翻訳ひといきコラム

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海外だより

緑の手

放っておいても咲く。この鉢も15歳くらいかもしれない。もこもこの根っこがかわいい。花後に細長い茶紫の実がなり、それがはじけると中からたくさんの種が飛び出す。

2022年6月21日夏至の日の朝、とうとうそれは咲いた。

「それ」とは、私がセネガル時代に名付けた《バオバブ盆栽》正式名を《タンバクンダのバオバブ》という。

タンバクンダという、セネガルの東の端の地方に多い植物である。もっとも、もしかしたら、これも俗称かもしない。何しろ、庭師は、いろいろな事を教えてはくれたが、「学術的なこと」となると、少し怪しい部分もあったから。

いや、植物名などどうでもいい。

とにかく、私は、この子たち(セネガルから種をたくさん持ち帰った)が無事に成長し、しっかり日本で生きていくことを夢見ながら、毎年毎年種をまいているのだ。

田舎で購入し、ダカールの公邸で育てていた鉢 左は御年10歳くらいらしい。
一番右はおまけにもらった生後1か月??

今年1月末のまだ寒かった頃、我が家のバオバブ盆栽たちの最年長であるこの子は、ぐぐっと伸びた枝先に、通常の緑の葉っぱがお目見えする時とは少し違う、やや丸みをおびた3ミリほどの緑色の塊をつけた。

? なんか変。

私は思わず天眼鏡を取りに走った。

期待に胸が高鳴る、、、、(は少しオーバーだけど)。

拡大されたその姿は、確かにいつもの葉っぱより太っていて、それを見て、私は一人得心した。

蕾だわ!

セネガルから帰国して5年近くになって、ようやくの花の訪れである。

私はもう一度バオバブ盆栽を眺め、「いい子ねぇ。よく頑張ったわね」と声をかけた。

左:2月1日 バオバブ盆栽の蕾 右:2月17日 先端が薄っすら赤く

それからというもの、私は、東の窓辺に置いてある直系15センチほどの白い鉢を毎朝眺め、晴れた日のお昼には南側へと移動させた。できるだけお日様を浴びてほしいとの思いである。

蕾は日に日にふくらみ、7ミリ位の大きさになり、うっすらと花の彩を見せる(ような気がした)頃はあの角度このアングル、と、写真をとりまくった。

日中、季節外れの好天に気温が上がった時などは、南のベランダに出して“外気浴”させたりもした。まるで新生児の子育てのように!

それから、また10日ほどたっただろうか。

大きな期待を持って毎日眺めていた蕾たち(3個くらいに増えていた)の、先端の赤がやけに黒っぽく見える日があるかと思ったら翌日には緑色にも生気が失われ、そしてあえなくポロリと落ちた。

ショックだった。がっかりするというのはこういうことか、と思うほどに落ち込んだ。カレンダーは2月も終わりに近づいていた。

そして、あろうことか、3月の終わりにもまた同じように、「ぷっくら」があり、「ほんのり赤く」があり、そして「ぽろり」となったのだ。

立て続けに期待を裏切る蕾たちを見ていたら、「花をつけるには2年かかりますよ」と庭師が言っていたのを思い出した。「日本だもの3倍は時間がかかるのよ」と、自分を慰め、気を取り直すしかなかった。

左:5月23日 三度目の正直 昼間はお日様をたっぷりと
右:6月12日 蕾が細長くなった(心配で夜は家にいれていた)

左:6月19日 蕾全体がほんのり赤く 右:6月20日 花びらがほぐれ始める

「三度目の正直」ということわざがあるが、5月20日頃、枝の先端の緑の葉の間にまた蕾たちを見つけた時は、できるだけ淡々とした態度をとることにした。――いったい誰に対して!!??

それでも、外に出すべきか、もう少し蕾がしっかりするまでは室内に置いておこうか、、、などと温度計を見ながらの日々だっただけに、6月になって、外気温も相当上がり、蕾が今までになく成長して2センチくらいになった時には、本当に嬉しかった。もうこれで大丈夫、絶対に咲く、という自信も芽生えた。

それからもバオバブ盆栽の蕾はゆっくりとゆっくりと成長。6月半ば過ぎに4センチくらいになってからは毎朝写真を撮った。そして夏至の日の“開花宣言”である。

どれほど嬉しかったか、、、それは、今こうやって長々と文章を書いているくらい!

植物にあまり興味のない方々には、呆れられてしまうほどの「親ばか的嬉しさ」ではありますが。

私は親しい友人に写真をほこらしげに見せた。フランスの友人が「素晴らしい! あなたは緑の手の持ち主ね!」(“緑の手”とは、フランス語で植物を上手に育てる人のことである)と大いに褒めてくれた。

6月21日:開花宣言

セネガル時代に私が庭の植物に並々ならぬ関心を寄せたのは、「とりあえず自由に外に出かけることが難しく、公邸内に留まっていることが多い」という日常生活のなせる業ではあったが、その時に採取した種を持ち帰って、東京でもそれを育てるまでになるとは、当初は考えてもいなかった。ダカールの3年半が、すっかり、私に植物への愛着を植え付けてしまったようだ。

種を蒔き、水をやり、成長を見守り、、、それはまた、多くの植物を季語に持つ俳句の世界とも微妙に呼応し合って、私の日常生活に潤いを与えてくれる作業でもある。

日本原産のものではない花を俳句に詠むのは簡単ではないけれど、あら!と思うような南の花たちも今ではしっかり歳時記に納められている。そんな季語を見つけた時には、西アフリカの景色を目にうかべ、「この句の情景を知っているのは私だけかもしれないけれど、誰か想像してくれるかしら?」などと思いながら、句を詠んでいる。

大西洋の島国カーボベルデ
ハイビスカスショートパンツの似合ふ島 ちづこ


金の綿毛をつけた種

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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