にはtheが必要です。さて、通常は付けるtheをなぜ省略するのか、という質問に対するエージェントの答えは、「Godにはtheを付けないだろう」というもの。強大な権力をバックにした驕りを見事に表現しています。さてBの返答では、なぜか ‘the’にaが付いていません。Aで付いていたaは「あってもなくてもよいaなの?」という疑問が沸きます。冠詞の使い方に揺れがあるケースといえるでしょう。英語ノンネイティブの私たちにとって、このような「揺れ」や「例外」はやっかいです。
急いでメモした二つ目の例は、2022年に日本で放映されたドラマ・シリーズMagpie Murders(『カササギ殺人事件』)の字幕です。ドラマの元になったのは同名の推理小説で、数々のミステリ関連の賞を受賞しています。作中登場する作家が『Magpie Murders』という小説を書くという入れ子構成の話です。ドラマでは、この劇中作家の作品Magpie Murdersに定冠詞theをつけるか否かが話題になりました。犯人解明の手がかりが次の2つの題名。
The Magpie Murders
あなたが字幕翻訳者ならtheの有無をどう訳し分けますか?
どちらか一つの題名だけなら、邦題は軽く『カササギ殺人事件』で構いません。しかし二タイトルが対比して登場する場合、日本語で訳し分けないわけにはいきません。
ドラマのなかで、このtheの有無を字幕翻訳者の方が次のように訳し分けていました。
The Magpie Murders 謎のカササギ殺人事件
「なるほど、うまいな」と思いました。このtheは「あなたもご存じの」から発展して「かの有名な」「特別な」のニュアンスを表す使い方です。つまり「あなたもご存じの(未解決の)事件」という意味を「謎の」で訳出しているのです。
今でもぼんやり英語ドラマなどをみているとき、aとtheの使い分けで意味が変化するシーンがでてくると、思わず反応してしまいます。メモしなきゃ!私たちの身の回りにはたくさんの教材があふれています。
遠田和子
青山学院大学文学部英米文学科卒業。在学中にパシフィック大学(米国)に一年留学。 大学卒業後、大手電機会社に勤務。 数年後、年齢・性別による差別がなく実力次第で生涯キャリアを積める翻訳者になろうと独立。フリーランスとして長年にわたり日英翻訳に取り組む。分野は技術から出版翻訳まで多岐にわたる。 翻訳の傍ら、翻訳学校講師・英語プレゼン講師を務め、英語学習本・記事の執筆に取り組む。 著書: 『英語「なるほど!」ライティング』、『eリーディング英語学習法』、 『あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話』(岩渕デボラと共著、全て講談社)、『Google英文ライティング』(講談社)、『究極の英語ライティング』、『英語でロジカル・シンキング』(研究社)、『フローチャートでわかる英語の冠詞』(研究社)、『英語冠詞ドリル』(研究社) 訳書: 星野富弘著『愛、深き淵より』の英語版Love from the Depths─The Story of Tomihiro Hoshino、 斉藤洋著『ルドルフとイッパイアッテナ』の英語版Rudolf and Ippai Attena (講談社)、岡本亮輔著『聖地巡礼—世界遺産からアニメの舞台まで』の英語版Pilgrimages in the Secular Age: From El Camino to Anime (Japan Library)、高木凛著『大琉球料理帖』の英語版Traditional Cuisine of the Ryukyu Islands: A History of Health and Healing (Japan Library)