翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

宿題(2)

パリ市庁舎(10年くらい前の夏)
広場に「緑の憩いの場」(普段は何もない)
市庁舎の左奥に少し見えている建物がBHV

2022年の初夏、私なりの“修理計画”を立てた。椅子の座面の張り替えの前に齧り痕を始末したほうがいい。そのためには、傷の部分を削り、色を塗らなければならない。幸い、椅子の素材はすごく硬い木ではないようで、やすりでこすれば傷の部分は平になってごまかせそうである。
そこで久しぶりにDIYに行き、番の粗い紙やすりから磨き用の細かいものまで何種類かをそろえた。たくさんの見本の中から塗料やニスを選ぶのは存外楽しかった。ついでに刷毛も数種類買ってみた。
苦労したのは、スポンジだ。
DIY店は本当になんでも揃っている、、、かと思っていたが、そうでもないらしい。スポンジに関しては、定型の四角に裁断されたものはすぐに見つかったが、厚さや大きさを考えるとピタッと来るものではない。
今までのスポンジと真綿もどきの組み合わせ、つまり座り心地を考えたら、スポンジも一種類というわけにはいかないのではないか。店舗に期待ができないことが分かると、またもやくじけそうになる。昔、パリ時代に足繫く通った《ベーアッシュヴェ(BHV)》――パリ市庁舎の隣にあるむかしからのデパート。ここの地下の売り場が元祖DIYというべき部門で、釘一本から購入が可能――が懐かしく思い出された。が、今時、日本でもインターネットで探せば見つかるはずだ、と気を取り直し、パソコンで検索を始めた。
いくつかのサイトを見ていくうちに、静岡県だかの工場の直販というのを見つけ、スポンジの種類、硬度、などなどさまざまな種類が作り売られていることに狂喜し、細かい説明書きを必死に読みながら、最後はもうエイヤーっとスポンジ2種を注文した。正解だった。
布地は、今度はフランス製ではなく、40年以上前にクッションを作った時のリバティプリントと東南アジアのバティック(一体、いつ誰からいただいたのだろう!!??)の残り布を使った。


DIYで「錆の上から塗れる塗料」というのをみつけて、
台所のスツール兼踏み台も塗り替えた。
この踏み台が優れもので、30年来使用している。

でも、結局、2022年の夏休みの宿題は半分を終えただけで時間切れとなった。
だから、今年の夏休みの宿題は残りの六脚である。
これらは、台所用とは違って、ちょっとおしゃれな作りのもので、塗り自体も光沢のある美しい茶色。背もたれの上部はかすかなカーブを描いていて、そこに張られた薄い板も、木目を生かした美しい模様を浮き立たせている。
しかし! しかし! この薄い板が、なんと、長年の日本の風土に耐えかねて剥がれてきていた。背の部分に交差させた板もずれている。これらは、うさぎのせいではないけれど、脚のほうはやっぱりよほどおいしかったと見えて、さんざんである。
幸い、座面のほうは、2005年に大きな椅子をいくつかプロに頼んだ時に、彼が好意で“最低料金”で張り替えていてくれたから、木部だけの補修となった。


上2枚:去年、下2枚:今年

連日の猛暑の中、木槌で組み合わせの部分を調整し、脚はひたすら紙やすりをかけては指の腹で撫でて歯形のでこぼこをなだらかにする。
黙々と行う作業は、頭をからっぽにするのにとてもいい。さらさらこぼれおちる木くずを見ていると、あの二人(うさぎたちのこと)、子供たちの成長とともにいてくれた彼らの姿が次から次へと脳裏に浮かんだ。
おっとりした文学少女のねね。窓辺のカーテンの向こうでいつも外を眺めて“哲学して”いた。でも実はサッカーも上手で、台所に御用聞きの人が来ると、彼女はその腕前を披露すべく、たたきに転がっていた長男のサッカーボールに突進した。
ねねが7年の生涯を閉じたのは、阪神大震災の直後だった。あの頃はまだウサギ専門の獣医さんはほとんどなかったが、丈夫だった彼女は、全く病気知らずで、兄弟たち――息子の小学校で生まれたうさぎ11匹はほとんど2年内に死んでしまった――の中でただ一人7年もいてくれたのだ。


ねね(白)哲学とサッカー

二代目は、生後2週間くらいの160グラムで我が家に来た。当初から高いところが大好きの暴れん坊、たろと命名された。ねねとは違い体育会系で、小さな体で軽く60センチを飛び越えるのはさすがうさぎである。

たろ(ベージュ、グレー縞)160g ケージの屋根が好き

娘が高校生の時に新宿の伊勢丹前で「目が合って」買ってしまった子だったから、誰もが、「その手のうさぎは長生きしない」と言った。そして実際、たろは大きな手術を体験し、家族の誰よりも医療費のかかる子だった。幸い、その頃にはうさぎを診れる獣医さんが増えてきて、たろが出会った人がとても素晴らしかったのは言うまでもない。
たろが4歳ぐらいの時、私たち夫婦はパリに転勤となり、東京の家は“しょーもない大学生”の子供たちとたろの天下となった。子供たちの友人たちは、たろのことを「世界一幸せなうさぎ」と言っていた。私は一時帰国をしてパリに戻る時毎回、「元気でいてね」とゆっくりゆっくり言い聞かせたが、彼は9年も生きて、私が再び転勤で東京に戻った半年後、娘の腕の中で生涯を閉じた。

籐椅子に座せば家長のごとき顔 ちづこ


籐椅子 これもいつ頃からあるのか、、、60年??

犬派?猫派?・・・・・・「パリ狂つれづれ」第46回 そこ(その1)第47回そこ(その2)

2年越しの夏休みの宿題は、どうにか終了した。
最近、ある本を見ていたら、在ルーマニアの英国大使館のダイニングテーブルの椅子と我が家のものが同じだということに気付いた。
食文化の代表的存在であるフランスは、食事の時の椅子の代表となるようなモデルをたくさん作ってきたということである。「典型」とも言えるこれらの椅子を、やはり私は簡単に手放すわけにはいかない。これからも傷んだら、塗り直して、張り直して、、、今度の「夏休みの宿題」は何年後だろう?

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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