翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

7月14日

数日前にパリの友人から送られた写真。コンコルド広場の客席。まだ完全には工事が終わっていない、とか。

そろそろオリンピックが始まる。

春以来パリ中心部のあちらこちらが“競技場”として整えられる中で、今年の革命記念の“行進”はどうなってしまうのだろうと、私はとても気になっていた。

7月14日に行われるこの式典は、フランスの重要な国家行事である。その日は、多くの人々にとって大切な休日の一つでもある。

最大イベントでもある“行進”は、観光客のみならず、パリ在住者にとっても大いに関心をそそられるもので、もちろん、フランス中に実況中継される。そしてその夜は、恒例の花火で幕を閉じる。


2010年7月14日の2枚  行進を終えた兵士たち
騎馬隊の向こうに見えるのはマリーアントワネットも幽閉されたコンシエルジュリ

“行進”が、いつものようにシャンゼリゼ大通りで行われるのかどうか、、、4月にコンコルド広場がどんどん“潰されて”いくのを見て私はいささか心配になった。

凱旋門からなだらかに下るシャンゼリゼ大通りをおよそ2㎞、大統領や国賓の待ち受けるコンコルド広場に向かい、一糸乱れず行進する隊列である。美しい。かっこいい。

そしてなんといってもハイライト、飛行部隊の、あの、トリコロールの帯が青空に伸びていく様は、フランス人でなくても心躍るものである。

若い頃住んでいた16区の凱旋門にほど近いアパルトマンの窓からは、7月14日が近づくと予行演習の連隊飛行が見えた。

2001年から住んでいた、ヌイイー市のアパルトマンは屋上テラスを持つ最上階の家だったが、式典が始まり“その”時間が迫ると慌てて屋上に駆け上ったものだ。手の届きそうな所に青白赤の鮮やかなラインが描かれるのを見ると、なんだか得をしたような気分になった。

地上の“行進”は、実はなかなか見る機会がなく、もっぱらテレビ観戦ではあったが、ロンドン在住時に小旅行で来た時などに、物見遊山よろしく凱旋門周辺やリヴォリ街をうろうろして、行進出発前の騎馬隊をほれぼれと眺めたり、行進を終えた兵隊さんたちが三々五々帰営(?)するのを目にしたこともある。これはこれで舞台裏の楽しみも味わったというわけだ。

2018年、たまたま夏休みをフランスで過ごしていた私たちはシャンゼリゼに面したビルに事務所を構える友人の「記念日パーティー」に招かれたが、何といっても、これが私の半世紀にも及ぶ“フランス体験”にして最高の“行進見学”である。

その日は朝から快晴で、シャンパングラスを片手に、美味しいカナッペをつまみながら、友人たちとお喋りをし、時にベランダに出ては、眼下のシャンゼリゼ大通りの“行進”を眺めるという贅沢!

2018年の7月14日
3枚目、トリコロールの色にミス!
その場では気付かなかったが、後で写真を見て気付いた

ところで、この記念日が制定されたのは第三共和制が始まってほどない1880年のことだ(現在は1958年に始まる第五共和制)。“共和国フランス”の建国の象徴として祝うようになったということだが、なぜ7月14日かと言えば、“バスティーユ牢獄襲撃”が1789年の7月14日だったからである。

バスティーユ広場 後ろに見えるのが新オペラ座

メトロのバスティーユ駅(地下でなく地上にある)壁のタイルに当時の人々が描かれて

しかし、考えてみれば、絶対王政の終焉に繋がる市民革命の発端としてのこの日が記念日となるまでに100年を要した、ということでもある。

1789年のこの日を起点として、フランスは揺れに揺れ、1792年に第一共和制が始まったのちも、王政復古やらナポレオンの帝政やら、、、様々な政治体制を経験しながらやっと「共和制」を確立していったのだ。

そして、フランス人は、この記念日のことを単に『7月14日』と呼ぶ。

そして迎える20世紀。フランスの『7月14日』は、折しも政教分離のもとに新しく始まった教育制度の年度末とも重なった。誰にとっても楽しい、意味ある一日となっていったに違いない。

100年くらい前、ルネ・クレール監督が、この日のパリを舞台に、若い男女の物語を映画に作っている。その映画は、フランスはもとより世界的に大ヒットし、日本でもすぐに公開された(らしい)。

原題は『7月14日』。でも、それでは、日本人には何のことだか分からない。だから邦題としては『巴里祭』とつけられた。パリで楽しく華やかにお祭り騒ぎが繰り広げられるのだから、確かに素敵な題名かもしれない。

その題名のおかげもあったのだろう、日本人の多くが、映画に、パリに、この祭の日に憧れた。その中に俳人たちもいた(としか思えない)。

“巴里祭”という言葉が歳時記に載っているのを知った時にはとても驚いた。

昔フランス語を学んだ者として、クレール監督のこの映画のことも(実際に観たわけではないが)何となく知っているし、“誤った邦題”のことももちろん知っていた。

そして何より、フランス語教師の「“パリ祭”なんて言ってもフランス人には通じませんからね。そんな言葉は存在しないのです。この記念日のことをフランス人は単に『7月14日』と言うのですから」という説明は私の脳みそにしっかり植え付けられていた、けれど・・・

ギャルソンの黒きエプロンパリー祭  ちづこ

フランスでは、『7月14日』はヴァカンスへの“出発の日”とも言われ、この日を境に、パリ人の多くがパリを抜け出してしまう。

100年振りのパリ・オリンピックの今年は、もしかしたら、もっと早々に脱出してしまったかもしれない。

ちなみに、今年の行進はシャンゼリゼ大通りを使えず、凱旋門の反対側のフォッシュ通りで規模を縮小して行われた。トリコロールは逆のラインを描いた。

今年のトリコロール。今年は天気は今一つだったようだ

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

Facebook Twitter LINE はてなブログ Pin it

このページの先頭に戻る