翻訳学習
2021.12.07
ベトナムつれづれ。(1)ハイフォンという街
ベトナム北部の港湾都市ハイフォン
またすぐにベトナムに行こう。海外旅行どころか、国内の移動も制限される世の中になるとは知らずに、私は、そう気楽に考えていました。
短い間でしたが、私は駐在員の家族としてベトナムのハイフォン市に住んでいました。ハノイ、ホーチミンを知っている人は多くても、ハイフォンを知っている人は少ない。詳しく地名を言ったところで、たいていは困った顔をされます。
ハイフォンは、首都ハノイから東に約100kmのところに位置する、ベトナム北部の港湾都市。ハノイから車で約2時間半、ユネスコ世界遺産のハロン湾からは約1時間のところにあります。「地球の歩き方」ガイドブックでは、首都ハノイが大々的に取り上げられた後、ハロン湾のついでに小さくハイフォンが登場し、時間があったら立ち寄るべきローカルな街として紹介されています。わざわざ訪れることはないというニュアンスが漂います。でも、真っ赤な火炎樹の花が咲く並木道、赤茶色の麺が特徴のバイン・ダー・クア(Bánh da cuaカニ汁麺)は、ハイフォンが誇る風景と郷土料理。そういえば、「東京がハノイとすれば、ハイフォンは味噌煮込みうどんの名古屋」と例えた人がいました。だんだん頭が混乱します。私は、ベトナムに旅行したことはありませんでした。イメージを膨らませるにしても、いかんせん限界があります。なのに、そんな人間が、ベトナムのローカル港町ハイフォンに、いきなり住むことになりました。
ハイフォン・オペラハウス。フランス統治時代にベトナム国内に建てられた3つの歌劇場
(ハノイ、ホーチミン、ハイフォン)のうちの1つ
ベトナムにコタツ?
「コタツを持って行った人がいるけど、何もそこまでしなくてもねぇ」
ベトナムに引っ越しする際、業者さんが苦笑交じりに言い放ちました。一年中暑くないの?ベトナムといえども南北に長い。南部と違い、北部には短くても冬らしきものがあるのです。11月も過ぎると、日中はまだ暖かいのに、道を走るバイクの人たちが、腰丈のダウンコートを着込むようになります。上はぷっくり膨らみ、下は裸足にサンダル。ちぐはぐな格好は、季節を先取りしたオシャレなのだろうか。そういうと、市場のおばちゃんも、ついこの間まで裸足だったのに、つま先が薄いグレー色だ。どうやら、おばちゃん、ショートストッキングで防寒し始めたらしい。でも、不思議。相変わらず、パジャマみたいな花柄のぺらぺらズボンを履いている。全身暖かくすればいいのに、なぜだ?しかし、12月、1月と季節が進むにつれ、斬新な夏冬混合ファッションの謎が解けてきます。この時期、身体はしんしんと冷えるのに、湿気でじわっと汗ばむのです。寒い。蒸し暑い。どっちなんだ。夜ストーブをつけても、朝起きると、寝ている間に汗ばんだシャツを脱ぎたくなる。冬から春にかけては、一日の中でも着たり脱いだり、脱いだり着たり。一人芝居を演じているような日々が続きました。
市場のおばちゃん。パジャマっぽい服に裸足でサンダルが定番ルック
とはいえ、そんな日々も束の間の休息期。長い過酷な夏はすぐにやってきます。2月のテト(旧正月)を過ぎるといつの間にか暖かくなり、4月に入るともう30℃を超えます。酷暑期の6、7月は、暑いどころか息苦しい。湿度は常に80パーセント以上。立っているだけで汗がびっしょり。着ていたTシャツは雑巾のように絞れました。それでも、夕方5時になれば少しは涼しくなるだろう、とタカをくくって近所を歩き回っては熱中症になり、3日間だるくて動けなくなったこともあります。半分笑いながら、その話をベトナム人の友人にすると、案の定、我が身のように心配してくれ、優しく注意されました。「外を歩きたいなら、なるべく陽がまだ昇っていない朝5時か、陽が沈んだ夜6、7時以降にした方がいいよ」。そうはいっても、太陽が照っていない時間に活動するのは何だか後ろめたい。最初は素直に受け入れられませんでした。
ムシッと底冷えする冬。昼間外出禁止令の夏。ベトナム北部は四季があると本には書いてあったけれど、どうも違う気がする。しかも、ある時突然真っ暗になり、傘を突き破るほどの大雨でみるみるうちに水かさが増え、洪水のようになる。花瓶やマットが流れてきたのを見たときにはびっくりしました。こんな天気に振り回されたくない。藁にもすがる思いでテレビをつけて天気予報を見ようにも、1週間の予報なんて見当たるはずもなく、大体そもそも、私にベトナム語がわかるはずもなく、途方に暮れたその時、聞き慣れた言葉が耳に入りました。
「・・・ド(Độ)」
ドって度?テレビ画面を見ると33℃と出ています。
昔ベトナムは中国を中心とする漢字文化圏に属していたことから、ベトナム語の語彙の7割は漢語を起源とするのです。Độは、漢字の「度」を起源とする。無力感で押し潰されそうだった私は、日本語との共通項を見つけて嬉しくなりました。とはいえ、こんなことで喜ぶのはまだ早かった。そのうち、私はベトナム語ということばの壁をはじめ、さまざまな壁にぶつかるのでした。
福田 理央子
慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。英検1級。