翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

サハラ砂漠からの砂嵐 視界ゼロ、、、とは言わないが

年々桜の開花が早まっているようだが、ことに東京は今年は春が早い!との思いを強くもった。3月中に散ってしまったから教科書にあるような「桜の花の下での入学式」という光景は全く見られなかった。
そしてまた今春の気象ニュースで特に強調されていたのが黄砂である。花粉の飛ぶ季節とも重なり、我が家では立春のころから2か月余り、洗濯物を外の物干しに広げることはないが、天気予報でも「洗濯物を戸外に干すと黄砂で汚れることもありますのでご注意ください」と繰り返していた。
確かに、裏庭に置きっぱなしの車のフロントガラスは、目に見えるほどのつぶつぶで覆われ、うっすらと黄色味を帯びているようでもあった。

今年3月、東京の桜とベランダ鉢植えのルピナス

去年はこれほど騒がれただろうか?
そして、その前、コロナ禍の3年間もまた「黄砂」という言葉はほとんど耳にしなかったような気がする。何しろあの頃は、世の中の関心は、何といっても「新型コロナウィルス」で、その得体の知れないものに私たちは振り回されていたようだ。天候の如何など、さほど大きな問題ではなかったのかもしれない。

春先の鈍い日差しの中、なんとなくベールがかかったような空を見上げながら、私は久々にセネガルの空を思い出していた。

ダカールの嬉しい青空

「アフリカの空」というだけで、なんだかすっきりとした青空を想像する方々も多いだろうが、実はセネガルはそうではない。(蛇足ながら、私の頭の中では一番ぴったりくる青空の形容は「イタリアのような青空」である)
だから、ダカールに住み始めて、晴れてはいるもののうすぼんやりした空を知った時、少しがっかりしたのも事実だ。そして、それが、サハラ砂漠の南に位置するセネガルという国の“宿命”でもあり、時期によっては砂嵐という怖い現象ともなることに緊張かつ興味を覚えた。

俳句の季語でもある「霾」は、もちろん黄砂、つまり中国大陸から飛んでくるものなのだが、セネガルの“つちふる”は、もっともっとすごいもので、いつの間にか、砂といえば、私にはゴビ砂漠ではなくて、それはもうサハラ砂漠でしかなくなってしまっていた。(参照:セネガル便り「第4回 ⾵と共に来り」)

すっきりとしない空の日も多かった。プールの水は真っ青なのに

砂まみれのマンゴーの葉 雨季が待ち遠しい

つちふるや砂漠の民のゴム草履  ちづこ

セネガルの人々の一番ポピュラーな履物はゴム草履である。
高校生、大学生――この“学生”という身分の、人口に占める割合はとても低い――、そして一部のエリート層は「靴」を履くという習慣があるが、一般の人々の足元はおおむねゴム草履である。そこに男女の別はない。(幼児に至っては、ほとんどが裸足、と言っても過言ではない)
民族衣装的には、革製のスリッパのような形の“靴”があり、もしかしたら「第一正装」としては、これかもしれないのだが、それよりゴム草履のほうがずっと機能的、丈夫なのだろう。何しろ、砂っぽい土地である。革靴はすぐに真っ白だ。一方、雨季になれば、とんでもない雨が降り、そこらじゅうが泥と化す。素敵な革製など履く由もない。

ダカール近郊の青空市場の靴屋さん

そういえば、公邸のスタッフの面々もそうだった。
年配の、いつもオバサンジョという民族服で出勤する人も、Gパンポロシャツというシティボーイも、あでやかな飾りターバンを巻いて登場する女性スタッフも、皆、ゴム草履愛用者たちであった。
唯一、いつもアイロンのかかったワイシャツとビジネスパンツを着てやってくるO君だけが、長年使っていると思われる少しくたびれた、先の尖った黒い革靴を履いていることもあったが、それは、彼が(彼だけが)運転免許を持っており、時折、私やシェフの買い出しの運転手をしなければならないからだった。そんな彼とて、出勤して公邸の「普段の制服」に着替えると足元はゴム草履だった。

彼らのことを見ていたら、「通勤用」「公邸の普段の勤務用――ちなみに、正式の賓客などの時は、「制服」もタキシード風になり、当然黒い革靴を履いてもらうのだが――」など、いくつかを使い分けているようで、女性スタッフは、通勤用も、その日のドレスによって鼻緒の色を変えているようでもあった。 おしゃれ!

彼らは、公邸の二階(ほとんどが、私たちのプライベートスペースになっている)に上がる裏階段の下で、ゴム草履を脱ぎ棄てる。
二階ならずとも、一階のサロンなどの掃除をしている時にもふと見えると裸足。決して絨毯の上をゴム草履で歩くことはなかった。
ベランダでの水仕事はもちろんだけれど、庭先でちょっと力仕事をしたりする時にも、裸足になってがっちりと地面をとらえているようで、そういった着脱の激しい生活習慣にも、このゴム草履はとても便利な優れもののようである。

地方の村 海岸から遠く離れていても、ほとんど、砂。

子供たちはもちろん、マンゴーの木の下で「会議」の大人たちもゴム草履

東京の黄砂は、その後、予報に「脅かされた」割には、まぁ大したこともなく終わり、私は少し暖かくなったベランダで、植物の植え替えをしたり、今年はいち早く開花しているバオバブ盆栽に眼を細めたりしているが、ゴム草履を履くにはまだ寒すぎる。愛用の黒いゴム草履は埃まみれでそのまま置いてある。

今年は、バオバブ盆栽が4月10日に開花!
夏の間にこれからいくつ咲くだろうか?
(去年は6月の夏至の日だったが)

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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