翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

ベトナムつれづれ。(10)街の音

港町ハイフォンでは、冬が近づくと、夜中にボボォーッという音が響きました。ハッと私は目が覚め、時計を見ると、だいたい午前三時半頃。バイクが静まる夜中にだけ、しかも夏が過ぎて気温が下がってくる季節にだけ、その音は聞こえてきました。

その音に私は聞き覚えがありました。小学校に上がる前、私は神戸の近くに住んでいたことがあります。時折、海の方からボボォーッという音が風に乗って聞こえてきました。

まさか、ハイフォンで同じ音に出合うとは思いもしませんでした。

<ニワトリ>

ハイフォンの朝は早く始まります。辺りはまだ真っ暗なのに、けたたましいニワトリの鳴き声に、私はたたき起こされたこともありました(毎日ではなかったが…)。

とはいえ、ニワトリが朝早く鳴くのにはそれほど驚きません。夜明け前だというのに、近所のどこかで突然マイクの電源が入り、キーンという音がした途端、日本の演歌に似たベトナム歌謡曲が流れ、男性や女性の、のびのびとした歌声が私の部屋になだれ込んでくることに比べれば。月に1、2回の頻度で、ふいにそれは始まり、1時間以上は続く。そして、やっと空が明るみ、バイクの行き交う音がし始めるとピタリと止むのです。

ある日、珍しく明るい時間帯(とはいえ、朝8時前)に歌が聞こえてきたので、音のする方向に歩いて行ったら、小さなお寺に着きました。境内には扇風機とマイクが立つ簡素なステージが設けられ、そこでアオザイ(ベトナムの民族衣装)を着た女性たちが歌に合わせて踊っていました。

アオザイ姿の女性たち
(旧正月・オペラハウス前)

朝だけでなく、昼も夜も、街のあちこちから、物凄い音量で音楽が流れてきました。路上の店からはズンッズンッというリズムが響き、道路の真ん中に現れた白い大きなテント(結婚式の披露宴が中で行われていたりする)からは歌声が飛び出す。そして、タクシーに乗れば、運転手が自分のお気に入りの音楽をかけ、歌い出すこともありました。

大きな音だね、と思わず私は独り言をつぶやいていました。いや、声がかき消されないように半分叫んでいました。私が参加したパーティーの会場で、またしても音楽がガンガン響いていたからです。

だって、小さな音だとみんなに聞こえないよ。みんなで楽しみたいのに。

その場にいた人が、そう満面の笑顔で返してきました。

ミー・タムのDVD

そのようなわけで、みんなが好きな音楽は、みんなが、みんなに聞かせようとします。だから、街中で頻繁に流れるメロディーが私の頭から離れなくなり、私もそのメロディーの虜になりました。

あの、心に訴えかけてくる歌を歌っている女性は誰なのだろう。どうしても知りたい。

その答えは、ある日、私が散歩帰りに立ち寄った近所の本屋で判明しました。レジの女性が、パソコンでYoutubeのカラオケ動画を見始め(私以外に客がいなかったから?)、そのメロディーを歌い始めたのです。後ろから私はこっそりと近づき、画面を覗き込みました。歌手の名前はミー・タム(Mỹ Tâm)。彼女の名前を知った途端、これで私も彼女の歌を練習できる、彼女の歌をベトナム語で歌いたい、と思ったのでした。単なる声の上げ下げにしか聞こえないベトナム語の声調も、微妙な発音も、無機質な決まり事でなく、メロディーの音程や音色のひとつだと思えばいい。そもそも、ベトナム語という言語自体がまるで歌のようではないか、と思えると、今までよそよそしく感じられたベトナム語が急に近くなったような気がしたのでした(ミー・タムをきっかけに、私はV-POPの世界に足を踏み入れることになった。V-POPもK-POPやJ-POPに負けないぞ、と個人的には思う)。

夕暮れ

辞書によると、ベトナム語を意味するtiếng Việt のtiếng(ティエング)は、言語を意味するだけでなく、音や声や時間も意味します。

ニワトリの鳴き声やお寺から響く歌謡曲は、ハイフォンの早朝の静けさを破り、バイクやトラックのクラクションの合間にどこからか流れるV-POPは、日中のせわしない道路の緊張をほどき、カンカンカンという鐘の音が夕暮れを知らせてくれました。狭い路地に大きなゴミの収集車は入れないから、ゴミを収集するおばさんがリヤカーを止め、鐘を鳴らして路地裏に入っていくのです。いつしか、私はこの鐘の音を聞くと、時計を見なくても、もうすぐ日が沈んでくる、とわかるようになりました(収集の時間は地域によって違うはずだが、私の家の近くは夕方だった)。

まるでベトナム語のtiếng(ティエング)の意味と同じように、いろいろな音が、ハイフォンの朝、昼、晩を緩やかにつなぎ、ハイフォンの時間を刻んでいました。そして、不可解な音の正体がわかる頃には、音は身体に馴染み、いつの間にか、その存在を意識することはなくなっていました。

市内のラクチャイ川に浮かぶ船

朝晩の気温が下がり、ちょうど冬が近づいてきた頃、夜中にまた、あのボボォーッという音が聞こえてきました。日本に帰国することが決まり、ハイフォンで過ごす最後の夜、いつものように私は寝て、その音で目が覚めました。もう正体はわかっています。船の音です。耳を澄ますと、あと1回だけボボォーッという音が聞こえ、その後、音は途絶えました。これから、この船の音を聞けないのだ、と思ったその瞬間、ハイフォンという街が奏でる「街の音」の存在に気づきました。

思い返すと、あの頃は、もっと耳を澄ましていたかもしれません。今、パソコンの画面で文字ばかりを追いかけていると、あまり音を意識していないことに気がつきます。街に「街の音」があるように、ことばにも「ことばの音」があるのに、つい、その存在を忘れてしまいます。

ほっと一息ついて、耳を澄ませば、その音は聞こえるかもしれないのに。

ほんの少しの間でも、目を閉じ、耳を澄ませば。

路上の店から流れる音楽

福田 理央子

慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。英検1級。

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