海外だより
2023.08.31
宿題(1)
絵日記の主役脇役夏の雲 ちづこ
夏休みがだんだん終わりに近づくと、ニュースで話題になるのが「宿題」である。まだ絵日記が終わっていないだとか、あちこちで開催される「**教室」には自由研究のヒントが満載だとか、、、。日本のこどもたちに夏休みの宿題はつきもので、私も小さかったころ、欧米の、新年度を控えた宿題のない夏休みをとても羨ましく思っていた。
大人になって実際に、欧州に長く住んだら、一年のうちの大型休暇である夏休みはとても大切な休息期間で、「1か月のヴァカンスのために11か月働いている」というような人々の感覚にすっかり染まってしまった。
「宿題」を思い出すことなど全くなくなり、ひたすら、非日常の贅沢な空間と時間を満喫していた。
クロアチアのドブロブニク
きれいな海、美しい城塞都市です
ロンドン時代のある年の夏
三つ子の魂とはオソロシイ。2017年に本帰国して、東京の家の生活に浸っているうちに、「夏休みの宿題」というかつて叩き込まれた?習性が戻り、「この夏休みには何をしようか」「何かをしなければ」という気持ちがふつふつと湧いてきた。それは一種の強迫観念にも似ていた。
帰国ほどなくして家の改装(家を出て久しい子供たちの部屋を、小さなサロン兼仕事部屋にした)を済ませると、今度は調度に目が行く。長年うさぎを室内で飼っていた我が家には彼らが齧って傷をつけた所がたくさんあり、中でも、食堂の椅子の脚はよほどお好みに合ったのか、歯形を残したまま地の木がむき出しになっていた。
あー、これらは、本当はすごく素敵なフランスの食卓椅子なのだ!!
台所で使っていた椅子などは(これだって、たぶんフランス製。夫が子供の頃のフランス時代のものだと思う)私がいつぞや必死になって張り替えた座面の布地が破られていて、中のスポンジにも齧った穴ができていた。
2018年、19年は老母のこともあり、実家の片づけに追われることになり、「宿題」ができないことの良い言い訳となったが、それはそれ。一段落した2年前から、「私の夏休みの宿題」は待ったがきかなくなった。
椅子の修理は嫌いじゃない。
たった一回ではあったけれど、1990年代の体験がずっと忘れられないでいる。
それはDIYの店頭で「椅子の張り直し」のヴィデオで見てから始まった。家に帰って、台所の椅子をひっくり返して、我が家で使っているものが、まさに、ヴィデオで見たのと同じタイプの座面であることを確認するや否や、私は自分でやる決心をしたのだ。再び店舗に走り、専用のホッチキスを購入した。
幸い、家には夫の母がフランスで作らせた(両親は1975-79にも在仏)ソファの生地がたくさん残っていた。
こんな素敵な布地はそうそう手に入らない!
座面を椅子からはずし、古い布地をちょっぴりこわごわはがした。幸い、スポンジの部分は、さほど傷んでいないようだ。古びて飴色になった(元々の色だったのかもしれないが)スポンジは少しもへたっておらず、まだ弾力がある。その上には、真綿のようなものが張られていて、こちらはぺたんこになってしまっていたが、触れば柔らかさは健在だった。
この中身を探すのは難しそうだと判断した私は、ためらうことなく、それらを元に戻し、新しいフランス製の布地で座面を覆った。そして専用のホッチキスで、バチンバチンと音を立てながら修理を終えた。大満足であった。
たった一回とはいえ、六脚の椅子の座面を張り直した私は、気をよくして、自信をつけ、次々とDIYを試みるのだが、網戸の張り替えも楽しかった。障子の張り替えもお手の物だ。決して器用ではない(小学生の時、絵をかくのは好きだったが、工作は苦手だった)けれど、技術というよりは“慣れ”というか多少の“コツ”のようなものが分かると、これらの修理作業にはそれなりの効果を発揮してくれる。
その延長上で、本当に恐れを知らずに、やってしまったのはセネガルの大使公邸の和風のサロンの障子の張り替え。この時は、日本人の営繕担当大使館員と実家が工務店だという総務担当女性館員を巻き込んで、3人で頑張った。現地スタッフには手を出させなかったが、頼んだところで、何も役立たないばかりか、かえって足手まといになるだけと分かっていたからである。
閑話休題。
去年の夏、一大決心のもとに、私は椅子の修理を計画した。今回は、座面の張り替えとともに、うさぎたちが齧った無残な傷跡を残す椅子をどうにかする、というのが命題である。おまけに、いくつかのものは、椅子全体がきしむようになっていて、その調整も考えなければならなさそうだ。食堂用の上等な?椅子は、背あてにはられた薄い板の一部がはがれてもいた。
どうしよう、、、
いろいろ考える途中で、少し弱気になり、やはり専門家に頼むほうがいいだろうかとも思った。何人かに相談したものの、日本にはこういった分野がとても少ないらしく、あまり芳しい返事は戻らなかった。
1脚何万円もの費用をかければ済むのかもしれない。でも、それなら新しいものを買ったほうが、、、という声も聞こえる。しかし、私には親から受け継いだこれら、十二脚を捨てるつもりは全くない。(つづく)
夫が子供の頃からある椅子。これは2005年に張り替えてもらった。
この手の修理ができる技能者は日本には多くない。
彼にも、木部の修理はできないと言われて、、、
北原 千津子
東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。