翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

2022.02.09

パンデミック下の日本帰国〜私の場合①

シアトル空港でのコロナサイン

私は昨年12月中旬、日本に帰国を予定していた。
ところが、コロナの新種株(オミクロン株-Omicron Colvid-19 Variant)の感染者が南アフリカから出たと分かるや否や、2021年12月1日、突然日本政府から「12月中の海外からの航空券の予約は全世界中で禁止する」というお達しが出た。
海外に住む、あるいは滞在している日本人で、年末年始を日本で過ごそうと計画していたが、まだチケットを予約していなかった人には、日本政府からの青天の霹靂のパンチだったに違いない!「え〜っ!日本に帰れないの?」「12月には飛行機の予約ができない?」「日本政府の決定ならどうにもならない!どうすればいいの?」という困惑と怒りの叫びをあげていた人が数多くいたことだろう。幸い私は11月中に日本行きのチケットを購入していたので、その枠から外れていた。

しかし翌日、岸田首相が前日の航空券予約禁止令を撤廃した。「なぜ?」撤廃するぐらいなら、どうして禁止令を急に出したの?禁止令を出す前にどのような話し合いがなされたの?

疑問はいっぱいだったが、きっとどこかの大手企業の圧力、そして国際線の航空会社からの苦情が殺到したのではないかと思った。「年末年始を日本で過ごそうと計画し、これからチケットを予約しようとしてたのに・・・」という企業社員。このパンデミック下、少しは乗客が増え増収になると期待していた航空会社・・・。
このような苦情で政府の決定が「ころっ」と変わるのだろうか?

海外在住日本人を“棄民”?

私の知り合いの一人で、よく海外に出かける男性がいる。パンデミックが少し収まった昨年秋口から長期の海外旅行中だった彼は、「政府の日本人帰国禁止令」についてFacebookに投稿し、この決定を政府による海外在住者『日本人棄民』」と呼んだ。国内の日本国民を未知のオミクロン株から守るためには、海外に出ている人に対して事情がどうであれ強固な手段をとって入国させない!
私は思った。「はぁ?日本国民が1年を通してエネルギーの心配なく暑い夏や寒い冬を過ごせるのは、海外の現地で業務に携わっている日本人たちのお陰?破棄するほどの食品原材料を輸入できるのは現地で働く人たちの努力の賜物?日本国民は、海外で働く多くの人々の労力に支えられて生活できているのではないだろうか?」
この投稿を読んだ時、「なるほど〜、『棄民』か〜。いいこと言うな〜」と私自身は考えもしなかった彼の言葉に感銘を受けた。

令和鎖国?

夫は、別の意味で日本政府からのお達しを聞いた。12月半ばに2年ぶりに日本に行くことができると航空券を予約し、東京や関西の友人、仕事関係者に会えるのを楽しみにしていた。2020年から特別な日本入国許可がある外国人(海外の政府関係者、在住権保持者、アメリカの軍関係者など)以外は入国ができない状態だったが、2021年後半になって「配偶者ビザ(Spouse Visa)」で入国できると規制が緩和されていた。私は、自分の戸籍謄本を日本から取り寄せ、夫の配偶者ビザのためポートランド領事館に出向き、ビザを取得していた。しかし、12月1日突然「配偶者ビザでの入国を禁止するー日本在住権保持者の配偶者は例外とする」という勧告が出されたのだ。

夫は航空券予約禁止とこのお触れ?を聞いて「令和鎖国だ!」と言った。江戸時代、日本は260余年「鎖国令」を敷いた。江戸時代初期、日本人の海外渡航禁止と海外に出ていた日本人の帰国を許さなくなった。海外に出ていた日本人は、そのまま現地で死を迎えざるを得なかった。徳川幕府による日本人「棄民」であった。

30年以上アメリカに住んでいても「*アメリカ市民権-American Citizenship」を取らずに日本人として生きている私にとっては、日本が母国である。一時的であっても「帰国禁止!」となればやはり動揺する。

*アメリカ市民権を持たないことの不利な点は次の2点が大きい。①選挙権が全くない②夫婦間の遺産相続に関して外国人には相続制限額があり、課税率が大きい­=大金持ちと結婚している場合、市民権を持たない人は莫大な相続税が課せられる。

私のような個人が政府に対してどんなに文句を言っても何も通らないが、大手企業の苦情は政府の決定を覆すことができるのではないか?初めの発表の前に何かできなかったのだろうか。このような決定によって、私たち海外に住む日本人あるいは日本に関係する外国人は、右往左往させられる。

さて、私の今回の帰国は、パンデミック下3度目である。ポートランドに住む私の日本人の友人たちは、2020年3月ぐらいから日本に帰る人が少なくなった。しかし、私は今年94歳になるの母に会うために3度帰国した。いつも「これが母と会う最後の機会になるかもしれない」という思いで・・・。

2020年夏、1度目の帰国

パンデミック下1度目の帰国は、2020年7月から6週間だった。
春先にはパンデミックという言葉も根付いておらず、コロナがどのような疫病でどのように感染していくのか、どこの国も情報が迷走中だったように思う。ただ、1918年から1919年に流行したスペイン風邪と比較され、飛沫感染を防ぐ強力な手段の一つがマスク着用だった。(参照:アメリカ人とマスク)

アメリカでは、疾病管理予防センター(CDC=Center for Disease Control and Prevention)の所長Anthony Fauci博士が連日連夜メディアに出演し、コロナ(Covid-19)の危険性を連呼するようになっていた。マスクの重要性、発熱嘔吐などの症状がある人のPCR検査(ポリメラーゼ連鎖反応―Polymerase Chain Reaction)が推奨されたが、検査場所も少なく検査価格も2万円?などと気楽に受けられるものではなかった。

羽田空港の入国審査で出す書類の一つ。
私はアメリカに住んでいるので、当然「滞在履歴あり」になり、この用紙を渡される。
公共交通機関禁止および14日間の指定場所での隔離が明記されている。

そのような中、私は日本に帰ってきた。飛行機内で感染するなどと言われたが、飛行機内で数多くの感染者がでるのであれば、飛行機は運行されないと思った。パイロットもフライトアテンダントも誰も仕事ができないし、航空券予約を控えるように言われるはずだ。「機内は換気が行き届いており安全だ!」という情報もあった。

あいにく2020年春開港予定だったポートランド〜羽田空港直行便が延期になってしまった。私はシアトル経由で帰った。ポートランド〜シアトル間は乗客を半分にし、横の席に人が座らないようにしてあった。シアトル〜羽田空港間は悲惨であった。450人乗りの飛行機に40〜50人も乗客がいただろうか?

羽田空港と成田空港では異なることもあるかもしれないが、空港に到着後数々の書類(コロナ関係)の検査を受け、最後に鼻の粘膜による採取するPCR検査を受けた。陰性の結果、私は予約していた*ハイヤーに乗って子供たちが住む都内のマンションに向かった。

*公共交通機関の利用が禁止(バス、タクシー、電車、飛行機、新幹線など)されているので、家族が迎えに来た車か利用者の身元がわかるハイヤーが唯一の利用できる交通機関だ。「ホテルに2週間滞在するよりはハイヤーで山梨の自宅まで帰ろう」と5万円をかけ実家まで帰った友人もいた。都内はどの地域でもハイヤー料金は15000円だった。ベルギーに住む妹が、ハイヤーで熊本まで帰ろうと値段を調べてみたら、40数万円かかるとわかり諦めた。

息子も娘も当時リモートで仕事をしていたので、私は2週間の隔離期間を音も立てないように息を潜めて過ごし、実家の熊本に行く日を心待ちにしていた。

私はコロナ菌?

ところが!である!実家に連絡すると、「もし外国や東京から来た人が自宅に滞在することがあれば、母の介護サービスは中止される」と言われた。また私の家族自体も私が実家に行くことによってコロナを運んで来るという不安に取り憑かれてしまった。私はまるで「コロナ菌」扱いだった。帰国後にPCR検査を受けていても熊本に行く前にPCR検査を受けると言っても何の信用もなかったのだ。

厚労省が出しているPCR検査報告用紙。医師のサインがないと無効となる。

鬱に陥った私

その後1ヶ月、東京の子供たちの狭いアパートで過ごした私は、予定通りにアメリカに帰ることにした。しかし、遠くアメリカから母に会いにきたのに結局会うことができなかったこと、そしてほとんどどこにも出かけず、友人にも会わずアパートに引きこもっていた私は、精神的に疲弊し「鬱」に陥ってしまった。

この写真は2020年夏、出国時の羽田空港国際線出発ロビーの状況だ。
いつもなら日本人や外国人で賑わっているレストランやお土産店など全て閉まっていて、
1〜2の飲食店が開いているだけだった。

羽田からシアトルまではどうにか飛行機に乗ることができるが、シアトルでポートランド行きの乗り換えのため長時間待つには、私の精神状態はあまりに不安定だった。
夫に頼んでシアトルまで車で迎えに来てもらった。3時間もかけて迎えに来た夫は、何も言わずまた私を乗せて3時間をかけてポートランドに戻ってくれた。
私は、その後も精神状態が安定せず、主治医にオンラインで診察してもらった。医師は軽度の鬱と診断し治療薬を処方してくれた。〜つづく〜

田中 寿美

熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。

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