翻訳学習
2023.12.15
輪になって話そう、翻訳のこと(8)
紛争のニュースに涙し、ハラスメントのニュースに怒りを覚えた2023年。個人的には体調不良に悩まされた1年でした。でもいいことがなかったわけじゃない。文芸翻訳のオンライン講座に参加してくださる方が少なくなく、充実感を味わわせていただきました。みなさん、ありがとうございました。さて今年最後のコラム、シェイクスピアについてお話します。
ずっと昔、大学1年生の必修科目の英語講読だったか、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』(昭和52年29版、沢村寅二郎訳注、研究社新訳注双書)対訳を授業で読みました(今は古書扱い)。
かの有名なロミオとジュリエットなので楽しみにしていたのですが、のっけからちんぷんかんぷんのセリフの連続。対訳と注釈を読んで、18歳の私は絶句しました。たとえば、第一幕、キャピュレット家の召使サムスンとグレゴリーのセリフ。
Sam. … when I have fought with the men, I will be cruel with the maids, and cut off their heads.
Gre. The heads of the maids?
Sam. Ay, the heads of the maids, or their maiden-heads; take it in what sense thou wilt.
Gre. They must take it in sense that feel it.
Sam. Me they shall feel while I am able to stand: and ‘tis known I am a pretty piece of flesh.
サム。 …男との喧嘩が済んだら、女どもをぎゅっといわせて、頭のところを切り離してやるよ。
グレ。 女の頭かい?
サム。 そうさ、女の頭でも何の頭でもいい。その解釈は君に任すよ。
グレ。 生きてる奴なら、しみじみ感じるにきまってる。
サム。 おれの方が突っ立てる間は、きっと向うで感じるさ。何しろおれは評判の強蔵だからな。
そして注釈。
恋愛物として切なく美しい物語のはずが、俗っぽい表現が散りばめられたセリフで始まっていて、あとの授業はどうしたことやら記憶にありません。そしてこれ以来シェイクスピアを敬遠するようになりました。
ところがそれからン十年、美しく可愛らしいバレエの絵本『バレリーナは、どこ?』(河出書房新社)で『ロミオとジュリエット』『真夏の夜の夢』を訳したり、シェイクスピアを特集した柴田元幸先生のMONKEY vol.24と『シェークスピア・カバーズ』(イッセー尾形、スイッチパブリッシング)を読んだりする機会があって、改めてシェイクスピアを読み直してみようとか思い始めました。そして先月、シェイクスピアを研究している先輩から『シェイクスピア、それが問題だ!』(井出新著、大修館書店)を紹介されたのでした。
シェイクスピアの生涯や人となり、時代や作品について、Q&Aでまとめた本です。肩ひじ張って読む必要はありません。あとがきによれば、文学部の学生たちが「洞察に満ちた鋭い質問、考えさせる良問、意表を突く奇問、ハンパない難問、訳のわからない珍問」を寄せてくれたそうです。たとえば「どのくらいの年収と資産がありましたか?」「犬派ですか、猫派ですか?」(‼)、「どんな客が芝居を観に来ていましたか?」「エリマキトカゲのような襟は流行?」「時代考証してませんよね?」「その変装、ふつうはバレますよね?」「〈死〉とか〈時〉もキャラになるのですか?」など、質問を読むだけで興味が湧きます。どこからでもランダムに読めるのもありがたい。「当時、演劇はどんな娯楽でしたか?」の答えによると、大衆劇場は娯楽施設で、客の目当ては芝居だけではなく、芝居のあとで喜劇役者たちが登壇して「刺激の強い噂話か下ネタ話、…猥雑で卑猥なもの」を披露するのも楽しんだとあります。セリフに「猥雑で卑猥な」表現があっても、不快に思う客はいなかったんでしょうね…。
そしてこういう質問も。「二重の含意(ダブルミーニング)の使い方は?」。回答ではハムレットのセリフに出てくるsunとsonを使って説明しています。また『ヘンリー五世』ではテニス用語のcourt(テニスコート)、match(試合をする)、crown(ゲームの掛け金)などがダブルミーニングで使われているとか。著者曰く「…イメージを膨らませたり、鋭い皮肉を込めたり、卑猥なことを仄めかしたり。言葉の天才に付き合うには相当の注意力が必要です」
いやいや、知識も必要! 聖書も神話も当時の文化も作品の隅々に潜んでいます。そう考えると、やっぱりシェイクスピアは英文学を読む者にとって避けて通れない古典なんですね。最近は読みやすい翻訳が出ていますから、就寝前の5分間、ミニ読書タイムのお供にしてみたらどうでしょう。松岡和子さん訳の『お気に召すまま』(ちくま文庫)をジャケ買いして読みましたが、多少の「卑猥な」表現に負けることなく(さすがにこの年齢ですからね)楽しめました。注釈も訳者あとがきも、興味深く読めましたよ。次はどの作品にしましょう。
斎藤静代
東京外国語大学英米語学科(当時)卒。産業翻訳や大学受験添削指導を経て出版翻訳へ。出版翻訳歴20余年。訳書は『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)、『ロシアの神話』(丸善ブックス)、『ドラゴン:神話の森の小さな歴史の物語』(創元社)、『ママ・ショップ』(主婦の友社)、『千の顔をもつ英雄』(早川書房)、『バレエの世界へようこそ』『刺繍で楽しむイギリス王立植物園の花たち』(ともに河出書房)など。サン・フレアアカデミー誤訳コラムで「ノンジャンル誤訳研究」を執筆中。