翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

翻訳学習

輪になって話そう、翻訳のこと(14)

猛暑お見舞い申し上げます。

暦通りなら「残暑お見舞い申し上げます」とご挨拶すべきところですが、この厳しい暑さ。ずっと「猛暑」を使わなければならない気がしてきます…。そして暑さに加えて水害に見舞われた地域の方々はどんなにか悔しくて苦しい思いをされているか。毎年毎年繰り返される被害をニュースで見る都度、言葉を失います。心よりお見舞い申し上げます。

さて今回は英訳者の話。7月、王谷晶さんの『ババヤガの夜』(河出書房新社)がイギリスのダガー賞(英国推理作家協会がすぐれた犯罪小説やミステリー小説に贈る賞)の翻訳部門で受賞したというニュースが、いろいろな媒体で紹介されました。授賞式の様子はYouTubeで見ることができます(もう一人の受賞者 翻訳家サム・ベットさん ダガー賞「ババヤガの夜」英訳に込めた思い)。彼女のスピーチは端的でユーモラス。楽しく聞けました。授賞式の出席者も魅了されているようでした。そして翻訳者のサム・ベットさんの通訳もよかった。サムさん、面白い人ですね。翻訳について苦労したこととか考えたことを日本語で丁寧に話しているのも興味深く聞きました。彼は日本文学を研究していて、日本語と日本文化を熟知しているので、その翻訳は日本語ネイティブが王谷さんの作品を読んで楽しむように英語ネイティブを満足させるのでしょう。彼のようにはなれなくても、翻訳の世界にいる者として、できるだけ多くの資料(本、雑誌、インターネット、DVD等)に当たって、少なくとも目の前の作品の時代背景やものの考え方の理解に努め、そうして読者に満足してもらえる翻訳を目指したい。改めてそう思わされました。

ところでサン・フレア アカデミーの2025年第2期通学・オンライン科で担当する文芸翻訳和訳演習(オンライン形式)では、ロシア語から英訳されたチェーホフのThe Postを読みます。イギリス人翻訳家コンスタンス・ガーネットによる訳です。実はかつてサン・フレア主催「翻訳勝ち抜き道場」で、『50 Great Short Stories』 (Bantam Classic)に所収されていたチェーホフのAn Upheavalを出題したことがありました。訳者は同じくコンスタンス・ガーネット。このとき、翻訳を勉強するのにロシア文学の英訳を使うんですか、と問われて答えにつまったことがありました。どう回答したかは忘れましたが、今ならこう答えます。サム・ベットさんが翻訳者として表彰されたことを考えると、翻訳文も立派な作品だと言えるのだから、その作品を翻訳の勉強に使うことには何ら問題はないでしょう。それにBantam Classicに所収されているくらいなのだから、出版社・編集者も英米語の作品として認めているはずです、と。

ロシア文学というと重厚で難解なイメージがあり、わたし自身、敬遠する傾向にありました。でも上で挙げたような作品を読んで、登場人物が身近に感じられたり、意外に読みやすいと思ったりして、敷居が低くなった気がしています。英訳という形ですが、ロシアの風土や人の生き様はちゃんと読み取れます。コンスタンス・ガーネットによるロシア文学の英訳作品はたくさんあるようですから、ぜひ一度お試しください。

そういえば2023年4月期の文芸翻訳和訳演習では、モーリス・ルブランのThe Arrest of Arsène Lupinを英訳で読みましたね。訳者はジョージ・モアヘッド。とても読みやすい英訳でした。アルセーヌ・ルパンシリーズは日本語訳がたくさん出ていますが、せっかくグーテンベルクにあるのですから、英訳で読んでみるのもいいですね。

昭和41年(1966年)第15版。家人の本棚に残っていました!

こうしてみていくと、翻訳者の存在って大きいなあ、と改めて実感します。黒子でありながら、その作品の良し悪しを決める存在。読書への興味をかきたてる存在。しっかり読んでしっかり調査してしっかり訳文を練って、多くの読者に楽しみを届ける仕事。責任とやりがいを感じる仕事です。

チェーホフのThe Postを読むサン・フレアアカデミーの文芸翻訳和訳演習(オンライン形式)は10月11月に4回開講します(スケジュールはこちら)。郵便馬車で鉄道の駅まで送ってもらうことになった学生と、不機嫌な郵便集配人とのやりとりが描かれる短編です。一緒に読んで訳してみませんか? ご参加、お待ちしてます。

 

斎藤静代

東京外国語大学英米語学科(当時)卒。産業翻訳や大学受験添削指導を経て出版翻訳へ。出版翻訳歴20余年。訳書は『オードリー リアル・ストーリー』(アルファベータ)、『ロシアの神話』(丸善ブックス)、『ドラゴン:神話の森の小さな歴史の物語』(創元社)、『ママ・ショップ』(主婦の友社)、『千の顔をもつ英雄』(早川書房)、『バレエの世界へようこそ』『刺繍で楽しむイギリス王立植物園の花たち』(ともに河出書房)など。サン・フレアアカデミー誤訳コラムで「ノンジャンル誤訳研究」を執筆中。

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