翻訳ひといきコラム

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海外だより

大改造

パリ市内にあるモンソー公園。 これは、もともとオルレアン公の庭だったが、革命以降国のものとなり、オスマン大改造で「公園」として整備された。私の大好きな公園のひとつ。

2月に車を買い替えた。今までと同じプジョーの車である。

別にフランスに拘っているわけではなく(なぜなら、20年前の二度目のフランス駐在時にはBMVだった)これは、単に夫の趣味の問題である。運転免許を取得して以来50余年、何台目の車になるのか、車に関心の薄い私にはよく分からないのだが、このところ気に入っているメーカーらしい。

なぜ買い替えたのかというと、一番の理由はなるべくCO2を出したくない、ということだ。2017年に本帰国した時にはまだラインアップに含まれていなかったプジョーのハイブリッド車(フランス語ではイブリッド)を念願叶って手に入れた、ということである。緑色の車体も美しいこの車を、私たちはレーヌ・クロード(クロード王妃;ルイ12世の娘、フランソワ1世の妃、緑色のプラム系の果物の名前でもある)と名付けた。

充電中のレーヌ・クロード
家の壁に充電用のコンセントを設置。
2か月半で数百キロ走っているが、その間、
ガソリンスタンドで給油したのは一回だけ。

手に入れるやいなや私たちは春まだ浅い箱根方面へ1泊のドライブ旅行に出かけた。よく晴れた空のもと、白梅が美しく咲いていた。

静岡県函南町にて

蕊つんつんあっけらかんと梅ひらく  ちづこ

CO2の排出の問題が地球レベルで話題になるようになって久しい。昨今、それを全く無視する某国大統領もいるにはいるが、半世紀近く欧州と日本とほんの少しアフリカでも生活してきた体験から、「気候が大きく変わっている」ということを肌身で切実に感じている私にはとても関心のある分野、見過ごせない問題だ。地球温暖化の遠因の一つに、世界レベルでの化石燃料の使い過ぎがあることは、おそらく“嘘”ではない。

京都議定書(COP3)の頃から紆余曲折はあるものの、2015年のパリ協定(COP21)を経て、私たちの社会はどうあるべきか(というか個人として何ができるか)が何となくいつも頭の隅っこにある。

平ったく本音を言えば、何とか、もう一度“温帯”にふさわしい「四季の穏やかに移り替わる日本」を取り戻したいし、フランスの北部には“夏”はほとんどやってこなくて、だからこそ「南フランスでの太陽溢れる夏休みが貴重」だった、そんな時代を取り戻したい、、、と思うのだ。

だから、2017年の本帰国以来、電力も再生可能エネルギーを供給してくれる小さな電力会社に変えた。私の日常生活は、料理を作るためのガスを除き、ほぼすべて再生可能エネルギーで賄われているのをとても嬉しく思っている。

日本的努力! これは時短にもなり、助かる。
昔はイタリア製パスタを買っていたが、
最近は、日本製もそれなりにおいしいし。

去年、パリ市はオリンピックに大騒ぎだったが、同時に、パリの“改造”が粛々と進められていた。それは、もちろん21世紀のパリという町はどうあるべきか、という大きな課題をもっての計画である。ことに、「町の緑化」についてはとても熱心だ。もともと石灰質の土壌の上に、掘り出した石で作り出した美しい街並みを誇るパリであり、オスマン知事の大改造(1860年前後)と共に、東西に広がる“森”も公共の憩いの場である公園として作り出してきたことはパリ市の矜持でもある。ここ10年の緑化政策は「パリ協定以降のエコロジカルな都市づくり」を大上段に掲げている。


パリの大手スーパーの中にある洗面用グッズの「回収ボックス」。
化粧品メーカーの努力が感じられる。

先月末に送られてきた「市のお知らせ」によれば、市内から自動車を“締め出す”ことに成功、自動車のためのスペース(つまり車道とか路上駐車場)を2011年比で40%減らしたらしい。

減らした分増えたのは、大きな広場や、街路の植樹、沿道の花畑、野菜畑‼、自転車専用レーンなど。市は、15万5千本の植樹と45ヘクタールもの新規緑地を作った、と豪語する。

そして、トラム路線も7,9km増やし、自転車専用レーンはこの10年で550㎞も増やし、自家用車での移動はわずか10%にまで落ちた、と誇らしげである。

“鼻息荒い”報告を読んでいるうちに、私はなんだかちょっと複雑な気持ちになって来た。去年パリを訪れた時の友人たちの一様の“文句”を思い出したのである。

私の知る昔からのパリ人(つまり、みんなそれなりの高齢者!)は、家の近くの絶え間ない工事を嘆き、バス停の移動に腹を立て、また来ないバスにもいら立ちを隠さなかった。

「自家用車を廃棄して、免許も引き出しにしまって、だからこそ公共の乗り物を利用したいのに、運転手不足だと言ってバスが間引きされるなんて!」とマリィはかんかんだった。

郊外に住むロベールは、生活必需品としてどうしても車を手放せないが、道路が減らされたために生じるパリ市内の渋滞を嘆いていた。

私自身、去年は、オリンピック直前のパリが“引っ掻き回されている”と感じたが、実際に、交通網トラブルに度々出会ったし、道を歩けば傍若無人な自転車に、ヒヤッとすることもしばしばあった。自転車に乗っているのは、マナーの良い住民だけではない。道も知らない、交通ルールも守らない若い旅行者のなんと多いことか! 年間7000万人もの観光客が訪れる、世界一の観光都市なのだからそれも仕方のないこと、なのだろうか。

コンコルド広場の工事現場にがっかりしたことは以前のエッセィにも書いたが(パリ狂日本へ帰る『2024年4月(その1)(その2)』)、もう一つパリ北西部のポルト・マイヨー広場が、トラム建設や、諸々の改造計画のために大きく様変わりしていることにも驚きと共にがっかりしたのを思い出す。ここは、20年前に住んでいた時に自分でも運転して良く通った場所。パリ市とヌイイー市の境目の大きな広場の真ん中の緑地帯は私にとって特別の広場だったのだが、、、(パリ狂つれづれ47『そこ(その2)』)


ポルトマイヨー
トラムが走り始めたのは良いが、、、中央部緑地帯の「小山」がなくなって、
あの頃のうさぎたちはどこへ行かされたのだろう?

“公共交通”として、電動トロティネット(キックボード)をいち早く導入したパリが、おととしそれを完全に廃止したのは喜ばしいことだと思っていたが、自転車専用レーンをここまで広げてしまっては、、、と思わなくもない。

誰のためにどんな街づくりをしていけばよいのか、課題は決して単純ではなさそうだ。

パリをぐるりと囲むペリフェリック(環状自動車道路)の速度制限が時速50㎞へと、大幅に下げられた今年、空港から市内へは、いったいどのくらい時間がかかるだろう。

パリで禁止になった電動キックボードが、
東京では少しずつ増えて来て、、、
我が家周辺にも何か所か。車を運転する者としては、
あまりうれしくない交通システムなのだけれど、、、

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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