翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

南独逸へ

5月のパリ(マルシェ)
芍薬 ぎゅっと固い蕾のものが無造作に積み上げられて10本、15本の束で売られている

アスパラガス 白くて太いものが食べられるのが嬉しい!

着陸前の機内放送によれば、羽田の温度は摂氏22度とのこと。「助かったぁ。暑くなっていると聞いていたけれどこれなら、パリともさほど変わらない」私は安心して、耳栓をはめる。

もともと三半規管が敏感過ぎるのか、気圧の変化に私の耳はすぐに反応してしまう。離陸の時は全く感じないのだが、着陸の飛行機が高度を落とし始めると猛烈に耳の奥が痛くなり、それは5分10分と続くのだ。

この痛みは若い頃にはなかったが、50歳代のある時、突然に始まった。耳を抑え頭を抱え込むほどのとてもひどいもので、その解消のために友人に勧められて“NASAが開発した”とかいう特別の耳栓を買った。

それを持って飛行機に乗れば、着陸時の緊張感が和らぐ。耳がツーーッと奥に引っ張られるような不快感はあるが、頭痛や首の凝りを引き起こすような強烈な痛みは感じなくなった。もっとも、プールに潜っている時みたいにぼあんとした“よく聞こえない状態”は地上に降りてもしばらく続くのだが。

その「強烈な痛み」も10年、15年が過ぎるうちに、次第に薄らいできて、最近は、機内で配られるスポンジの簡易の耳栓があれば事足りている。

今回、珍しく行きも「南回り」。
ロシアの上空は飛べないので、中国、カザフスタン、カスピ海、、、を飛ぶ。

毛布を畳んだり靴を履いたり着陸の準備をしながら、今回もオレンジ色の小さなスポンジをぎゅうぎゅうと耳に押し入れ、私は25日間の欧州を反芻していた。

エールフランス機の「安全のための案内ビデオ」は、エッフェル塔初め
フランスの情景を巧みに演出していて、素晴らしい! ついつい見とれてしまう。

いつもにも増して盛沢山の日々だったが、ひとつ、ジャニーヌ(私にとって“フランスの母”のような人)に何度電話しても呼出音が鳴り続けるだけで結局話をすることも会うことも叶わなかったことが悔やまれる。あと一日あったら、彼女の家まで押しかけてみたのに、、、

 

盛沢山の日々、今回はドイツ行きに始まった。

フランスに馴染んで(馴染み過ぎて?)いる私たちにとって、実は、ドイツへ足を踏み入れるのはとても勇気のいることだ。

欧州大陸という地続きの土地に長く住み、隣にベルギーもスイスもイタリアもスペインも、そして件のドイツもあることは重々承知。他の国へは天真爛漫に何度も出かけるけれど、どうもドイツだけは何となく苦手で、考えてみると、40年以上前に1日と、20数年前に3日間(ドイツのクリスマス)訪れただけ、と、本当に呆れるほど少ない。

今回目指すのは、南ドイツの小さな町なので、計画を立てた夫もとても苦労していた。近くの大都市まで電車で移動して、その後レンタカーをするか、とか、いや、自動車の運転も知らない山道は疲れるからやっぱり電車にしよう、とか。

地図で確認していく限り、目的の小さな町も鉄道が通っているし町は30分も歩けば端まで行ってしまうような規模である。とりあえず、駅に隣接するホテルを日本からインターネットで予約した。

しかし、そこへの切符を手配しようとしても、鉄道網の詳細は分からず、ネット上の“売り場”にも到達できない。

フランスの駅の窓口に行く方が簡単だろうと、見切り発車で日本を出てしまい、初日から夫はTGV発着駅に赴いたが、ここでもそう簡単なことではなかった。

結論を言ってしまえば、「フランスでドイツローカル線の切符は買えない」のである。

最終的には、窓口の女性が大変親切で、目的地までのいくつかの行き方を調べてくれ、ドイツ内の2か所の乗換駅やら時刻表やらを印刷してくれて、、、どうにか無事に目的地へ着くことはできたのだが、ドイツのローカル線には、ドイツ語以外の説明もなければ駅の窓口もない、改札ない、駅員もいない、、、という中での珍道中となった。

確かに、ドイツに半世紀以上住む――そしてほぼドイツ人になってしまった――いとこが、「鉄道旅行!? 無事に乗れることを祈ってるわ」と言っていたっけ。

♪行きはよいよい帰りはこわい…♪で、案の定、田舎の駅で来ぬ電車を一時間待っていた、、、という土産話もできてしまった。

パリ東駅。TGVはその技術を日本の新幹線と競う、フランスの“誇り”でもある(mon-paris-branche)。
パリから、ドイツのフランクフルトやミュンヘンへも行くし、今やベルリンをも繋ぐのだから。

 

そんなこんなを思い出しているうちに飛行機はどんどん高度を下げる。

それにつけても、フランスとドイツは南北に長い国境を接しているにも拘わらず、本当に気質も風土も全く違う国なのだなぁ、と、今更ながらのように思う。

ストラスブール駅TGV到着ホーム 閑散、、、、人が少ないのに驚く

ストラスブール駅舎の端っこのほうにオッフェンバッハ行き「25番線」が!
25番線の黄色いのがドイツの電車です。

ドイツ行きの最初に乗ったTGVは、パリ東駅からアルザス地方のストラスブールまで約450㎞、僅か2時間ちょっと、ノンストップで走行するのだが、車窓に見えるのは、ほぼすべて畑か草原である(ストラスブールに近づくと僅かに“森”が現れるが)。

偶に見える小さな教会を擁する集落とか、のどかに草を食む牛さんたちとか、、、

昔から私が大好きなこの景色はほぼ半世紀変わっていないように思えるが、“偉大なる農業国”であるフランスが私は心底羨ましい。

「鉄道旅行」車窓より フランスの田舎の麦畑

ストラスブールを出ると間もなくライン川を越えてドイツへ

二度乗り換え、最後の電車 単線

フランスはまつことたひら麦の秋 ちづこ

 

ごとんという鈍い振動と共に、いつものように、エールフランス機は夜のとばりの降り始めた羽田空港に到着した。

ああ、日本は、6月というのに、こんなに日が短いのだ。

欧州の夏時間をちょっぴり懐かしみつつ飛行機を降り、搭乗橋に一歩踏み出した私に、久しぶりの“日本の湿気”が重く圧し掛かって来た。

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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