海外だより
2026.03.03
調査(後編)
パリの数少ない一軒家の一つ。モンソー公園の南側に、大富豪のエドワール・アンドレが19世紀末に建てた館。現在は、夫妻の名前をとり「ジャックマール・アンドレ美術館」として公開されている。ちょうど大好きなジョルジュ・ド・ラトゥールの展覧会をしており、今回は2回訪問した。(パリ狂つれづれ53『伝統(2)』)
日本では、マンションという言葉が広く使われるようになって、アパートという言葉にちょっとした意味合い――それは時に、マンションとは呼べない安普請の集合住宅というような――が含まれるようになったが、私は、今でも集合住宅はアパートと呼びたいし、フランス語のアパルトマンという響きが好きである。
もっとも、アパルトマン(単数形)とは、集合住宅そのものではなく、あくまでもその一部、誰かのための居住スペースという意味である。だから、ヴェルサイユ宮殿の中のマリーアントワネット(王妃)のアパルトマンも指せば、庶民の1LDKの家のことも言う。
ちょっと脱線するが、宮殿には王のアパルトマンと王妃のアパルトマンが、たいてい中央の玄関から左右対称の位置にあり、まるで“別々の家”という作りになっているのも興味深い。
建物内側の正面玄関 この館も当初は「左右対称」だったが、
結婚後、妻のアトリエが作られたり、その後世界中の美術品を
購入保管するために改装された。
パリの日々の1週間が過ぎた頃だっただろうか、ある夕方のこと、アパルトマンの呼び鈴が鳴った。
夫と私は、それぞれが鍵を持ち歩く。東京だろうがパリだろうが、それぞれが鍵を閉めて出かけ、帰宅したら自分で鍵を開けて家に入る。よほどのこと、例えば、荷物が多すぎて鍵がすぐに出ない、などというのでもない限り呼び鈴を押すことはまずない。
パリにあれば尚のこと、それぞれが目一杯駆けずり回っているのだから、相手が中にいるとは思えない。呼び鈴を鳴らすのは、朝一で焼き立てクロワッサンを買いに行く時の夫くらいのものだ。
ジーンというベルの音を聞いて、在宅していた私たちは顔を見合わせた。
「誰だろう?」「友達にもこのアパルトマンのことは知らせていない」「音にうるさい下の階の住人が文句でも言いに来た?」などと思いながら、ドアを薄くあけると、一人の男性が立っていた。
「何か?」
「調査員です。こちらにお住まいの方ですよね」
そう言われて、そういえば、貼り紙があったっけ、と思い出した。
「ここに住んでいるわけでもなく、単に3週間借りているだけです。」
「大家の名前は?」
「知らない。斡旋業者を通して借りていますから。」
「その業者の名前は?」
「****社」
調査はそれで終わった。
翌日だったか、帰宅すると、私たちのアパルトマンの隣のドア(ここは、小さなステュディオで、若い男の子が住んでいる)にメモ用紙のようなものが畳まれて挟まれていた。おそらく、何度訪ねても不在なのだろう。どこの国も調査員は苦労する。その後、階下の調査員紹介のちらしには手書きで彼自身のものと思われる携帯電話の番号とメールアドレスが殴り書きされていた。
1970-80年代に住んだ建物(写真右)。
私たちのアパルトマンは4階(日本式5階)にあり、6、7階には
建物の所有者である大家さんが住んでいた。階下の老夫婦には
子供たちが集まる時には手紙を入れて、前もって「騒音」を詫びていた。
この調査は2004年にフランス全体――海外のフランス領も含め、人口1万人以上の自治体――で始まったようだ。ちょうど2004年の春に日本に帰国してしまったので、私たちはこれを体験できなかったが。
第二次世界大戦後に設立されたINSEE(国立統計経済研究所)では様々な統計調査を行っているが、今回のが、まさに2004年以降毎年行われている「住民と住居」に関する調査である。
もっとも英国や日本の「国勢調査」と異なるのは、全員ではなく、ごく一部(8%)を対象にしているところだ。
私たちは旅行者で、調査の対象とは全くならなかったのだが、パリ人たちもそれは同様で、“8%”に選ばれてしまった建物の住民はまぁお気の毒というか・・・。しかし、考えようによっては、12年に一度くらいの協力ですむならば、それも致し方ないかもしれない。
貼り紙に印刷されていたQRコードからパリ市の広報のページにアクセスすると、「あなたは対象者かもしれないけれど、近隣の人とか友人たちは関係ないかもしれません」という丁寧な説明が書かれていた。
パリには、船を住居としている人たちもいる。
INSEEのホームページを見ればさらに詳しい。これらの調査は各自治体の公の数字を確立するものであり、地域の教育施設や老人施設など公共設備の調整、公平な選挙方式の決定等々“明日のフランス社会”を構築するためのものであると言う。
“8%”に当たる建物の住民は、配られる用紙、あるいはインターネット上で返答を書き込んで提出する。質問は、性別、職業、出生地(両親のものも)、国籍、居住条件(持ち家とか借家とか)職場までの交通手段等々。15分程度で終わるとのことだが、どうやら、英国並みにかなり踏み込んだ内容の質問もあるに違いないと確信した。21世紀以降の世界情勢を見ていると、こういった調査が再開されたのも解らなくはない。
2026年1月15日以降、調査対象建物には調査員がやってきて、一つ一つのアパルトマンの呼び鈴を鳴らした。
住民がいれば調査書を渡し、書き込んでもらうよう依頼して、書き込まれたものを後日回収する。もちろん「インターネットでの返答が時間の節約になります」という説明もつける。
そして、さらに「書き込みを手伝ってもらいたい場合は、調査員がお手伝いします」「いろいろな言語で質問が読めます」。
調査員はもちろん“自治体お墨付き”の係官で、本人の写真のついたフランスのトリコロール入り証明書を持っています、という文言もINSEEは忘れない。
結論:フランスでも国勢調査があり、日本よりもずっと微に入り細にわたる調査が行われているということである。
モンソー公園の周囲には、JA美術館等いくつかの一軒家があるが、
ほとんどは7階建て集合住宅。JA美術館を訪れた午後、あまりに天気が
よかったので、しばし散策。(パリ狂つれづれ54『伝統(3)』)
北原 千津子
東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。












