翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

2024年4月(その1)

4月初旬の公園(ソルボンヌ大学横)には寒いけれどミヤマザクラのような花が満開。

「それでいつなの? え?8月?、、、で、今は何月?」

と、マダムJが聞く。

「4月よ」と、すかさず私。

「あら大変! あと4か月しかないのね」

「ママン、さっきもおんなじ話をしたよ」

と、長男のBが静かに諭す。

 

フランスも日本同様、「超高齢社会」である。両国ともことに女性は平均寿命が86歳、88歳と世界の“最高レベル”にある。そんな両国の家族の風景は似たところが多く、この10年の間に、共に96歳でこの世を去った父母を持つ私にとって彼らとのお喋りは楽しく、何ら違和感もない。老母と60歳前後の息子2人の、ほほえましい親子の会話を耳にしながら、私は4年前の母のことを思い出す。

母逝けり櫻蕊ふりふり止まず ちづこ

50年来の友人マダムJが96歳の今日も元気なのはとても嬉しい。さっき言ったことは忘れてしまうことも多いけれど、昔のことはたくさんたくさん覚えていてくれる。

彼女が「大変大変」と気にしているのは、今夏行われるパリでのオリンピック、パラリンピックのことである。

「大変」と感じているのは何も彼女に限ったことではない。今回のフランス滞在中に出会ったほとんどの人たちが、何かしら“もの申した”。決して“諸手を挙げて賛成”ではないのが、3年前の東京の時とよく似ていると思う。

もちろんその中にアスリートを含め当事者は誰もいないから決して「みんな」とは言えないけれど、少なくとも私の周囲のみんなは、何となく「迷惑な事よ」と思っている風でもあった。

コンコルド広場

パリの街は世界一美しい・・・と、いつでも思ってはいるのだが、昨今の工事現場はなんともやるせない。テトラポットのような大きなコンクリの塊に阻まれた道路や広場に、情け容赦なく雨が降りつけるのを見ると、散歩など全くしたくなくなる。

建物の修復や洗浄は、もともと日常茶飯事ではあったが、なんだかその数が増しているような気がする。なにしろ町中がひっくり返っている、という印象。

観光客のメッカのようなオペラ座もまたしかり。スポンサーの宣伝を大きくとる看板は全体をほぼ覆いつくし、美しいファサードの一部をだまし絵で見せているだけである。そういえば、去年の夏も確かどこか修復中だった。興行のほとんどないヴァカンスシーズンだから、と納得していたのだが、、、。

屋根まで隠してしまったら誰もオペラ座とは気づかない!?

去年の7月もオペラ座は何か工事をしていた

有名店舗の工事現場は、やはり工夫も一流で、ついつい観察してしまうこともあるが、それとて30年前に初めてその素晴らしさに気付いた時ほどの感動は、もはやない。(参照:パリ狂づれづれ)むしろ、尽きることのない消費者の欲望が形になったような気がしないでもなく。

シャンゼリゼのルイ・ヴィトン 店舗拡張工事

それでも、やっぱり、私はパリの街が好きで、つい、欲目をもって“最大解釈”をしてしまう。

そんなある日、ニュースで、「ノートルダム寺院の、5年前に焼け落ちた尖塔がついに完成した」というのを聞いて、早速見に行くことにした。

曇り空の朝だった。

実は、パリの4月をもう何年も経験していない。だから思いのほか寒いのと雨の多さに、私はちょっぴり戸惑い、その時も小さな傘(これは、ロンドン時代に何本も買ったうちの一つ!)をハンドバックに入れた。

ノートルダム寺院を真横から

出来上がった尖塔

パリには1980年代と2000年代と2回、9年余り住んでいたが、その時、私は携行用の折り畳み傘など持っていなかった。大きな傘とて、一体どんなものを使っていたのか全く記憶にない。「子供たちは傘を持ってはいけない」という決まりが幼稚園にあったように思うが、実際、子供も大人も、《カーウェィ》という名前の小さく折りたためるフード付きの雨合羽さえあれば事足りる、という感じだった。

雨が降っても10分もすれば止んでしまうような天候が常、という経験が身に沁みついていたのを懐かしく思い出しながら、夫と「前はこんなじゃなかったわよね」と、気候変動を嘆きつつバスに乗った。

が、その日は時間が経つにつれ青空が広がり、気温も少し上昇して、気持ちよいセーヌ河畔の散歩となった。

2019年4月16日未明にパリの友人が送って来たテレビ画像

2019年5月火災直後のノートルダム寺院。煤で真っ黒になっているのがはっきり見て取れた

サンジェルマン大通りをぶらぶら歩き、サンジャック通りを北上すればシテ島はすぐそこだ。ノートルダム寺院の、ファサードの四角い塔の奥のほうに細い突起物がちらと見えた時、ちょっぴりドキドキした。

もっとも、修復のための櫓があまりに堅牢かつ細かくて、しかも大きなクレーンが複雑な直線を描く中にあっては、その細い突起物が「尖塔」なのかどうかよくわからない。

私たちは、「尖塔の十字架を確かめるまで信じられない」とばかりに、河畔のブキニストの並ぶ歩道をセーヌの流れに遡り歩いた。

“工事現場”は去年の夏に見た時よりもさらに複雑に、立派になっている。そして、ここにも現場(いや、飯場!?)の目隠しの大きなパネルが設置されていた。

《 ノートル・ダム ド パリ 再建 》と大きく書かれたパネルには男女4人の半身が写り、、、彼らの仕事の一つ一つが紹介され、、、

こんなところに、私は“フランスの意地”のようなものを感じるが、それもまた嫌いではない。(つづく)

2023年7月 ノートルダム寺院を東側(内陣の方)から

去年はなかった現場建築事務所を覆うパネル

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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