翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

2024.11.06

英語狂言~日本公演を終えて

三島由紀夫作:新狂言「附子」
狂言大蔵流:茂山茂氏/茂山千之丞氏/網谷正美氏
写真:Minh Ngo

「狂言」とは、対話と所作により、普遍的な人間性の本質や弱さをえぐりだすことで滑稽味を洗練させた笑劇。室町時代に成立した日本の伝統芸能「猿楽」から発展し、「能」と合わせて「能楽」と総称される。

三島由紀夫は、日本の文豪である。そんなことほとんどの日本人が知っている。しかし、ニューヨークにてブロードウェイデビューを夢見、新狂言「附子」の演目を書いたが、実演できなかったことを知る人はほとんどいないだろう。この作品は日本で上演されることもなかった。
三島由紀夫は、六つの歌舞伎作品を残し、その作品のいくつかは、今でも歌舞伎の人気演目である。このことを知っている人も少ないかもしれない。

谷崎潤一郎は、日本の文豪であり、四人姉妹の次女根津松子と再婚した。そしてこの夫人の家族をモデルに「細雪」を書いた。このことも知る人は知っている。しかし、京都大蔵流狂言師茂山家と深い親交があり、茂山家との友好をもとに「月と狂言師」を書いた。このことを知る人は少ないだろう。

二世茂山千之丞は、名門京都狂言大蔵流の狂言師。狂言師として舞台に立つばかりでなく、新作狂言の創作やオペラ、舞台劇にも出演し、他のジャンルの芸能演出家としても活躍した。二世茂山千之丞は、孫に狂言師茂山童司がいる。茂山童司は、三世茂山千之丞として活躍しているが、「童司カンパニー」も主宰し、若い人の間で人気があると聞く。

ドナルド・キーンは、アメリカ出身の日本文学者、コロンビア大学名誉教授。日本文化研究の第一人者であり、2008年に文化勲章を受章。東日本大震災後、日本国籍を取得したことで有名である。
ドナルド・キーンは、夫の博士号の指導教授であった。そんなことは、どうでも良い?

さて、ドナルド・キーン氏は、三島由紀夫氏と親交があった。ブロードウェイデビューを夢見ていた三島氏は、ニューヨーク在住でありコロンビア大学で教鞭をとっていたキーン氏にアドバイスを求め、新狂言「附子」を書いた。

「碧い眼の太郎冠者 ドナルド・キーン記念 狂言会」パンフレットより

ドナルド・キーン氏は、日本文学研究者として京都に滞在していた頃、二世茂山千之丞から狂言を習っていた。当時は外国人が狂言を習うのは珍しかったため新聞などに取り上げられ、「碧い眼の太郎冠者」という固有名詞をつけられた。キーン氏本人は、自分の目の色は青くないと言っていたそうである。

ドナルド・キーン氏は、京都で研究を続けている時、縁あって谷崎潤一郎夫妻と知り合い親交を深めた。キーン氏が二世千之丞氏から狂言を習っている時、谷崎潤一郎夫妻は、千之丞氏の父親である茂山千五郎氏から狂言の小舞や小唄を習っていた。京都での研究滞在を終えニューヨークに帰る前のお別れ会にて、谷崎夫妻から「お土産を渡したいが、何が良いか」と尋ねられたキーン氏は、「松子夫人の小舞を見せていただきたい」とお願いしたそうである。

夫は1993年、ブロードウェイデビューが叶わずお蔵入りとなっていたこの三島狂言「附子」を英訳したいとキーン氏に相談したところ、同意してくれた。夫はその新狂言「附子」を自著〜三島由紀夫戯曲集「Mishima on Stage the Black Lizard and Other Plays」の一編として出版した(2007年)。

夫の本を読んだニューヨーク在住の舞台演出家David Kaplanが、2019年にマサチューセッツ州プロヴィンスタウンにて「Tennessee Williams & Yukio Mishima(テネシー・ウィリアムと三島由紀夫)」という演劇フェスティバルを開催した。そこで三島由紀夫氏の「附子」が、ニューヨークの劇団によってアメリカで初めて上演された。
そのフェスティバルに招聘された夫は、自分の学生とともに英語による日本の古典狂言「附子」を三島「附子」と同じ舞台で上演した。

The Tennessee Williams Theater Festival, Province Town
テネシー・ウィリアム・フェスティバルのパンフレット表紙

新狂言三島由紀夫作「BUSU」
One-Eighth Theater(New York)
Directed by Daniel Irizarry
Photo by Nate Gowdy

「碧い眼の太郎冠者 ドナルド・キーン記念 狂言会」の日本公演の企画が上がったのは、昨年夏のことだった。夫はドナルド・キーン氏の御養子であるキーン・誠己氏と共に、一見何の関係もなさそうな冒頭4人の名だたる名士の繋がりを見出していた。日本人3人がドナルド・キーン氏に深く関わっていたという面白い事実がわかり、これに関係した公演を催し発表したいと思ったようだ。

「碧い眼の太郎冠者 ドナルド・キーン記念 狂言会」チラシ

夫は、自分の日本伝統芸能の出発点は、京都大蔵流茂山狂言にあると思っている。自分のポートランド州立大学(PSU:Portland State University)にも1980年代に二世千之丞氏を、その後御子息の茂山あきら氏、そして三世千之丞氏を三代にわたって招聘し、ワークショップや公演をしていただいた。

夫とキーン・誠己氏は、「碧い眼の太郎冠者 ドナルド・キーン記念 狂言会」の日本公演企画に三世茂山千之丞氏に関わってもらいたいと依頼した。千之丞氏は、忙しい中この公演企画に参加することに同意してくれた。

この狂言会は、キーン氏、三島氏、二世千之丞氏の出会いから70年を記念して、ドナルド・キーン記念財団主催、新潮社文芸振興会や中央公論新社などの協賛のもと、今年9月25日に東京南青山の銕仙会にて、そして9月27日に京都大江能楽堂にて開催されるに至った。

この公演にあたって、夫は自分の大学PSUの春の日本伝統芸能狂言公演に出演した3名を出演させることを決めていた。つまり自分はドナルド・キーン氏の弟子であるが、自分の学生はキーン氏の孫弟子にあたるとして、この公演に出演させる意味を見出していた。


写真:「蟹山伏」「藤娘」〜PSU狂言公演
日本舞踊の演目を入れることにより、華やかさを演出した。
2024年6月PSU英語狂言公演リンク【Trickery, Laughter and Love

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【碧い眼の太郎冠者 ドナルド・キーン記念 狂言会演目
ご挨拶:キーン誠己
解説:茂山千之丞
◆「附子」〜古典狂言の英語による上演
PSU学生: Harley Hansen/Corban Rogers/Laurence Kominz
解説:児玉竜一(早稲田大学教授・演劇博物館館長)
◆狂言小舞
「吉の葉」〜谷崎潤一郎『月と狂言師』における最も大切な月見の曲
PSU学生Lumiki Matern
「細雪」〜谷崎潤一郎が書いた新作の小唄。茂山家が曲と舞の振りをつけた
大蔵流・茂山茂
「宇治の晒し」〜谷崎松子夫人がキーン氏の送別会で舞った小舞
茂山千之丞
「京童」〜狂言流派の中で、茂山家のみが披露する子供の遊びを表現する小舞
日本語と英語による/PSU学生:Lumiki Matern
解説:ローレンス・コミンズ
◆「附子」〜三島由紀夫作
茂山千之丞/茂山茂/網谷正美
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公演にあたり作成されたパンフレットは53ページにも及び、
日本を代表する文化人の出会いから直筆書簡、写真などが多数記載され、
4人の交流の詳細がうかがえる素晴らしいものである。

2022年9月、早稲田大学にてPSU学生による英語歌舞伎が部分上演された。演目は、三島由紀夫作「鰯賣戀曳網」であった。2023年9月には、早稲田大学大隈講堂と新潟柏崎の「ドナルド・キーン・センター柏崎創立10周年記念式典」にて、PSU英語歌舞伎「弘知法印御伝記」の部分公演を行った。
そして今年9月、PSUの学生たちは、この「碧い眼の太郎冠者 ドナルド・キーン記念 狂言会」にて、プロの大蔵流狂言師とともに英語狂言「附子」と小舞を披露させていただく機会を得た。
これらの経験が、日本語や日本伝統芸能を学んでいる学生たちにとってどれほど貴重で素晴らしい経験となったかは、言葉では言い尽くせないほどである。

アメリカ人の日本文学者である夫は、PSUを2022年に退職した(退職後も日本伝統芸能の授業を教えている)。在任中40年間に教えた学生数は10,000人を超える。その中で、日本伝統芸能の狂言や歌舞伎の授業を取り公演に出演した学生数も1,500人以上である。

日本以外の国で、外国人が日本語、日本文学、日本伝統芸能、日本の歴史や文化などを一生懸命勉強し、外国で教える。そしてそれを学ぶたくさんの外国人がいる。
夫の日本伝統芸能公演は、主に地元オレゴン州ポートランドで開催されたが、アメリカ国内、カナダ遠征などの公演回数は、40年間に小さい公演を含めると100回以上になるだろう。何千人の外国人がこれらの公演を観たことだろう。
演じている外国人学生が「日本の文化の素晴らしさ」を伝え、それを観る外国人は大いに楽しむ。そしてこのような異文化観賞を通じて日本という国、日本人を理解しようとする。

日本でも様々な外国の音楽やオペラ、演劇などが日本人によって演出され、公演され多くの日本人が外国文化を鑑賞し賞賛し楽しんでいる。

日々戦争のニュースが伝わる中、平和であってこそこのような文化交流を続けることができ、外国文化を共有する喜びを味わえるのではないかと思う。


英語狂言「附子」を演じる CorbanとHarley

夫が「主」を演じた


小舞「吉の葉」を舞う Lumiki

「京童〜きょうわらんべ」を舞うLumiki

小舞「宇治の晒し」 三世千之丞/茂山茂

三世千之丞氏演出の三島狂言「附子」
プロの演技に会場は大きな笑いに包まれた
茂山茂/茂山千之丞
写真:Minh Ngo

田中 寿美

熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。

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