翻訳学習
2023.12.22
日日是発見(2)K-BOOKアートツアー江陵・春川編ツアー記2
ツアーの2日目。まずは江陵の書店訪問から。〈本と文化が共にある知恵の海〉をモットーとする独立書店「Go.re Bookstore」を訪ねた。地下1階から4階まである、ガラス張りのおしゃれなお店だ。店名の発音「ゴレ」は韓国語で「鯨」を意味するもので、読書文化という大海原を感じさせる。オーナーのキム・ソンヒさんは4人の子どもを育てながら教師もしていたが、子どもたちに本の豊かな文化を伝えたいと考え、書店を営むことにしたそうだ。
前日の晩にも私たちを迎えてくださった江原文化財団の理事長で作家のキム・ビョラさんと、江陵文人協会の会長、詩人のナム・ジンウォンさんたちが、書店に集まってくださった。お二人の挨拶から文学への厚い信頼と江陵に対する愛を強く感じる。
地下1階には江陵出身の作家たちの作品が並んでいて、キム・ビョラさんの本もあった。彼女は、『常磐の木 金子文子と朴烈の愛』など実在の人物をモデルにした歴史小説を多く書いている。調査を綿密にしながら作品を書くことの苦労をその場で語ってくださった。このように活躍中の小説家や詩人と交流できるのも、K-BOOKアートツアーの醍醐味だ。
書店を後にして向かったのが安木カフェ通り。江陵のビーチ沿いにおしゃれなカフェが軒を連ねている。人気のスポットだが、私は東海(トンヘ)に目を奪われていた。近代朝鮮で活躍した詩人白石(ペクソク)の作品にエッセイ「東海」がある(アン・ドヒョン『詩人白石――寄る辺なく気高くさみしく』(拙訳、新泉社)に収録)。「麦わら帽子をかぶってビールを飲み」という繰り返しがリズミカルで、イワガニやオットセイまで登場する、明るさに満ちたエッセイだ。東海に語りかけるかのような文体もユニーク。翻訳しているときは、日本海が頭に浮かんでしまい、明るいイメージが湧かなかった。でも目の当たりにすると、海は真っ青できらきらと輝き、実に明るい。白い砂浜にはきれいな貝殻がたくさん散らばっていた。白石の描いた東海は咸興(ハムン)の東海で、江陵の東海とは違うけれど、それでも、「東海よ、わたしはお前の貝になりたい」と書いた白石の気持ちが心からわかったような気がした。
次は平昌(ピョンチャン)にある李孝石文学館だ。李孝石(イヒョソク)は近代朝鮮文学を代表する小説家。流麗な文章で数々の作品を残した。代表作は短篇小説「蕎麦の花の咲く頃」だが、私にとっては「クリスマスツリーの作家」。なぜなら、『日韓併合期ベストエッセイ集』(鄭大均編、ちくま書房)に収録されている李孝石のエッセイ「季節の落書」と「樹木について」にクリスマスツリーについての記述があるのだ。綿や色電球で飾ったクリスマスツリーを部屋に置いて家族を喜ばせたり、馥郁とした樹木の香りを楽しんだり、クリスマスツリーを眺めながら美しい童話を想像したりする様子がいきいきと描かれている。クリスマスを楽しむ様子に親近感を覚えると同時に、彼の暮らしがずっと気になっていた(これらのエッセイは李孝石が最初から日本語で書いたもの。日本語で書かなければならなかったことについても深く考えなければならない)。
さて、文学館で年譜を眺めていたら、なんと、写真があったのだ。クリスマスツリーの前で微笑む李孝石の写真が! 大きなクリスマスツリーに蓄音機、レコード、「MERRY X-MAS!」の垂れ幕まで写っていた。展示物には愛用していたモンブランの万年筆もあった。館長さんによると、彼の妻の実家がとても裕福だったそうだ。豊かでおしゃれな暮らしを垣間見ることができたが、彼の暮らしは当時の作家としては例外的だっただろう。
ちなみに、李孝石は前述の「季節の落書」を日本語で書いた後、韓国語でも書いていて、韓国の中学校で必ず教わるエッセイの一つだ。ドラマ「冬のソナタ」の台詞でもこのエッセイが使われている。
2日目の昼食は山菜ピビンパ。韓国料理というと肉料理を思い浮かべる人が多いかもしれないが、韓国に来ると思いのほか野菜を多く食べる。ご飯にたくさんの山菜とヤンニョム(薬味)とごま油を混ぜ合わせて食べたが、香ばしくてふくよかな味が口いっぱいに広がった。白山菊のナムルもあった。韓国の食卓によく出てくるものだ。白石の詩にもたびたび白山菊が登場する。翻訳したときは韓韓辞典や画像検索によってどんな植物かを理解したが、生活になじみ深いものであることをこの昼食で感じることができた。
翻訳において、ソース言語の国での生活経験は必要ないけれど、著者が目にしたであろう光景、味わったであろう食べ物の一片に触れておいたほうがいいのではないか。白山菊のナムルを食べながらふと思った。茨木のり子や太宰治などの作品を韓国語に翻訳しているチョン・スヨンさんも、「(著者の)住んでいたところまで行って近所を歩いたりお茶を飲んだり本屋をのぞいたり、公園のブランコに乗ったりする。そうすれば、私の中で著者の像がくっきりして安心する」(『言の葉の森』吉川凪訳、亜紀書房)と書いている。私の次の韓国旅行は、著者の足跡たどりをテーマとしてみよう。(つづく)
五十嵐真希
早稲田大学卒業。2006年に翻訳実務検定「TQE」に合格。法務翻訳、会計翻訳、記事翻訳、ゲーム翻訳など様々な分野の韓日翻訳に従事した後、出版翻訳に携わるようになる。訳書にキム・ウォニョン『だれも私たちに「失格の烙印」を押すことはできない』(小学館)、アン・ドヒョン『詩人 白石――寄る辺なく気高くさみしく』(新泉社)、イ・ジャンウク『私たち皆のチョン・グィボ』(クオン)など、共訳に『韓国、朝鮮の美を読む』『韓国、朝鮮の知を読む』『朝鮮の女性(1392-1945)—身体、言語、心性』(以上、クオン)などがある。 X: @maki50arashi