海外だより
2024.02.21
ドナルド・キーン・センター柏崎
「ドナルド・キーン・センター柏崎」は、2013年9月に公益財団法人ブルボン吉田記念財団 によって設立された。“ブルボン”という名称が入っているのは、この財団が、新潟県柏崎市に本社をおく有名な大手菓子メーカー“ブルボン”によって設立されたからである。
さて、このセンターの主役であり名称となった故ドナルド・キーン教授(2019年2月逝去)は、ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ち。戦後から逝去される数年前までニューヨークのコロンビア大学(Columbia University)で教鞭を取られていた。
日本文化研究の第一人者であり、日本文学の世界的権威である。
日本文学・文化の欧米への紹介に数多くの業績があり、その功績に対し2008年に文化勲章を授与される。また、東京の北区に住居を構えられ、ニューヨークと東京で2拠点生活を続けられていた。
ドナルド・キーン教授/ドナルド・キーン・センター柏崎
では、なぜその教授の功績を残すための資料、展示、講演会施設をニューヨークや東京だけではなく柏崎市にも開設されたのだろうか。
2023年の私のエッセイ(日本滞在〜古浄瑠璃「弘知法印御伝記」について〜②)の中でも紹介したが、早稲田大学名誉教授・故鳥越文蔵氏は、ロンドンで発掘された江戸時代初期にただ唯一残った古浄瑠璃本「越後國柏崎 弘知法印御伝記」の復刻本を日本に持ち帰られた方である。キーン教授と鳥越教授は親しく、この作品の復活上演に向けて話を進められていった。ここから柏崎とのご縁が始まったようだ。そしてこの古浄瑠璃復活上演の実現は、キーン教授の晩年の人生にとって、最も大切な意味を持つことにもなった。
古浄瑠璃を復活すると言っても、この作品は、1685年から消息が途絶え日本で上演されたことがないもの。また原本が350年以上も日本に存在しなかった作品である。このような作品を誰が再現できるのか?どのような人が文字を読み起こし、文弥節という曲を創作し謡うことができるのか?
その上に文弥人形という一人遣いの人形劇の人形を作り人形劇にしなければ復活上演はできない。きっと難題が山積みであったことだろう。
しかし「望めば道は開ける?」とは、デール・カーネギー(Dale Carnegie)の言葉か。そこに長い間文楽の三味線奏者として活躍されていた鶴澤浅造氏(本名・上原誠己氏)とキーン教授との出会いがある。
上原氏は、「越後國柏崎 弘知法印御伝記」の古文書を鳥越教授やキーン教授と協力し読み解き、2年の歳月をかけ文弥節の曲を仕上げていかれた。
また「越後國柏崎 弘知法印御伝記」の復活上演については、上原氏と協力し文弥人形浄瑠璃を上演にこぎつけられた西橋八郎兵衛氏の存在も大きい。西橋氏は、新潟県佐渡島に住まれ、活動の拠点が新潟である。このように多くの人との繋がりが新潟にあることも不思議な巡り合わせである。
上原誠己氏も新潟県のご出身である。
この作品は、創作開始から2年の歳月を経て、2009年に新潟市と柏崎市で、2010年に東京で上演されるに至る。また2017年6月「里帰り公演」と称し、イギリス・ロンドンでも公演が行われた。多くの人が350年の時を経て日本とイギリスを繋ぐ古浄瑠璃「越後國柏崎 弘知法印御伝記」の存在を知り、遠き昔に想いを馳せ楽しんだことだろう。
上原氏にこの膨大な気の遠くなるような作業の大変さを伺うと、上原氏は「この作品を作り上げている間、私は本当に楽しかったのですよ!」と答えられた。
2011年の東日本大震災後、日本に帰化し日本人になられたキーン教授は、翌年2012年に上原氏を後継者のご養子として迎えられた。
規模の大小を問わず、ある人物の人生を結集したセンターを作るには、膨大な努力と人手、資金などが必要となってくる。キーン・センターの建物は、既存の建物を改造されたとのことであるが、3階建ての素晴らしい建築物である。その中には、キーン教授のニューヨークにあったご自宅を移設し復元した展示室がある。何度もキーン教授のニューヨークのご自宅に伺ったことがある夫は、初めてこの部屋を訪れた時「もし窓から見えるハドソン川が本物であるなら、まるでキーン先生のニューヨークの自宅にいるようだ」と言った。
ニューヨークから移設されたキーン教授の自室。
左側の窓に見えるのはハドソン川(写真)である。
映像室
展示室―常設の展示とシーズンによって色々な企画展示会が催されている。
しかし、これだけ立派な建造物にキーン教授の部屋を再現し、蔵書を集め、キーン教授の業績を伝える展示室、講演会や人形劇などの公演ができるセンターを作るためには多額の資金が必要だったことだろう。キーン教授と新潟、柏崎とのご縁があるからと言ってもこのセンターを作るための資金は、莫大なものだと想像に難くない。
では、ブルボン社が多額の資金を投入しセンターを作られたのはなぜだろう。
私はこの件について主催者の方に直接お話を伺ったことはないが、この施設を作られるにあたっては、ブルボン社の社長を初め、幹部の方々の文化に対する深い理解があったこと。このセンターを通しては、キーン教授の功績ばかりでなく、様々な文化紹介、イベント、交流を通し、多くの人々の知的交友の場となってほしいという信念があったからではないだろうか。
キーン教授の元で博士論文を書きコロンビア大学の博士号を取得した夫は、オレゴンのポートランド州立大学(Portland State University~PSU)教授となってからもキーン教授と親しくさせていただいた。自分の大学へも5回招聘し、講演会を企画した。
そのような恩師の業績を集結したセンターができると知った時、夫はセンターの開所式に出席したかった。しかし、大学での用事と重なり出席は叶わなかった。
2年後の2015年末、夫と私はキーン・センターを訪れることにした。事前に訪問することを連絡していたため、キーン・センターの理事を勤められているブルボン社の社長夫人吉田眞理氏と理事の中津義人氏が迎えてくださった。
たまたまその当日、センターではボランティアをされている方々の講習会が催されていた。吉田氏の依頼で、夫はキーン教授との思い出や大学で教えている日本伝統芸能授業についてお話をさせていただくことになった。
ボランティアの皆さんは、夫が教えている日本伝統芸能の授業やアメリカ人がどのように日本の文化に興味を持ち大学の授業を通して習得していくかなどを興味深く聞いてくださった。
これを機に、翌年から毎年末、夫と私はキーン・センター柏崎で講演会をすることになった。夫は、その年のPSU学生による日本伝統芸能公演について、私は主に英語歌舞伎のために作る衣裳、鬘や小道具などについて講演をした。これは2019年12月のパンデミック前まで続いた。
特に大きな講演会となったのは、2017年12月、ブルボン本社の最上階でその年の春に上演したPSU英語歌舞伎についての講演会であった。会場には満席の約250名の観客が来てくださった。講演会の内容は、泉鏡花の「天守物語」及び「傀儡師〜かいらいし」であった。
この年は、すでに金沢で泉鏡花祭があり、「天守物語」の主役を演じた学生たちを金沢市での公演に出演させるため連れて行っていたので、大学から柏崎に引率した学生は、「傀儡師」で「八百屋お七」の人形振り踊りを披露したDevonであった。元バレリーナであるDevonの素晴らしい日本舞踊と人形振り踊りに、満員のお客さんは万雷の拍手をくださった。
2017年11月の金沢市「泉鏡花フェスティバル」の講演会ポスター
2017年12月、柏崎ブルボン本社での講演会にて日本舞踊を踊るDevon
講演とDevonによる歌舞伎化粧の実演
「八百屋お七」の踊り
パンデミック中の2年間は、芸術、芸能関係者にとっては苦悩の時期であった。夫の大学でも2020年は公演ができなかった。しかし、夫は、まだパンデミックが終息していない2021年春、学生たちの要望もあり、大学でパンデミック後初めての舞台を決行した。大学側から無観客であれば良いとの許可をどうにか得ての公演だったが、Live Streamで全世界に配信したため、反応は大きかった。
2022年5月には、念願の英語歌舞伎「鰯賣戀曳網」の公演をPSUの大学で4日間行った。この作品は、早稲田大学・坪内記念演劇博物館とドナルド・キーン財団との共催で東京に招聘していただき、9月末、早稲田大学で講演と部分公演をおこなった。
この早稲田大学の講演会をキーン・センター柏崎の吉田氏と中津氏が観に来てくださった。早稲田大学公演後、吉田氏から連絡が入った。
PSUで進めていた翌年2023年度の英語歌舞伎「越後國柏崎 弘知法印御伝記〜The Adventures of High Priest Kochi」公演を「ドナルド・キーン・センター柏崎 10周年記念式典」にて部分的にでも公演をしてもらえないかという相談だった。
この相談を受けた時、英語歌舞伎公演は翌年5月に実行できるかどうかも確かではなかった。しかし、夫は必ず実現すると心に決めていた。
私は、歌舞伎に必要なたくさんの学生が受講するかどうか、「即身仏」になる、また膨大なセリフを覚えなければならない主役を誰ができるのか、予算はどうなるかなど山ほどの不安材料を懸念していた。
しかし、「望めば道は開ける!」。
2023年5月末のPSUでの「越後國柏崎 弘知法印御伝記〜The Adventures of High Priest Kochi」公演は大盛況に終わり、NHKでもニュースやドキュメンタリーで紹介していただいた。柏崎公演については、“NHK World”の道傳愛子氏が準備万端でスタッフとともに柏崎に現地入りし、13分のドキュメンタリーを作り放映してくださった。
日本では、文化、芸術も大都市集中型になり、人口減少が続いている地方都市や地域では、芸術を育てたり楽しむ場が少なくなっているのではないだろうか。
アメリカは広いため、住む地域によっては文化や芸術を享受できない地域も多い。しかし、その穴埋めをするのが学校である。
アメリカでは、どの地域の高校にも演劇、音楽(吹奏楽、管弦楽、コーラスなど)、ダンス(創作ダンス、モダンダンス)、チアリーダーなど、定期的に公演がある。それらの公演が一般公開され、地域の人々は若い学生たちの芸術を楽しむ。大学がある地域になると学生たちの演劇も音楽も踊りも群を抜いて立派になる。この中からプロの道に進む人もいる。
2023年5月PSUの「越後國柏崎 弘知法印御伝記」公演から。
PSU学生たちの日本伝統芸能公演は、地域の人たちにとって、
日本の文化・芸術を味わうことができる楽しみの一つとなっている。
私は、アメリカのこのような芸術の楽しみ方を素晴らしいと思っている。必ずしもプロである必要はない。若き次世代の芸術家を育てるのも地域の人々の力だと思う。その力は大きい!
2023年9月に早稲田大学大隈講堂とドナルド・キーン・センター柏崎10周年記念公演に出演したPSUの大学生たちも、ポートランド地域の文化を活性化させていると思う。
日本での公演を見に来てくださった方々も、きっと日本の文化芸術の素晴らしさを再認識し、日本伝統芸能がアメリカ人大学生によって演じられたことを楽しみ喜ばれたのではないだろうか。
学生たちの日本での貴重な経験もまた彼らの大きな糧となっていることと思う。
「ドナルド・キーン・センター柏崎」が、これからも文化交流の場として、また地域の人々の文化芸術の発信の場として発展されることを願っている。
田中 寿美
熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。