翻訳学習
2024.05.22
輪になって話そう、翻訳のこと(10)
日本翻訳大賞ってご存じでしょうか。「12月1日~翌年の12月末までの13ヶ月間に発表された翻訳作品中、最も賞讃したいものに贈る賞。一般読者の支援を受けて運営し、選考にも読者の参加を仰ぐ。」(日本翻訳大賞HPより)
一般読者として第10回に参加したので、その話をします。
英日翻訳者を名乗って何冊か翻訳書を出してはいるものの、普段の生活の中で読む本と言ったら日本人作家のものが多い。だから2015年に日本翻訳大賞が始まったのは知っていたけれど、自分には参加するためのタネがない。というわけでこれまでずっと遠くから眺めていたのですが…
昨年暮れ、所用があって新宿に行き、せっかくだからと紀伊国屋書店に寄って、どんな本がでているのか物色していたとき、目に飛び込んできたのが『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』(モーリーン・ウィテカー著、高尾菜つこ訳、原書房)。
11月に広告が出たとき、欲しいけれどちょっとお高いな、と躊躇した本です。でも目の前にコーナーができていて平積みどころか山積みされていたら、もう迷いません。自分へのクリスマスプレゼントとして即購入。そしてさっそく読み始めたのでした。
グラナダ版のホームズのDVDはかなり前にセットで購入して何度も観ていますが、こうして文章で各作品を振り返るのもなかなかいい。あの場面この場面、あのときのホームズの表情、ワトソンの返し等々を思い出しては、懐かしく読みました。ジェレミー・ブレットはドイルの原作をいつも手元に置いて、原作のホームズを忠実に再現しようとしていたそうで、その話が出る度に本棚に収めてあるドイルの原作(Wordsworth版)に目が行き、読み直したい気持ちが湧いてきました。
またシャーロック・ホームズには興味を持っていても、ジェレミー・ブレットのことは、家族や病気のことも含めほとんど知らなかったので、彼の生身の姿や生き様を知ることができたのも収穫でした。シェークスピアの『テンペスト』でプロスペローを演じたとか、『戦争と平和』と『マイ・フェア・レディ』でオードリー・ヘップバーンと共演したとか、嬉しくなる記述もありました。『テンペスト』とはちょうど読んだばかりの作品という縁、オードリー・ヘップバーンとは彼女の評伝『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)を訳した縁があったので。ジェレミー・ブレットの評伝でありシャーロック・ホームズの復習。グラナダ版ホームズ好きにはもってこいの作品だなあ、と一人ニヤニヤしていました。
そんな風にしてかなりこの作品に入れ込んだので、ふと、日本翻訳大賞に推薦してもいいのではないかと思い立ったのです。勇気を振り絞って初めて参加することにし、推薦文を丁寧に書きました。結果として選考からはもれましたが、他にもこの本を推薦する人がいたので、お仲間発見!と、とても嬉しく思いました。
日本翻訳大賞に推薦される本は、HPに記されている条件を満たしていれば原作がどこのものでも対象になります。第10回の最終選考に残った作品は、メキシコ、台湾、アルゼンチン、アメリカ、中国の作家によるもの。どこの国にも面白い本はあるだろうとは想像できても、何を読んだらいいかはわからないですよね。そんなとき、こういう賞で紹介された本を読んでみたらどうでしょう。推薦文を読むことができるので、自分の趣味に合うかどうかもわかります。英語以外の言語の本を知ることができるので、読書好きも翻訳を仕事にする者も視野が広がりますね。
推薦文を書いて数か月後、新聞で『三体』(劉 慈欣 著、大森望/光吉さくら/ワン・チャイ訳、早川書房)が紹介されているのを見たとき、日本翻訳大賞に中国語からの訳書がいくつか推薦されていたことを思い出して、読んでみようかと思いました。それまで多くの翻訳関係者から高い評価を受けていたにもかかわらず、何となく手に取る気にはならなかったのに。そこで本屋に行ったらそこの店員さんが『三体』の大ファンで、熱くお勧め理由を語ってくれたんです。こういう偶然の重なりが後押しとなって、挑戦を決めました(なんといっても大部、分厚い本で第3部まであるそうで、これは挑戦と言ってもいいかと)。
次はどんな本に読書アンテナが反応するかしら。SNSの評判だけでなく書評や広告にも注意していきたいと思います。そして読みたい本がいくつか重なったら、積読せず併読していくぞー。
斎藤静代
東京外国語大学英米語学科(当時)卒。産業翻訳や大学受験添削指導を経て出版翻訳へ。出版翻訳歴20余年。訳書は『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)、『ロシアの神話』(丸善ブックス)、『ドラゴン:神話の森の小さな歴史の物語』(創元社)、『ママ・ショップ』(主婦の友社)、『千の顔をもつ英雄』(早川書房)、『バレエの世界へようこそ』『刺繍で楽しむイギリス王立植物園の花たち』(ともに河出書房)など。サン・フレアアカデミー誤訳コラムで「ノンジャンル誤訳研究」を執筆中。