翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

輪になって話そう、翻訳のこと(11)

残暑お見舞い申し上げます。台風や地震、そして猛暑。気の休まらない夏がまだ続きますね。そういえば、この暑さを表わす言葉として、激暑、炎暑、極暑というのもあるそうです。字を見るだけで暑っ苦しい。(「毎日ことば」より)

さて暑い時には部屋を涼しくして読書三昧といきたいところ。そして翻訳者であるならば、じっくり原書を選んで読んでレジュメを書いて、そうして次の訳書を生み出したい。今まで書いたレジュメのデータを確認したら、翻訳者を名乗ってからの20数年で60本~70本でした。自ら原書を選んで書いたものもあれば、リーディングを依頼されて書いたものもあります。

リーディングを依頼されればそれが必ず本になる、とは限りません。リーディングから出版につながったのは1冊のみ(児童書『ママ・ショップ』)。あとはリーディングだけで終わりました。その中の一件は衝撃的な依頼で、12月半ば過ぎに依頼されて納期が正月明けの1月5日という過酷なもの。年末年始の主婦、という立場もありましたから、そのあたり、どうぞお察しください。歴史関連の本で興味があったし、大事な依頼主だったので、意地でやりきりました。あの頃は体力も気力も十分ありました。

依頼されたリーディングの中には、自らは絶対選ばないであろう自己啓発本もあります。たとえばこんな本。The 12 Secrets of Highly Creative Women — a portable mentor (Gail McMeekin著、Conari Press、初版2000年)。レジュメ作成は2010年。世の中の優秀な女性の生き方や考え方を参考にして豊かな人生を歩もう、というものです。所感としてこんなことを書きました:

…この本は20代30代40代の若い人たちの役に立つと思います。以前に比べればずっとましになってきましたが、まだまだ男中心の社会、特に結婚してからの女性には、いくつもの枷がかけられます。そんな中で、彼女らが元気よく…自己表現できるようになれば、次の世代の健全な育成にも役立つはずです。
正直言って50歳を過ぎた私には、今更そう言われてもどうしようもない、そういうことはとっくに試したわよ、と思うことが書かれています。かさぶたができた傷口をひっかかれるような、ヒリヒリする思いもありました。もっと早くにこの本に出会っていれば、素直に読めたかもしれません。…

自分には役に立つ本だとは思えないけれど、若い人には参考になるかも、という気持ちでレジュメを作成しました。そしてボツ。所感が正直すぎたのか、依頼者が期待していたような本ではなかったのか。難しいものです。

所感の書き方を比べるなら、自ら興味を持って選んだ原書のレジュメの方が勢いがあります。たとえばドイツとソヴィエトの理不尽な政治的思惑によって祖国ポーランドから脱出せざるを得なかった少女の話、KRYSIA—A Polish Girl’s Stolen Childhood During World War II— A Memoir(Krystyna Mihulka著、Chicago Review Pr 、初版2017)。レジュメ作成は2019年。所感として次のように書きました。

生まれた国で、学校へ行き、友だちと遊び、のびのびと自由に生活できるはずの子どもが、息を殺して大人の会話に耳をそばだて、よく理解できないままいやなことも苦しいことも我慢する。子どもが見たまま聞いたまま感じたままを語るので、教科書に載る政治や歴史のような他所事にはならない。不便な生活の中でも遊びを見つけ、友だちを見つけるたくましさに共感することもあるだろうし、驚き、怖がり、不安を抱える様子を、自分のこととして感じることもできるだろう。…戦争になれば、洋の東西を問わず、また支配する側支配される側どちらも、一般民衆は明日がどうなるかわからない不安の中で生きていかざるを得ないという事実を、子どもたちにぜひ知ってもらいたい。そして母親たちが体を張り、工夫をして、子どもたちの命と生活を守ろうとする姿も感じてほしい。

結局ボツになったのですが、検討してくださった編集者からは、「なぜ今出版すべきか、質の高さだけでない要素」が必要だというアドバイスをもらいました。ロシアとウクライナの間で戦争が起き、ガザで無垢の子どもたちが倒れていく悲劇が起きている今なら、編集者の心に響いたかもしれません。タイミングも大事です。

ここ5、6年は、YAを選んで読んでいます。サン・フレアアカデミーのオンライン科講座「文芸翻訳和訳演習」の8月期(9月7日開講)で読む課題もその中のひとつ。

https://twitter.com/sunflareacademy/status/1815220227199627656

若い子たちの言葉遣いや、スマホやパソコンで使う用語など新しい表現に戸惑いながらも、リアルな学校生活・日常生活の描写から目が離せません。周囲の大人の反応にも考えさせられるものがあります。またファンタジックな作品もお勧め。Page turnerです。就寝前の読書の時間がどんどん長くなるのがつらいところ。

出版翻訳の実務という意味ではリーディングおよびレジュメ書きは避けられません。ぜひたくさん原書を読み、それをレジュメにまとめてみてください。以下のサイトを参考にするといいでしょう。

https://haradamasaru.hatenablog.com/entry/2023/02/09/222632

またレジュメを書くための勉強会が開かれることもあります。「翻訳者のためのおしゃべりサロン」でも勉強会を開いたり相談にのってくれたりします。一度のぞいてみてはいかが?

https://twitter.com/Oshaberi_Salon

https://www.facebook.com/oshaberinokai/?locale=ja_JP

斎藤静代

東京外国語大学英米語学科(当時)卒。産業翻訳や大学受験添削指導を経て出版翻訳へ。出版翻訳歴20余年。訳書は『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)、『ロシアの神話』(丸善ブックス)、『ドラゴン:神話の森の小さな歴史の物語』(創元社)、『ママ・ショップ』(主婦の友社)、『千の顔をもつ英雄』(早川書房)、『バレエの世界へようこそ』『刺繍で楽しむイギリス王立植物園の花たち』(ともに河出書房)など。サン・フレアアカデミー誤訳コラムで「ノンジャンル誤訳研究」を執筆中。

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