海外だより
2023.04.11
日本滞在〜佐渡島へ行こう〜④
新潟県長岡市にある「西生寺」を後にした私たちは、「ドナルド・キーンセンター柏崎」を訪れるために西へ向かった。ドナルド・キーンセンター柏崎は、2019年に96歳で他界されたドナルド・キーン氏を称え、その業績を後世に残すため、2013年に公益財団法人ブルボン吉田記念財団によって設立された。
キーンセンターを訪れた理由は、2023年9月に予定されているキーンセンター設立10周年記念式典及び講演会の打ち合わせのためだった。ポートランド州立大学で今年5月末に開催する英語歌舞伎「The Adventures of High Priest Kochi~越後國柏崎・弘知法印御伝記~」の講演を依頼されたからである。講演会は、9月23日に柏崎産業文化会館で様々な企画の元に行われる予定だが、大学の英語歌舞伎の部分実演を含めた講演を招聘してくださることになった。キーンセンターやこの講演会についてはまた別の機会にご紹介したいと思う。
ドナルド・キーン教授のニューヨークにあった書斎を復元したコーナー
打ち合わせを終えた私たちは、フェリーで佐渡島に渡るために新潟市に向かった。
新潟市では、2022年5月に内閣府より「SDGs未来都市」に選定された佐渡島に、東京に住む息子が是非行ってみたいと私たちに加わった。*SDGs〜Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標
息子は、無農薬、低農薬農業に従事するために佐渡島に移住した友人を通して佐渡島のSDGsに興味を持った。自分自身の仕事にも関係するので、この旅を楽しみにしていた。
さて、九州生まれ、人生の後半をアメリカで生活してきた私にとって、佐渡島は一生訪れることがないと思っていた島である。私の佐渡島のイメージは、「江戸期の金山」と「トキ」を保護している農業の島だった。日本では沖縄本島に次ぐ2番目に大きな島であっても、海の美しさや様々な問題で注目されてきた沖縄本島とは違い、話題になることも少なかったように思う。
しかし夫は、佐渡島が古来より多様な文化や芸術を産み育ててきた島であることを知り、この島をいつか訪れることを楽しみにしていた。この島に能舞台が最盛時には200も存在し、今も34の舞台が保存されていることを知る人は少ないのではないだろうか。 また近年では、世界中で活躍している鬼太鼓(おんでござ)や鼓童(こどう)和太鼓団の発祥の地として有名である。
牛尾神社の能舞台
大膳神社の能舞台
建物に施された芸術
佐渡島は、13世紀前半には平家の流れを組む順徳天皇が配流され、鎌倉時代の仏教僧日蓮も13世紀後半に鎌倉幕府から流罪の刑を受け2年半ほど居住した。
江戸前期には、当時日本海沿岸を西へ廻る海上輸送が発達した。佐渡島西南に位置する小木も寄港として利用されたため、佐渡島は江戸時代の物流の拠点として繁栄し、文化の影響も受けていたのではないだろうか。また江戸幕府が力を入れていた金山発掘に伴って多くの人々が移住し、1989年に資源枯渇のため廃坑するまでの間、島の人々の生活は豊かな金山によって支えられていた。
文化としては、17世紀に岡本文弥によって創始された「文弥人形」と呼ばれる人形浄瑠璃も伝わった。人形浄瑠璃は、佐渡島では明治から大正にかけてこの地で盛んに演じられたようだ。最盛期には40近くもの座が存在したとのことで、多様な文化を享受する社会の柔軟さに驚く。佐渡島の文化や芸術は、長い年月をかけ、この地に住む人々によって愛され継承されて行った。
今回佐渡島を訪れた主な目的は、この地で現存する唯一の人形劇団を主催しておられる西橋八郎兵衛(にしはし はちろべえ)氏を訪れることだった。
西橋氏は、1970年代後半大阪で文楽の人形遣いとして修業を積んでおられたが、佐渡島で継承されている「文弥人形」の人形芝居に惹かれ佐渡へ移住された。文弥人形座に入門し人形の遣いを学ばれ伝統を引き継がれた。また他の芸能の要素も含んだ芝居にも挑戦したいとの想いで、1995年に人形浄瑠璃の一座「猿八座」を立ち上げられた。
西橋氏が力を入れておられるのが、古浄瑠璃の復活上演である。古浄瑠璃とは、義太夫節よりも古い時代に成立した浄瑠璃で、現在では上演が途絶えた演目も多い。台本は残っていても誰も演じることができない「幻の浄瑠璃」を猿八座は現代に甦らせている。「越後國柏崎 弘知法印御伝記(えちごのくにかしわざき こうちほういんごでんき)」の復活公演を実現されたのは、この西橋氏率いる「猿八座」である。
夫は、この古浄瑠璃「越後國柏崎 弘知法印御伝記」を英語歌舞伎として台本を書き、2023年5月24日〜28日に大学で上演すべく準備を進めている。
西橋氏にお会いしてお話を伺うこと、そしてこの作品にかける自分の英語歌舞伎への想いを伝えたかったのである。
私は、西橋氏に2013年に新潟での「阿弥陀の胸割り」公演のあと少しだけお会いしたことがあるが、この度ご自宅に伺いゆっくりとお話ができ、本当に良かったと思う。西橋氏が人形にかけられる想いは、話してみなければわからなかった。
一つの木の塊から頭(かしら)を作られる過程、そしてその頭に面(おもて)を彫り、髪をつけ衣装を作り仕上げられる。全ての作業をご自分1人でされるとのことだった。西橋氏は、普段は舞台では使っていないという等身大に近い人形を見せてくださった。その面の美しいこと!西橋氏が人形にご自分の腕を添えられると、魂が入ったように優しさや喜び、寂しさや悲しさなどの表情が見事に表れる。西橋氏の人形を見つめられる穏やかな愛情いっぱいのお顔に思わず心が和んだ。このように長い間人形を愛してこられたのだと思った。
西橋八郎兵衛氏と人形
西橋氏のご自宅を後にした私たちが次に向かったのは、ご自宅から車で5分ほど下ったところにある「鳥越文庫」である。鳥越文庫は、早稲田大学名誉教授であった故鳥越文蔵氏(2021年逝去)が西橋八郎兵衛氏との関係からこの地に文庫を作られ、鳥越氏の蔵書20,000冊を寄贈された個人図書館である。誰でも自由に閲覧できる。
鳥越文蔵氏は、日本の国文学者であり、早稲田大学名誉教授であったが、1962年ケンブリッジ大学に派遣された際、大英博物館から「正体不明の本」があるので調査をしてほしいと依頼された。その本が「弘知法印御伝記」であった。「弘知法印御伝記」の原本は今でも大英博物館所蔵となっているが、鳥越教授は、その複写本を日本に持ち帰り、1966年に日本でも翻刻出版された。その本を元に人形を製作し、2009年に初舞台上演されたのが西橋氏である。
鳥越教授と「越後國柏崎〜弘知法印御伝記」、そして西橋八郎兵衛氏が住まれる佐渡島。そこに作られた鳥越文庫・・・。このような繋がりは「不思議なご縁」ではないだろうか。
佐渡島猿八地区にある「鳥越文庫」
西橋八郎兵衛氏と夫
2023年2月夫と私は、人形浄瑠璃文楽〜近松門左衛門作「心中天網島」を国立劇場に観に行った。満席であった。近年東京では文楽を楽しむ人が増え、チケットを取るのが難しくなっていると聞いていた。文楽を愛する人々がたくさんいると知り嬉しく思った。文楽を好きな友人が以前言っていたことだが、例えば舞台で俳優が死んでもあくまでも演技だが、人形浄瑠璃で人形が死んでしまうと、人形遣いが去って残された人形は本当に死んでしまったように思えて一層悲しいと。
文楽を見るのは、私にとっては久しぶりだったが、改めて人形や衣装の美しさ、そして3人で操られる人形の動きの細やかさに感動した。そして何よりも、話さない人形の心を語る義太夫、その迫力には驚き心を動かされた。人形に“命”を与える語りであると思った。
時代とともに社会や人々が求める娯楽は変化して行く。衰退の一途を辿るものも多い。西橋氏が率いる文弥人形「猿八座」がこれからも伝統を継承しつつ、新しい分野にも挑戦し、魅力ある人形浄瑠璃の世界を国内外に発信していかれることを願っている。
私たちは、佐渡島で文化に触れる充実した1日を過ごした。翌日からこの島にある別の宝物を探索できることを楽しみにホテルに戻った。〜つづく〜
田中 寿美
熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。