翻訳学習
2024.12.25
ベトナムつれづれ。(11)ヌクマムの励まし
久しぶりに物置を整理していると、ベトナムから持ち帰ったヌクマム(ベトナムの魚醤。ニョクマム、ヌックマムとも呼ばれる。)の瓶が目に入り、時の経過を思い知らされます。時が過ぎただけで、私は何の進歩もしていないのでは、と不安になります。発酵してうまみが増すヌクマムのように、私も長い時間をかけて自分自身を発酵させている。そう言い訳をしたら、笑われるでしょうか。
スーパーの棚に並ぶヌクマム
ベトナムに住んでから、台所にヌクマムを欠かさぬようになりました。ヌクマムを必要とする感覚が私に芽生えた日、港町ハイフォンの蒸し暑さに倒れそうになった、その夏の日のことはよく覚えています。
市場から家に帰る途中、私は太陽の光に負けてゆらゆら蒸発してしまいそうでした。汗が目に入って視界がぼやけ、風景が歪み、でも、路上にあるフォー(米粉からできた平打ちの麺に、鶏肉や牛肉からダシを取ったスープを合わせる麺料理)の屋台の、銀色の寸同鍋だけがくっきりと光って見えました。
ぐつぐつと白い湯気が立ちのぼり、熱と匂いが押し寄せてきました。
フォー
その時、私は日本の蕎麦屋やうどん屋を思い出していました。醤油やら削り節やら、いろいろが混ざった、あのダシ汁の匂い。店からぷぅんと空気が押し出されると、やや臭いような、いや、香ばしいような、鼻をくんくんさせて確かめているうちに引き寄せられる匂い。
湯気の合間に微かに漂う魚のダシの匂いは、ヌクマムの匂いでした。ヌクマムの匂いは、市場の買い物客を、路上の青いイスにふらっと腰掛けるように誘う。
あれを口に入れたら、生き返る。
そんな声が身体の中から聞こえたような気がしました。その瞬間、ヌクマムの香るスープに頭を突っ込みそうな勢いでフォーをすすっているベトナムのおじさんたちを、私は羨ましく思いました。私も今すぐありつきたいのに、おじさんたちの輪の中に入る勇気はなかったのです。
ヌクマムの瓶
左:ハイフォン産 右:フーコック島産
家に帰った後、台所に置きっぱなしにしていた(誰にもらったのか、それすらも忘れた)ヌクマムの瓶が目に留まりました。指に一滴を垂らし、舐めてみる。瓶の縁に固まっていたヌクマムの塊も舌に落ち、シャリッという音が聞こえました。海水のような塩辛さと磯の香りが全身を駆け巡り、暑さで弱った私の身体が蘇っていきました。あと、もう一滴。ヌクマムの余韻を鼻に感じながら、私は唾をごくりと呑み込みました。
それから、ヌクマムを料理の隠し味として使うようになりました。ヌクマムを入れると、ぼやけた味の輪郭がはっきりする。何よりも、その適度な塩気とコクが、湿気で弱った身体によく効くのです。一滴、一滴とヌクマムはどんどん減っていきました。
カットハイの代理店
「今度宅配を頼むときに、あなたのヌクマムも頼んであげようか」
とハイフォンで生まれ育ったベトナム人の友人が言いました。
知らなかった。市場に行く途中の路地裏に、ヌクマムの配達所があるとは。それも、港町ハイフォン発祥のヌクマム・ブランド、「カットハイ」(Cát Hải)の。
考えてみれば、港町ハイフォンは魚介類が豊富で美味しい街です。そのハイフォンが、イワシの一種の海水魚(カタクチイワシ)を原料とする良質なヌクマムの産地であるとしても不思議ではありません。世界的にはフーコック島のヌクマムの方が有名なのはとても残念だけれども。
「すぐなくなるし、重いでしょ。だから定期的にカットハイの瓶を配達してもらってるの」と友人が当然のように言いました。
いつも通り過ぎていた民家が、カットハイの代理店兼配達所でした。薄暗い部屋におばさんが座っているだけだと思っていたのに、よく見ると、棚の上にはカットハイのヌクマムの瓶がずらりと並んでいた。路地裏の配達所から、ヌクマムの瓶がバイクに乗せられて近隣の家庭に宅配されるのを想像してみる。米でも牛乳でもなく、ヌクマムの瓶、それもハイフォンの「カットハイ」のヌクマムの瓶が音を立てて玄関にやってくる。
「ヌクマムのどのブランドが好き?」と周囲のベトナム人に聞くと、必ず「カットハイ」が答えの中に入っていました。カットハイなくしてヌクマムを語るなかれ、といわんばかりに。
生春巻きとヌクマム入りのつけダレ
ヌクマムや醤油や味噌は、長い時間をかけて、その土地の水や空気や温度をまるごと取り込んで発酵したものです。それが、汁物やつけダレなどの普段の食事を通じて自分の身体の中に入り、また長い時間をかけて自分に馴染んでいく。最初は魚や大豆といった原材料に過ぎなかったものが、素材と時間と環境とが組み合わさり、いつしか、食卓から消えると恋しくなる特別な味に変わっています。
今できることを精一杯やっていれば、何かと何かが掛け合わさり、別のうまみが醸成されていくのかもしれません。思うように物事が進まなかったとしても、発酵食品のヌクマムや醤油や味噌のように、ゆっくりと私自身が熟成されていく。少なくとも、そう信じて自分を奮い立たせることくらいは、許されるはずです。
だから、私はヌクマムの瓶を目にするたびに励まされるのです。
振り返れば、無為に過ごしたと思っていたベトナムでの日々は、ここに綴れるほど発見に満ちていたから。
記憶という時間の産物からも勇気をもらい、私はまた立ち上がり、自分自身が熟成されていくことを信じて頑張ろう。
別の国にいても、別の場所にいても、きっと大丈夫。そう信じて前を向こう。
福田 理央子
慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。英検1級。