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海外だより

2023.08.04

英語歌舞伎“The Adventures of High Priest Kôchi(弘知法印御伝記)”公演〜衣裳責任者としてのチャレンジ〜

2023年5月28日、昨年より計画中であった”The Adventures of High Priest Kôchi (弘知法印御伝記)”の4日間の公演を終えた。公演は大盛況に終わり、最も驚いたことは、毎晩スタンディングオベーションを受けたことだった。1986年からほとんど毎年能・狂言、歌舞伎などの公演を行ってきたが、全ての公演日に観客が総立ちになりスタンディングオベーションの拍手喝采を浴びることはなかった。

それほど、この作品が素晴らしく、演じる役者たちの演技力と情熱が観客に伝わったのだろう。演じた学生たちも裏方として働いた私たちもこの観客の拍手に苦労を忘れ喜びに沸いた!

The Adventures of High Priest Kôchi (弘知法印御伝記)の公演計画

夫は、数年前からこの古浄瑠璃「弘知法印御伝記」を自分の大学で公演するのを夢み、そのために着々と計画を練っていった。昨年夏、1685年に出版され上演されていたこの古浄瑠璃(一人遣い人形劇)作品を英語歌舞伎のために翻訳し、自分の大学の学生歌舞伎にするべく台本を書き上げた。しかし、私自身は、夫がどれほどこの作品に力を注いでいるか、はっきりとは理解していなかったように思う。
参照:
日本滞在〜古浄瑠璃「弘知法印御伝記」について〜②
日本滞在〜新潟「西生寺」参拝〜③

歌舞伎台本を書き上げた夫から、40ページに及ぶ英語台本を渡された。しかし、わかりにくい箇所を行き戻りしながら何度か読んでみるものの、舞台と衣裳のイメージがあまり湧いてこない。これはきっと私の英語力の所為だとも思うが、今まで夫が演出してきた英語歌舞伎作品は、すでに歌舞伎として日本の歌舞伎役者が演じ、私自身も作品自体をすでに知っており、歌舞伎座で直接観たり、映像で見ることができたので、衣裳係としても想像がついたのである。

しかし、この作品は古浄瑠璃であり、人形劇としての作品であったため、歌舞伎としてはこれまで誰も演じたことがない“新作”だった。

衣裳係としてのチャレンジ

私は衣裳係として、約40配役にその役に合った衣裳を準備しなければならない。

今回の最も大きなチャレンジは、真言宗僧侶の法衣(ほうえ)、袈裟、そして天女の衣裳であった。なにせお坊さんの衣裳など実物を手に取って観たこともない。天女に至っては、天女の衣裳が何だかよくわからない!

しかし、持つものは素晴らしい友人たちである。

衣裳作成と舞台の着付けを手伝ってくれている好子さんが、日本に帰国したとき、実物の法衣と袈裟2種類を好子さんの従兄弟で奈良在住の真言宗ご住職から借りてきてくれたのだ!もちろん借りた衣裳を実際の公演舞台に使うわけにはいかないので、自分たちで作る。

5月末の公演ではあるが、3月初めには広告チラシのための写真を撮る予定になっていた。この写真撮影には、作るのが間に合わないので借りてきた本物の法衣と袈裟を使わせてもらうことにした。広告のための人物は、大沼弘友(後の弘知法印)、花魁、そして殺されて幽霊になる弘友の妻“柳の前”の3人である。

 広告用に撮った写真と公演プログラム表紙

広告の撮影が終わった後、私たちは衣裳作りのための布選びを始めた。
この過程はとても楽しい!この街の布屋さんはMill Endという大きな店と全国チェーン店の JoAnnが数店舗あるが、目的の布を求めてこれらの店の中を探し回る。

これまで長い間歌舞伎や狂言などの公演を続けてきたが、衣裳のための生地をこれらの店で買ってきた。ただ、今回も私は日本に帰国した時、古着屋で着物や袴などを求め、浅草の舞台衣裳屋さんを回り自分のイメージに合う生地も買い揃えてきた。

法衣と袈裟

法衣や袈裟は本物を手にしながら、実物に近い生地を選んだ。布が揃った時点で、裁縫が得意な好子さんが制作を引き受けてくれた。学生たちはそれぞれ大きく体型が違うため、実際に採寸し必要な布を買い揃えた。舞台用の法衣と黄土色の袈裟は、実物に遜色がないほど立派に仕上がった。
袈裟は、弘法大師や若い僧侶の弟子、位が高くなった時のものと合計4枚必要だった。

弘知法印、弘法大師、弟子のために作った袈裟

実はこの時期、美術学者であり長い間パリのアジア美術館のアートディーラーとして世界中を駆け回っていた夫の友人Allanがポートランドに訪ねてきた。アメリカ人の彼は、数年前にカリフォルニアに戻ってきていた。彼の専門は、アートの中でもテキスタイルで、以前に彼の友人が作った袈裟があるので、私に送ってくれるとのことだった。驚いたことに、彼は袈裟についてもいろいろな知識を持っていた。

私は、彼が説明してくれた真言宗の袈裟の意味の深さに驚いた。ただ布を巻きつけているのだと思っていたのは大きな間違いだった!
私はたまたまその10日後ポートランド美術館のAsian Councilで夫と共に「The Adventures of High Priest Kôchi」についての講演をすることになっていた。私は主に自分で作成した衣裳について話すことにしていたが、この袈裟についても話そうと決めた。調べてみると、その歴史や袈裟の作り方、インドから中国を経て日本に渡ってきたその変遷の歴史を知ることができた。特に面白いと思ったのは、袈裟にある「条〜小さな布を縦に繋いだもの」であった。真言宗の袈裟には、条だけでなく布の中に示した仏教の意味もあった。一枚の布に、仏陀(大日如来)梵天、帝釈天、四天王を表す四角い布が配置されている。ただ、仏教の宗派はたくさんあるので、袈裟もそれぞれが違うのではないかと思う。
袈裟には、「仏教徒の証であり仏さまの御心、すなわち慈悲の心を身にまとう意味がある」とのことだ。

作成した弘知法印として位が高くなった時に着る真言宗5条袈裟
縦の大きな長方形が7条、9条などに分かれているものがある。
左から3条目の上部に位置する四角は仏陀(大日如来)を表し、
2条と4条上部にある小さな長四角が守護神(帝釈天、梵天)、一つには刺繍がある。
四隅の小さな四角が四天王(東―持国天、西―広目天、南―増長天、北―多聞天)

天女の衣裳

次のチャレンジは、4人の“天女~Buddhist angel”の衣裳である。3時間近くかかるこの劇の最後のクライマックスシーンである。天女たちは天から舞い降り、殺された大沼弘友の妻“柳の前”を地上に迎えに来る。墓から現れた “柳の前”と5人で舞を舞った後一緒に天に昇って行く。清楚で美しくなければならない。

私はこれまで壁や天井に描かれた天女画は見たことがあるが、天女が出てくる映像も舞台も見たことがなかった。寺院などで壁、天井、欄間などに描かれた天女画は髪型から服装、羽衣まで様々で“天を飛ぶ(飛天)女性”という以外には共通点がなかった。

新潟県長岡市の西生寺にある天女の欄間絵

滋賀県余呉湖にある天女像

一般的に天女は、天に住む女性のことで、天帝などに使えている女官の総称で、日本、中国、インドの国々の伝説上の存在である。人間界においては、容姿端麗である以外は人とあまり変わらず、羽衣と呼ばれる羽布で空を飛ぶとされている。
民間信仰における“女神〜Goddess”とはわずかに異なり、女神が超能力を持つのに対し、天女は楽器を奏でるが、変身するような能力は持たない。

“飛天”は仏教美術によく登場する“空を飛ぶ人物”のことであり、特に女性の形は、天女と同一視される。インドを起源とする説とオリエント・ペルシャに起源を求める説があるが、後者は後々“天使~angel”と称されるようになっていく。

では、英語歌舞伎の天女の衣裳はどう作れば良いか・・・。長年PSU英語歌舞伎における踊りの創作と指導を担当している貴子さんが、今年も天女の踊りも創作してくれた。貴子さんには自分が作る天女の踊りと衣裳のイメージがあり、衣裳係としては、貴子さんの想いを大切にしたいと思った。しかし、初めから全てうまくいくわけではない。話し合いながら少しずつ変更しながらイメージに合う衣裳を作り上げて行った。
最終的には、「誰も本物の天女を見たことがない」ということは、自分たち独自の天女衣裳を作り上げても何の問題もないことに落ち着いた。そして私は“歌舞伎”であるから、あくまで“着物”の要素が入っていることにこだわった。とても良い衣裳ができたと皆大満足であった!

衣裳係(由紀さん、由美さん、好子さん、筆者)
天女(悠月、Myra、踊りの貴子先生、Lumiki、Megan)

天女の踊り(Megan、悠月、Marley~柳の前、Lumiki、Myra)

地獄の閻魔大王と鬼などの衣裳

この歌舞伎には“地獄”の場がいくつかある。閻魔大王と赤毛魔、赤・青鬼などの鬼5人と女郎蜘蛛が出る。私は歌舞伎の幽霊は何度か見たことがあるが、地獄場面は見たことがない。その上地獄に落ちた悪人に対し「拷問」だとか「セクシュアルハラスメント」「いじめ」「殺人」など、子供には聞かせたくないようなセリフがボンボンと出てくる。大丈夫なの?この悪人たちにどんな衣裳を着せればいいの?

しかし、この問題はすぐに解決した。夫はこの場面を“狂言”のイメージ、つまり滑稽であり笑いがある場面にしたいと考えていた。衣裳も今まで作ってきた狂言の衣裳を使い、面白おかしい地獄の人間模様と場面を作った。とてもユニークな、子供達も大笑いするような喜劇の場面が出来上がった。

倶利伽羅峠で、弘知法印を地獄に引き込もうと戦う赤毛魔(Lucca)率いる
地獄の家来たち(Storm, Yuzuki, Grant, Blainn)。
左は、坂田公時を演じる市川團十郎役Benjamin。彼はマッチョでハンサム。黒いのは小烏天狗役の Kiyana

弘知法印を誘惑する地獄の女郎蜘蛛役”Rei”の演技はすごかった!

初代市川團十郎と弘法大師の鬘

夫は浮世絵に描かれている初代市川團十郎の髪型を私に見せ、「このような感じの鬘を作って欲しい」と頼んだ。私は花魁の鬘も何十個も作ってきた。侍の鬘も狂言の赤毛鬘など、いろいろ工夫しながら作ってきた。しかしこの團十郎の鬘は今まで見たこともないような髪型だ。「なんとも変だ!!」「こんなの作れるの?」

しかし作らなければならない。それもハンサム”Benjamin”君が演じるので、かっこよく仕上げなければならない。浮世絵そっくりとまではいかなくても、長髪、飾りをつけたBenjamin團十郎君によく似合った鬘ができたと思う。

夫が作って欲しかった坂田公時役(1697年曽我五郎を演じている初代市川團十郎)の鬘〜歌舞伎本挿絵

青鬼役のStormと市川團十郎役のBenjamin

また私にとって大きな問題は、弘法大師の剃髪であった。ただの坊主頭なのに頭を悩ませてしまった・・・。実は、弘法大師役のTaylorの頭は65センチもありフサフサカーリーロングヘアーだ。浅草で買ってきた宴会用坊主の鬘は全く入らない・・・。長い髪の毛はある程度切ってもらったが、頭自体が大きい!結局2つの坊主鬘を切って縫い合わせ、65センチぴったりの鬘を作ることができた。この鬘作りを手伝ってくれた由紀さんと出来上がった時は抱き合って喜んだ。

2つの坊主鬘を切って試行錯誤した鬘と舞台上のTaylor

出演する学生たちは全部で29名、2つの役を演じる学生もいるので黒子を含めると40役の衣裳を揃えなければならなかった。
私の役割は、どのような役を与えられようと(オーディションで決める)、一生懸命頑張ってセリフと動きを覚え、立派に演じてくれる学生たちを「舞台で輝かせる」ことである。地獄の鬼たち、顔を真っ赤に塗った赤鬼、蜘蛛の模様を顔に描いた女郎蜘蛛、質素な身なりの村人、それに比べて花魁の華やかな引き摺り着物、天女の美しい清楚な衣裳、馬の脚になる人、黒子など、それぞれの役割がとても大切で、どの役が抜けても劇は成り立たない。
衣裳係の役割は、どの役であってもその学生にあったその学生たちが満足してくれる衣裳を準備し着せてあげることだと思う。

1986年に初めて学生たちに浴衣を着せてあげた狂言の発表会から37年、次第に人数も増え、出し物も大きなものになっていった。2016年の「忠臣蔵」では、50人の出演者に80衣裳を準備したが、ハワイ大学から借りたものも多かった。今年の「弘知法印御伝記」の衣裳は、長年集めてきたものから今年新しく作ったものまで、すべて我が家にあるもので揃えることができた。
この英語歌舞伎「弘知法印御伝記」は夫と私が二人三脚で歩いてきたPSU日本伝統演劇の集大成になったと思う。
英語歌舞伎「The Adventures of High Priest Kôchi (弘知法印御伝記)」をYoutube で是非見ていただきたい。

The Adventures of High Priest Kôchi (弘知法印御伝記)

また、幸いなことに昨年に引き続き、PSU英語歌舞伎を早稲田大学演劇博物館、ドナルド・キーン財団、そしてドナルド・キーンセンター柏崎の創立10周年記念式典のために招聘していただき、短縮版を上演することになった。

*9月20日(水曜日)午後5時半から、早稲田大学大隈講堂にて
*9月23日(土曜日)午後3時15分から、新潟柏崎産業文化会館にて
お近くにお住まいの方には、是非見に来ていただけたらと思う。

田中 寿美

熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。

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