翻訳ひといきコラム

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翻訳学習

ベトナムつれづれ。(5)アオザイづくり職人

ベトナムで仕立ててもらったアオザイ*を時々取り出しては、「職人」ということばについて私は思いを巡らせています。私のアオザイをつくってくれた女性たちは、港町ハイフォンの教会にあった小さな店の「職人」でした。

ハイフォンの道路沿いや路地裏には、フランス統治時代の建築物が、背の低い民家や店舗に混じって建っています。市内を散策していると、ヨーロッパ風の教会が、絵画から抜け出てきたかのように突然視界に現れてきます。

教会

散策の途中に教会を見つけたある日、私はその敷地内に教会とは別の小さな部屋があることに気がつきました。半開きのドアから部屋の明かりが漏れてきます。中に見えたのは、黙々とミシンに向かっている数人の女性たち。天井からは色とりどりの布やアオザイが吊り下がっていました。アオザイを仕立てている店のようです。私がドアを開けて覗き込んでも、女性たちは視線を手元にやったまま誰も気づきません。その日、私は中に入らずに帰りました。

その後も私がその教会の前を通りかかるたびに、女性たちの姿が見えました。布をパッと広げたり、下を向いて手を動かしていたり、いつ見ても手を休めている人はいません。地味なシャツとズボン姿で、店内にぶら下がる色鮮やかな布をかき分け、きびきびと動き回っている。そんな女性たちの姿が私の記憶に刻まれていきました。

女性たちの作業姿

半年経って、私は店の中まで入ろうと決意しました。それまでに市内の布市場(布だけを専門に売る市場が湖のほとりにあった)や他のアオザイ店も回ってみましたが、何かがピンときませんでした。女性たちの作業姿を思い出し、自分のアオザイを作ってもらうならばやはりあの教会の店にしよう、と思い至ったのです。

「私はアオザイを買いたい」

会話帳から暗記した例文をそのまま言うと、私と目が合った女性は笑顔で頷きながら、腰を掛けるようにイスを差し出してくれました。

それから、女性は店の奥から次々とアオザイを持ってきて私の前に置きました。私は店の片隅にある試着室(布で仕切られただけの空間)で一枚一枚着替え、そのアオザイ姿を女性たち(私を囲む女性がいつの間にか増えていた)に披露しては、サイズが「合ってない」と全員に首を振られ(1ミリの隙間も見逃さない)、試着させられるアオザイがどんどん身体に張り付くサイズになっていきました(日本ならば逆にサイズを大きくしていくはず)。この流れでいくと、一連の着せ替えコレクションの中から買うことになるかもしれない。私は生地から仕立ててほしいのに。

「May マイ」(ベトナム語で「縫う」という意味)

天井からぶら下がる布を見上げ、一枚一枚を人差し指でさしながら、私は覚えてきたベトナム語で言いました。あなたたちに縫ってもらいたい、という熱意を込めて。女性は、私の仕草で合点がいったようです。

それから心配そうに、「1か月(かかる)」と女性は言いました。アオザイを仕立てるには数日では足りません(ただ、観光地では数日で仕立ててくれる店も多い)。「ハイフォンに住んでいる」と私が言うと女性はようやく安心し、布を選ぶよう私に勧めました。

蓮の花のアオザイ

私は蓮の花がプリントされている布を選びました。いつの頃だったか、土砂降りの雨の後、リヤカーを引いていた女性からピンクの蓮の花を買ったことがあります。ゆっくりゆっくり時間をかけて花開くその姿に、どれだけ私の心が癒されたことか。布に描いてある蓮の花を見て、その時のことを思い出しました。

布が決まれば採寸です。私は机の前に立たされ、「名前を書いて」とノートを差し出されました。それから、身体のありとあらゆる部分にメジャーをあてられ(15か所くらい)、採寸係の女性が数字を読み上げると、記録係の女性がノートに書きつけていきます。雑念を取り払い、対象を正確に把握することに専念します。アオザイの基礎となる情報の収集は、淡々とすべきものなのです。

さらに、襟の高さや袖の長さといったディテイル(文章でいうところの修飾部分)も疎かにしません。女性はメジャーを片手に私をじっと待ち、私が「そこ」と具体的な高さや長さを指定するまで私の身体から手を離しません。「適当でいいよ」は許されない。細部の細部まできちっと詰めていくのです。

とはいえ、細部ばかりに着目しているわけではありません。ズボンの色は、全体との調和を考えて袖の色と同じ派手なピンクにするよう強く勧められ、「地味な黒がいい」という私の希望はそれとなく却下されました。いくら細部が完璧でも、全体との関係性を無視しては意味がないのです。

私はアオザイを仕立てる工程を、いつの間にか翻訳の工程に重ね合わせて理解しようとしていました。

布市場で買った生地

1か月後、私はアオザイを取りに行きました。その場で試着すると、あの一回の採寸で?とびっくりするほど私の身体にピッタリでした。

この時も、女性たちは私の横でアイロンがけをしたり、布を裁断したり、それぞれが作業をしていました。ごく当たり前に、何でもないことのように。すべては日常動作と何ら変わりなく、特別なことをしているようには見えません。時には飛び入りのお客にもにこやかな顔で対応しながら、その間にも手を動かし、目の前の作業を着実に進めていく。そうして1か月後には、普通の人には一生かけてもつくりえない、緻密で繊細なアオザイが完成するのです。

仕立てられた蓮の花のアオザイを見るにつけ、私は考えます。「職人」は、難しいことをやってのけるから「職人」なのではない。むしろ、この女性たちのように、ごく自然に、必要とされる作業を淡々とやり続けられるからこそ「職人」なのだ、と。蓮の花がゆっくりゆっくり開いていくように、一歩ずつ完成を目指して作業を積み重ねていくことができる。大したことはないよ、と笑顔のままで。これが「職人」のもつ最高の技術なのだと思うのです。

*アオザイ:ベトナム語でアオáoは「上衣」、ザイdàiは「長い」の意味で、直訳すると「長い上衣」(南部方言ではアオヤイと発音する)。女性用のアオザイは、腰までスリットの入った、着丈が足首までの長い上衣とワイドパンツのようなズボンのセットをさす(男性用のアオザイもある)。チャイナドレスが起源とされているが、19世紀のフランス統治時代の影響で西洋の要素が取り入れられた。デザインは今やミニ丈や襟のないものなど様々なバリエーションがあり、年によって流行もある。ベトナム映画「サイゴン・クチュール」(今はDVDで観られる)には、アオザイの仕立屋や近代的なデザインのアオザイが登場する。

福田 理央子

慶応義塾大学法学部卒業。同大大学院法学研究科修士課程修了。小学校時代のほとんどを米国で過ごし、英語を使う仕事に興味をもつようになる。法務分野の和訳と英訳両方のTQEに合格後、フリーランス翻訳者としての仕事をスタート。現在は、主に法務分野の翻訳(英日・日英)に携わる。「ことばのエキスパート」を目指して法務翻訳以外(街歩きガイドブック、交渉学の論文アブストラクトの英訳など)にも積極的に取り組む。密かにポリグロット(多言語話者)に憧れ、英語以外の言語も少しずつ勉強中。英検1級。

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