海外だより
2024.03.27
襲来
節分が過ぎて、暖かい好天が続いたと思っていたらまた寒さがぶり返してしまった。まさに“春は名のみの”である。
連日、冷たい雨が降り、天気予報は時に「雪になるかもしれません」と脅かす。
そんな日々ではあるが、庭の梅も美しく咲き、訪れる鳥たちが増えて来て春らしさを感じさせてくれる。私は毎朝雨戸やカーテンを開けながら外を眺めて、春咲きの小花を植えたベランダのプランターを眺める。そして、何か俳句を詠む(時もある)。
在宅時間がたっぷりある日は、幾度となく南側の窓辺に立つ。
この数年の間に、「省エネルギー対策」ということで、建築時のガラス窓にさらに窓ガラスを加えてダブル、トリプルにしてしまったから、室内にいると、よほどの悪天候でない限り外の様子を察することは難しい。もちろん、快晴か曇天かということは光の濃さで明白だけれど、風があるのかないのかといったことは、窓辺に近づかなければ全くわからないのだ。
ベランダに出る大きな窓に立てば山桜に透けて隣家の切り立ったコンクリートの屋根が見える。それはまるで真白いカンバスのようで、まだ蕾とも言えない小さなぷつぷつをつけ始めた山桜の木が影絵のように浮き出して見える。ベランダに置かれたいくつかの鉢の花が色を競うように咲くのをみれば、自然と口元が綻ぶ。
お日様がいっぱいだと花たちは元気。 菜の花に蜜蜂が!
ある日のこと、西のほうの空から十数羽の鳥たちが、一斉に山桜を目指して降りてきた。彼らはピーチクパーチクと喋りたてながら桜の枝をこまめに飛び回り、しばらくするとまた西のほうの空に戻っていった。
「あれ、なんだろう? 鳩みたいなグレーで、、、」と夫が言った。鳥のことは詳しくないけれど、「ヒヨドリじゃない?」と私は知ったかぶりをした。
次の日の朝だった。
また曇天の西の空から、今度はえらくけたたましい声の一軍がやって来た。その数やはり十羽ほど。頭が黒く、白い胸とのコントラストが美しい。そしてすーっと伸びた尾羽。
「尾長来たわよ」と私は夫に呼びかけた。
彼らのことはとてもよく知っている。2001年3月にパリに赴任した時、アパルトマンの改装工事が終わっていなかった私たちは、ほぼ1か月をキチネット付きのホテルで暮らしていたのだが、そのホテルの裏庭に毎朝5時くらいにやって来ていたのが尾長だった。
目覚まし時計のように鳴く彼らのことは、今も忘れられない。「あと1時間遅く来てくれればいいのに」という思いと共に私たちの“春の景”としてしっかりと刻まれたこの“じゃかあしい奴ら”も、鳴いていない時に見ればその姿はほれぼれするほど美しいのだった。
窓辺での夫との会話は、そのまた次の日にも始まった。「今度はどっち?」などと言いながら、私たちは鳥たちがやって来ることを楽しみにし、名前を知らない庭の立木の赤い実がどんどん食べられてしまうのもとても鷹揚に眺めていた。その日は、ヒヨドリと尾長が、交互に来たりして、先に来た一軍が後からの一軍に追い出されるような感じがして、それもまた楽しい光景であった。
一軍の尾長舞ひ降り春めける ちづこ
数日後の曇天の昼下がりだった。
いつものようにベランダに出る大窓に立った私の目に、とんでもない光景が飛び込んできた。
ついさっきまで美しく咲いていたプランターのプリムラが、ない!!! 黄色の濃淡の二株を植えたのは1月のことだったのだが。
去年の秋に種を撒いた菜の花も一株が立派に育って、次から次へと美しく咲きあがってきていたのだが、その茎は無残に折られていた。もちろん、花はない。
“目を疑う”なんて悠長なものではなかった。もはや“クラクラ”するようなショックを覚え、私は慌てて外に出た。
ベランダの手すりやプランターの周りには、念の入ったことに、彼ら(誰だ? 尾長? ヒヨドリ? 分からない)のたくさんの落とし物が残っていた。それは、乱痴気騒ぎの後の汚物でしかなかった。
2月末。哀れ、すっかり食べられてしまった。
白いイベリス・ブライダルブーケは、踏みつけられてはいるものの、お好みではなかったらしい。
この怒りをどこに持っていけばいいのだろう。
あんなにかわいいと思っていた鳥たちが、、、腹立たしい。 もう全然可愛くない!!
庭の木の実は食べさせてあげるわよ。でもね、ベランダの花まであげるつもりはないわ!!
あんなにすくすく育っていた菜の花もボキボキ折られてしまい、、、
(彼らの狼藉の跡、汚れたベランダの写真も撮っておけばよかったが)
折から降り出した雨の中、私はじゃぶじゃぶと水を流してベランダを洗った。デッキブラシで強くこすれば、少しは気が収まるというものだ。
動物好きなはずなのに、最近は虫だって可愛いと思えるようになってきていたのに、、、こういうことが起こるといっぺんに気持ちが変わってしまうのも、悔しい。
もっとも、落とし物の中に、未消化の木の実の種と思われるものがあったのに気付いた時、「あ、こうやってどこかに木が生えてくるのね」と、彼らを半分許している私でもあった。
その後、キラキラ梟を購入。効果があるかどうかは分からないけれど。
今はもう鳥たちは来ない。どこかで巣籠りしているに違いない。
花たちは健気に再び咲き始めています。
北原 千津子
東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。