翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

わたしと翻訳 ~真野さんの場合~

今回の(株)サン・フレア登録翻訳者インタビューは、特許明細書(医薬)分野の翻訳者 真野美帆さんにお話をうかがいました。
・登録分野(言語方向):特許明細書 医薬品(特許分野では主に英日) ・翻訳者歴:約30年

翻訳者になろうと思ったきっかけ

いま思うと、気づけば翻訳者になっていました。
大学は文学部英文学科。いかにも翻訳者あるあるな経歴ですが、実際のところ、学生時代はそれほど真面目に勉強していたわけでもありません。そして翻訳者になるんだと思っていた訳でもありません。なぜなら、私は通訳者になりたかったので。それでも、なんだかんだで翻訳と一緒に歩いてきて、気づけば今の場所に立っている。人生とは不思議なものです。

英語力ほぼゼロからアメリカンスクールへ

私が英語を本気で勉強することになったのは、父の仕事で台湾に引っ越したからでした。中学は日本人学校があったので問題なし。しかし高校からは、現地校かアメリカンスクールか(あるいは一人で帰国 ← 絶対ムリ)。どちらにせよ英語必須。逃げ場ゼロ。一応、中国語も習ってみたのですが、「あいうえお」レベルで先生に「センスなし」と言われ、潔く撤退。そもそも中国語は発音だけでも非常に難しい。

こうして私はアメリカンスクールを目指すことになりました。ところが、英語力はほぼゼロ。母が連れてきた外国人英語教師はとにかく怖く、椅子をバンッと叩く音が家中に響き渡り、母は「かわいそうだったわねぇ」と今でも語ります(だったらもっと優しい先生を探してほしかった、と思いますが)。今振り返れば、「英語ゼロの子をアメリカンスクールに入れる」という無茶ぶりに挑んでくださっていたのでしょう。当時の私は泣きながら、四六時中勉強していたため睡眠不足に耐えながら、それでも必死に食らいついていました。

苦労して身につけた英語を使わないのは、さすがにもったいない。この「もったいない精神」が、のちのち私の人生を動かすキーワードになります。

「私の翻訳放浪記」

翻訳の仕事は、最初は自動車部品工場のコレポン翻訳から始まりました。慣れてくると契約書や外国人アテンドまで任され、気づけば3年。その後も携帯電話メーカー、保険会社(少し通訳も)、企業情報調査会社(2回お世話に)、溶接棒メーカー(渋い)など、翻訳放浪記は続きます。

ただ、年齢とともに「そろそろ専門性がほしい」「腰を落ち着けたい」という気持ちが芽生え、サン・フレア アカデミーで学び直し。特許・バイオ医薬分野へ進出しました。「新薬開発を助けて世界を救いたい!」という立派な動機があればよかったのですが、実際は「仕事が多い分野はどこだ?」という現実的な調査結果でした。

専門分野を持つと翻訳は一気に面白くなります。同時に、一気に難しくもなります。
「あ、これは軽い気持ちで来ちゃいけない世界だったな」そう思ったのもこの頃です。翻訳者登録をしても仕事は思ったほど増えず、「え、登録したら自動的に仕事が来るんじゃないの?」という甘い幻想はあっさり崩壊。

そこで悟りました。「待ってても来ないなら、こっちから行くしかない」翻訳会社だけでなく特許事務所にも応募しました。モットーは「いただいた仕事はなるべく断らない」(ただし3件同時は無理でした。人間ですから)。

地味な積み重ねが、少しずつ道を開いてくれました。

「文系か、理系か」問題

「翻訳者になるには文系と理系、どちらが有利ですか?」よく聞かれるそうですが、私の答えはいつも同じです。「どちらでも大丈夫。ただし勉強は一生」必要な知識は後から身につきます。ただし、身につけ続ける覚悟だけは必要です。

特許やバイオ医薬分野では、翻訳より「理解」に時間がかかる日も多く、「今日は読解で終わったな……」という日も珍しくありません。でも、うまく訳せたときの達成感は、しっかり帳尻が合います。

現在は原子力関連の機関で、翻訳を中心に「英語まわりの何でも屋」。海外来客対応もあり、スピーキングも必要です。そこで気づいたのです。「……あれ? 私、しゃべれない。」

数年間の在宅翻訳で、口の筋肉が完全に冬眠していたようです。慌てて英会話レッスンを再開し、ついでに通訳の勉強にも再挑戦。ここでも発動する「もったいない精神」。

今の私は、すっかり学生気分です。学生時代は「勉強=しんどい」でしたが、今は「勉強=ワクワク」。ただし、先生に指名される瞬間のドキドキだけは永遠に慣れません。もしもっと賢い生徒だったら、このドキドキもなかったのでしょうか。……たぶん答えは「いいえ」。少なくとも私は、そう思うことにしています。

結局のところ、前を向いて、学び続けて、自分を少しずつアップデートしていく。
翻訳も人生も、どうやらその繰り返し。気づけば始まり、気づけば続き、気づけば今ここ。
そんな私の翻訳人生は、しぶとく続いています。

「当時の私は泣きながら、四六時中勉強していたため睡眠不足に耐えながら、それでも必死に食らいついていました」真野さんが高校一年生頃の話です。ほかに選択肢がなかったとはいえ、本当に大変だったと思います。ゆっくりご飯を食べて、しっかり寝て、今なら“推し活”なんかしながら友達と青春を楽しみたかったはず。そう思わずにはいられません。でも、挫折せずにやり遂げて、せっかく身につけた技術を絶対に錆びつかせない、という強い気持ちが伝わってきて、生まれながらの翻訳者(あるいは通訳者)に出会ったような気がしました。(Y.H.)

サン・フレアアカデミー

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