翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

ベトナムつれづれ。(3)道路とは?

ベトナムでは、自宅の向かいにある食料品店に買い物に行くたびに、私の心臓がバクバクしました。家の前の道路に、歩行者用の信号がなかったからです。一体、どこを渡れというのでしょう。ある日、横断歩道用の白い線が引かれ、渡る場所がようやく決まったと喜んだのも束の間、歩行者ではなく、バイクたちがシマシマの塗装を踏んづけていくだけ。白い線は埃にまみれて茶色になり、消えて見えなくなった。あれ、何だったんだ?結局、自分で道路を適当に区切って渡るしかありません。でも、バイク軍団は次から次へと押し寄せてくる。何かがちょっとでもズレたら轢かれる。ハイフォンで生活し始めてからしばらくの間、私は怖くて震えていました。記念すべき道路横断デビューの日、私は目を閉じ、エイヤッと一気に渡りました。自分の視界からバイク軍団を消してしまえば、恐怖感も消せると思ったのです。

乗っていた車が大通りに入った途端、渋滞に巻き込まれて動けなくなりました。見回せば、ピンク、黒、青、赤、白…。色とりどりの丸いヘルメットが日光に反射され、生き物のようにゆらゆら動いています。バイクの2、3人乗りは当たり前、4人乗りも珍しくありません。幼い子ども2人を、父と母がサンドイッチの具のようにして挟んでいます。タンスのような大きさの荷物を載せたバイクも混じり、それらが車の横すれすれに滑り込んできます。危ない!その時、運転手さんが突然私の方に向き、「この道路、どう思う?」と聞いてきました。こんな時に冷静に感想を求めないでよ。私は沈黙するしかありませんでした。

タクシーで家に帰る途中、四叉路(四本の道路が分岐している)交差点に差しかかったときのことでした。道路一本でもスリル満点なのに、ハイフォン市内には、このように道路が何本も集まる交差点がいくつもあります。複雑な場所だからといっても信号はなく、別々の方向からやってきた車やバイクが、行こうと思った時に行きたい方向に進むだけです。それぞれが、相手の動き(逆走もある)を考慮しながら目的の道路に少しずつ近づき(自然と交差点を回るような動きになる)、隙間を見つけた瞬間に道路に突入します。危険だな、と思っていると、乗ったタクシーは、チャンスを逃したのか交差点を1周し、また目的の道路を通り過ぎて2周し、えっ、3周?メリーゴーランドじゃないんだけど!ムッとして運転手さんに視線を向けると、あくびをしながら、ムニャムニャつぶやきました。「…quên忘れた」。行き先を忘れたのか、私が乗っているのを忘れたのか、運転手さんはポカンとしている。その時、私のお腹が鳴りました。そういえば、そろそろお昼ご飯の時間だった。何食べようかなぁと運転手さんも考えていたような…。空腹感、いや連帯感が芽生え、二人とも目を合わせて苦笑い。目がクルクルしながらも無事に帰路についたのでした。

道路は遊園地だ。そう思うと、道路を観察する余裕ができました。バイク軍団だけが道路を走っているわけではありません。よく見ると、ノンラー(円錐型の帽子)をかぶったおばちゃんが、買い物袋を後ろにくくりつけてスイーッと自転車を漕ぎ、赤いスカーフの制服の学生さんもリュックを背負ってコキコキと自転車を漕いでいます。おじさんが、鉄の棒らしきものを積んでリヤカーを引いてきたと思いきや、時にはロバ(馬?)も一緒にパカパカとやってきます。真っ直ぐ進む人もいれば、バイクに乗ったまま道路脇の露店に寄り、フルーツを買って再び道路に戻ってくる人もいます。車もバイクも自転車もロバ(馬?)も学生も大人も、みんな同じ道路を走っています。それぞれスピードも少しずつ違う。途中の出入りも自由。誰も急かさず、誰も排除せず、みんなで緩くまとまって一緒に前に進んでいきます。本当に危険ならば、こんなことはできないでしょう。飛び込むのは勇気がいるけれど、いったんその中に入れば大丈夫なはず。危険に見えた道路は、丸ごと何でも受け入れてくれる道路でした。

もう道路を怖がるのはやめよう。バイク軍団の波にも切れ目があるのがわかりました。道路の前に立ち、目を凝らし、向こうからやってくるバイクたちの先頭部分をつないで見てみると、一本の線になる瞬間があります。その時が渡るタイミングです。ただし、1. 初めからキレイな切れ目を期待しない。多少ジグザグの線でも良しとする(最初から完璧を求めない)。2. 大型トラックや車が列に混じるときは渡らない(いきなり難しいことはしない)。3. 走らない。渡り始めたら、怖くても途中で止まらない(慌てない。途中で投げ出さない)。4. 進行方向だけでなく、反対方向も気にする(いろいろな角度から考える)。5. 渡りますよ、とバイク軍団にアイコンタクトをする(怖じけず、積極的に働きかける)。もちろん、時間帯や交通量によっては、5分以上待たなければならないこともあります(すぐに成果が上がらず、心が折れそうになるかもしれない)。でも、諦めなければ必ず渡れます。目をしっかり開けていれば、突破方法が見つかる(翻訳学習でもきっと同じ)。ハイフォンの道路は、未知なるものに対する心構えを私に教えてくれました。

福田 理央子

慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。

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