翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

輪になって話そう、翻訳のこと(7)

前回こちらに寄稿したのはアジサイの季節。あれから3か月以上たちました。わさわさと茂った大葉に花が咲き、こぶしの葉が落ち始め、その赤い実を烏が食べに来て。庭の景色がすっかり変わりました。わたしはといえば悔しいことに、夏から秋口にかけて二度の体調不良におそわれ、そういった自然の移ろいを楽しむ余裕などありませんでした。何をするにも健康が一番。体力が大事。みなさん、たくさん食べてたくさん動いてたくさん寝て、寒さ暑さウィルスに負けない身体を保ってくださいね。

さて、二度の体調不良の合間に読んだ1冊をご紹介します。こういうジャンルがあることを知って、どういう形の本なんだろうと興味を持ったのでした。

岩波書店がヤングアダルトジャンルとして創ったSTAMP BOOKシリーズから先月7月に出版した本、『クロスオーバー』(クワミ・アレグザンダー作、原田勝訳)です。これはverse novel、詩の形の物語、いわば叙事詩なのだそうです。詩は苦手、と思う人もいるでしょう。わたしもそうなんですが、この本、意外に素直に読めました。主人公の語りで綴られていて、セリフの多い物語を読んでいるのと同じ。でも余計な描写がないので、主人公の気持ちがストレートに刺さってきます。そして一番印象的なのは目から入る言葉のリズム。これがいい。たとえばこんな風に:

太文字や大きなフォントがまじっていたり、変わった配列までしたりしているでしょ? もっと強烈なページもありますよ。一般的な本とはちがって、文字やページがまるで絵画のよう。そこに登場人物の感情がにじむ気がします。太く大きな字があれば、大きな声が聞こえる。文字が散らかっていれば、読者の意識も一緒に散らかる。登場人物たちがどういう動きをして、どういう感情でいるか、読みながら一緒に動いて一緒に感じるでしょう。絵本ではないけれど、絵本的な効果のある本。こうしたverse novelの翻訳書は2000年くらいからでているそうなので、一度手に取ってみてもいいと思います。面白い形の本です。

セリフで登場人物の印象が変わる!

9月30日にサン・フレアアカデミー オンライン科7月期「文芸翻訳和訳演習」(10月期は10月21日(土)開講。残り1席)を終えました。課題はウサギのピーターとOld Mother Nature「母なる自然」(創造主)の対話で進むお話で、小学校低学年を読者対象に設定した作品だったので、小学2年生のとき大好きだった『エルマーのぼうけん』(ガネット著、わたなべしげお訳)と『かえるのエルタ』(中川李枝子著)を参考に、訳文の口調やセリフ回しはこんな風に…と決めました。ところが途中でピーターに奥さんと子どもがいることがわかってびっくり! 若いパパだったのね、このセリフでよかったのかしら、困りましたねえ、と受講生と一緒に苦笑いしたのでした。

さて、一般に「母なる自然」と説明されるOld Mother Nature。ピーターと対話する相手なので、物語らしい名前をつけなければなりません。わたしは「大地の母さん」と名付けましたが、「自然の女神さま」と名付けた受講生もいました。前者は肝っ玉母さん風、後者はほっそりした美人の女神、そんなイメージですね。そうすると、セリフも違ってきます。たとえば:

“…He is one member of the family who takes to the water, and he certainly does love it. Is there anything else you want to know, Peter?”

「大地の母さん」だったら「水にはいる動物のなかまね。ほんとうに水がすきなのよ。ほかに知りたいことは?」と言わせたいし、「自然の女神さま」なら「水にはいれるうさぎの仲間で、まちがいなく水が大好きです。ほかに何か知りたいことはありますか」と言わせたくなります。名称ひとつで登場人物の人となりや口調が決まることもある、名前をつけるのはたいへん、とお話したのでした。

関連してこんな話もしました。次の会話はどんな二人がしていると想像しますか?

A「ずっと俺は金がなかったんだよ? 金がなけれりゃ、何もかもうまくいかないんだ、だろ?」
B「そうかな、ネッドおじさん。そういうふうに思う人ばかりじゃないよ」

英文は↓です。

“Why, haven’t I been a poor man all my life? and when a man is poor everything goes against him, doesn’t it?“
“I am not sure that it does, neighbour Bean. Some have not found it so,”
(The Cornish Fishermen’s Watch-Night, and Other StoriesよりThe Man That Everything Went Against)

二人の正体は、Aは貧しく教育もない老人Ned Bean。Bは教区の牧師(若くはない)。上の訳だと、Bが近所の若者のように感じられますね。まるで違ってしまいました。二人の正体がわかったところで訳すと、次のようなセリフになります:

A「おれは生まれてからずっと貧乏人だったじゃないか。金がなけりゃ、何だってうまいこたぁいかねえよ、そう思わんかね」
B「うまくいかないかどうかはわからないがね、ビーンさん。そう思わない人もいるだろうよ」

登場人物の人となりを把握しておかないと、誤ったイメージをのせたセリフになってしまう、という例でした(改めて、若いパパのピーターのセリフ、あれでよかったのかな、と心配に…)。

ちなみに『クロスオーバー』は12歳の少年と家族の物語で、語り手である少年の、その年齢らしい生き生きとした言葉遣いが、物語全体を躍動させています。今時の子どもたちの言葉を理解する参考にしてもらえれば、と思います。

 

斎藤静代

東京外国語大学英米語学科(当時)卒。産業翻訳や大学受験添削指導を経て出版翻訳へ。出版翻訳歴20余年。訳書は『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)、『ロシアの神話』(丸善ブックス)、『ドラゴン:神話の森の小さな歴史の物語』(創元社)、『ママ・ショップ』(主婦の友社)、『千の顔をもつ英雄』(早川書房)、『バレエの世界へようこそ』『刺繍で楽しむイギリス王立植物園の花たち』(ともに河出書房)など。サン・フレアアカデミー誤訳コラムで「ノンジャンル誤訳研究」を執筆中。

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