翻訳ひといきコラム

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翻訳学習

ベトナムつれづれ。(2)“Lemon Tea”

ほっと一息入れるために、何を飲もうか。そう考えたとき、ベトナムのレモンティーを思い出すことがあります。

買い物を終えて店の外に出ると、土砂降りの雨でした。バイクの喧噪も人影もすっかり消え、タクシーが捕まる気配もありません。焦った私は、すぐ近くにあったピザ屋に入りました。幸い店員さんは英語が通じ、「タクシーを呼んであげる」と言ってくれ、私は窓際の席に案内されました。何も頼まないのはさすがに悪い気がしたので、持ってきてもらった英語メニューの中から“Lemon Tea”を注文することにしました。

テーブルに運ばれた“Lemon Tea”に手を伸ばすと、おや?と目が釘付けになりました。カップの端にちょこんと腰掛けているのは緑色の丸っこい物体。それは、どう見てもレモンではなく、ライムです。同じLで間違えたのかな、とメニューを見返すと、“Lemon Tea”で間違いありません。レモンティーなのにライムティー?「こんなもの頼んでない」と日本ではちょっとした騒ぎになりそうです。でも、ここベトナムでは、緑色のライムがレモンの代わりなのでしょうか。あるいは、ベトナム語を英語に訳した“Lemon”は、ベトナムの人々のように懐が深く、緑色のライムも黄色のレモンも全部含んでいるのでしょうか。いずれにせよ、緑色のライムが何のことわりもなくレモンティーに添えられているのを見た瞬間、“Lemon”が黄色いレモンだと思うのは、それを当然と考える世界に私が生きてきたからだ、とハッとしたのです。


緑色のキンカンとライム

それ以来、私は黄色いレモンを探す旅と称して、近所のスーパーや市場を散策するようになりました。しかし、途中で当初の目的を忘れ、別の発見に気を取られてしまいます。例えば、日本のベトナム料理に必ず添えられる香草のパクチー(以下「パクチー」としますが、タイ語なのでベトナムでは通じません)、探してみるとスーパーではなかなか見つからないのです。品揃えの豊富な市場でも、パクチーを売っているおばちゃんをわざわざ探さなくてはなりませんでした。それもそのはず、現地の料理でパクチーの影はなぜか薄い。例えば、焼いた肉や魚を生春巻きの皮に包んで食べるとき、一緒にくるむのは、名前もよく知らない種々雑多な香草たち(最低でも4種類は入れるらしい)。1種類の香草だけ、しかもパクチーをひたすら食べるというベトナム料理のイメージは、日本で勝手に作られたものなのです。「好きなだけ放り込め」と言わんばかりに盛られた葉っぱの山からは、バッタもひょっこり顔を出しそう。日本でいうところのオシャレで気取った「香草」や「ハーブ」よりも、それは雑草の生命力を連想させる「草たち」と呼んだ方がしっくりきます。次第に、ベトナムの「草たち」という別の呼称が、私の中で定着していきました。


スーパーの香草コーナーで売られている草たち

結局、スーパーでも市場でも黄色いレモンを見かけることはありませんでした。考えてみれば、屋台でもギュッと搾るのは緑の柑橘類。丸い残骸が近くの路上にたくさん落ちていて、うっかり踏んで滑りそうになりますが、足元から爽やかな香りが立ち上ると、まぁいいかという気分になります。『柑橘類の文化誌』(ピエール・ラスロー著 寺町朋子訳 一灯舎)という本によると、ベトナムなど、季節の移り変わりがあまりない熱帯性・亜熱帯性気候の国・地域では、柑橘類の果実は緑色のままだそうです(季節がはっきりしている温帯性気候の国・地域では、葉っぱが紅葉するのと同じように、果実はオレンジ色になる)。だからなのか、ベトナムでは、大粒のものから小粒のものまで、緑の柑橘類の種類がたくさんありました。果肉の色もバラエティーに富んでおり、ナイフで半分に切ってみると、中はオレンジ色だったり、ピンク色だったり。緑色の果皮と断面とのコントラストが美しいだけでなく、氷砂糖や蜂蜜に漬けて飲むと喉によい、と何度も人から勧められました。民間療法でしょうか。試してみると、排気ガスでイガイガした喉にもよく効く。「緑のキンカン(クァットquất。ミカン類とキンカンの交雑種)はいらないの?」と、路上で花を売っている農家の人からバラを買ったときにも勧められました。バラの花と緑のキンカン。忘れられない組み合わせです。このように、毎日どこかで必ず緑の柑橘類に遭遇しました。


キンカン蜂蜜ティー

それまで柑橘類と聞けば、柚子やミカンなど、黄色やオレンジ色の果物しか思い浮かべなかったのに、ベトナムでは緑色の丸っこいものを真っ先に思い浮かべるようになりました。生活していく中で自分のことばに対する感覚が変化したのでしょう。「柑橘類」ということばの輪郭が広がったともいえます。一方、「香草」や「ハーブ」ということばの範疇からは、ベトナムの「草たち」は除外され、ことばの輪郭が狭まりました。短期間でもことばの持つ意味合いが変化してしまうのだから、生まれてからずっとこの地で生活している人は、同じことばに対してもっと別の感覚を持つようになるのでしょう。

自分のことばが、いかに生きてきた環境によって左右されるのか。そのことを、今でもレモンティーを飲むたびに思い出します。

福田 理央子

慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。英検1級。

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