翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

お金のはなし 再び

時間があれば出向くのがナショナルギャラリー等の美術館。この日も、(パリのルーブルでも同様ですが)こどもたちの課外教室。美術の勉強なのか歴史の勉強なのか、、、なんとなく、歴史(チャールズ1世騎馬像:ヴァンダイク)よりも、美術(パリスの審判:ルーベンス)(ギリシャ神話を歴史と捉えるかどうか?)のほうが楽しそう

10月、私と夫は欧州にいた。コロナとの共生?にも慣れて来て、3年振りに「日本脱出」を果たしたのだ。パリを足場にして、フランスの地方や以前5年半住んでいたロンドンも訪れた。

英国――あえてイングランドと言う――が、超ネット社会、超デジタル社会であることは、もしかしたらロンドン時代のエッセィ(ロンドン便り14「お⾦のはなし」)で書いたかもしれないが、今回3日ほどロンドンに滞在し、その感をとても強く持った。

パリからロンドンへ旅行するのに、私は、一銭(1ピー!?)も持たずに、出かけたのである。持っているのは、わずかばかりのユーロとフランスの銀行のカードだけ。

パリ北駅から乗るユーロスターは、1時間もするとドーバー海峡を潜る。そしてそのままノンストップでロンドンはセント・パンクラス駅へと着く。その間2時間半足らず。かつて、何十回となくやって来た駅へ私たちはまた降り立った。

コンコースの両側に並ぶショップも、チューブ(ロンドンの地下鉄のこと)へと続く廊下も、あの頃とほとんど変わっていない。あまりの変わりなさに懐かしさを覚える間もなく、私たちは事務的に、でも少しおのぼりさん的もたつきをもって、地下鉄の券売機に向かい、財布からオイスターカードを取り出した。

このオイスターカードという交通系プリペイドカードがいつ頃導入されたのかよく知らないが、2008年にロンドンに住み始めた時には、ロンドン人の“常識”となっていた。私も早速購入、なんと便利でお利口なカードなのだ!と感激したことをよく覚えている。

当時の日本は、交通系カードが広まってきてはいたが、ようやく私鉄との乗り入れができたばかりで、バスとの乗り入れはできなかった(と記憶している)ので、いろんな切符を買わなければならず面倒だったのだから。

オイスターカードを持っていれば、ロンドン近郊までは地下鉄も電車もバスも利用でき、おまけに、全ての乗り物が「1日最大料金」で乗り放題。大変な優れ物だった。

話は脱線するが、2008年当時は、ポンドが大変強い時代(1ポンド250 円!)で、駅で買う一枚が4ポンドの地下鉄切符は、換算する と1000円になってしまう。しかし、そんな時も、オイスターカードを利用すれば2ポンドもせずに一回分が差し引かれ、1日最大料金は、確か5.5 ポンドぐらいで、本当に嬉しいシステムだった。

その、“昔ながらの”オイスターカードを、券売機の黄色いオイスターカード用パネルにタッチする。

!!!

なんとカードは“生きて“おり、正面の画面に“残額“(一体、いつのだ??)が表示された。私たちはさらに感激した。

10ポンドほどをフランスの銀行のカードを使ってチャージして、何食わぬ顔をして、チューブに乗り込み、ホテルの最寄駅を降りた時には、私たちはすっかりロンドンっ子の顔になっていた、と思う(思いたい)。

ホテルに落ち着くと、夫が「日本からポンド札を持って来たからこれも使い切ってしまおう」と言いながら、50ポンド札を何枚か取り出した。

あら、こんな大きなお金、あんまり見たこともなかった!

なにしろ、あの頃から超デジタル社会のロンドンでは、2-3ポンドの買い物でさえカードで支払う(ことに若者たちは)のが常だったから、現金を持ち歩くとしても せいぜい20ポンド程度である。大きなお札を、数ポンドの支払いに出したりしたら、偽札じゃないかと疑われるような雰囲気で、かえって使いづらいのだ。そこで、紙幣はレストランに入った時に使うことにした。

(おいしいものが少ない)ロンドンに行ったら必ず食べるのがこの2品。
ロブスターヌードル(元の我が家の近くの老舗中華料理屋)
パブのフィッシュ&チップス(今回は、ハロッズの横のパブ)

ところが、いざ支払いの段になると、「それはもう使えません。お札が変わりました」との返事。

お札を廃止するって、、、聞いてなかったわよ! (もっとも、ずっと住んじゃいなかったが)

一体いつ誰がそんなことを?

だいたい、キャッシュレスの発達した国で今更貨幣を新しくするなんて!!!

ロンドンを離れてダカールに行ったのが2013年、その後、一度だけロンドンに来たのが2015年。それから7年しか(7年も、ということかもしれないが)私たちは、浦島太郎の玉手箱を開けたような気持ちになっていた。

仕方なく、その時のレストランはまた銀行カードで支払って、ホテルに戻り、フロントで取り替えてくれるのではないかと期待した。しかし答えはNO。「イングランド銀行に行ったら交換してくれますよ」

「イングランド銀行」と聞いて、「日銀」が目に浮かび、、、この貴重な 小旅行の時間をそんなことで潰されるなんて、、、と思いながら、部屋に帰った私たちは必死にネット検索をした。そして、つい2年前に紙幣のみならず硬貨も完全に作り替えられたこと、この9月30日まで旧貨幣も使えたこと、それ以降はイングランド銀行、あるいは“幾つかの郵便局“で新貨幣に交換してくれること、を知った。

もうこうなったら意地である。私たちは、最寄りの郵便局を探し出し、翌朝、再び郵便局検索をして、そこが施行しているかを調べた。

超ネット社会は、前日とは違う検索結果を出したが、私たちは、その“新情報“を信じた。

雨が降る中を、住所を頼りに郵便局を探す。ロンドン中心地、ピカデリーサーカスの辺りは決して不案内な地域ではなく、むしろよく知った分かりやすい通りである。足元の跳ねを気にしながら時々眼を上げて郵便局の看板を探す。

あった!  小さなロイヤルメールの印を見つけて喜んだものの、入口が見つからない。おかしい。絶対住所はここ。看板だってあるではないか。でも、、、私たちが立っているのは文房具屋――ここもチェーンで有名な店だ――の前で、しばらく顔を見合わせた。そして思いついた。

絶対、ここ。この奥にきっと郵便局があるに違いない!

文具店の奧にあった「郵便局」

想像通り、郵便局は文具店内の一番奥にあった。ガラスで仕切られた窓口があるのがかろうじてそれらしさを醸し出しているけれど、職員は文具店の真っ赤なシャツ(制服)を着ていて、どうやら兼業らしい。こんな郵便局で本当に大丈夫だろうか、と少し不安になりながらも、新貨幣への交換を頼むとすぐに応じてくれた。 必要なのは身分証明書と、初めての交換かという質問だけだった。

ちなみに新しいものはプラスティックでできた、透明の透かし(変な表現ですが)の入った札で、図柄は相変わらず、エリザベス女王である。

プラスティック製のものを“紙幣”と表現して良いのかどうか、、、私は分からない。

50ポンド札 透明の部分を写したくて、窓に張り付けてみました。
右下のところに、我が家のベランダの小花が、
左のほうにはベランダの手すりとかうっすらと、、、

 

エリザベス女王のご逝去は、かつて英国に住んだ私にとってとても感慨深いものです。英国社会において、本当に大きな存在であられました。一つの時代が終わりを告げることの淋しさとともに女王の素晴らしさを懐かしく思い出します。

半旗なるユニオンジャック秋薔薇  ちづこ

 

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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