海外だより
2024.08.20
ポートランド盆踊り大会
8月は盆踊りのシーズンだ。ここポートランドでも8月3日に「2024 Obon Fest」が Oregon Buddhist Templeで開催された。
このお寺での行事は30数年前に始まり、お寺全体が地域住民に開放され駐車場で盆踊り大会が催される。
この盆踊り大会の参加者は毎年増え続けている。予約の必要がなく参加自由の上に、午後2時から夜9時までの7時間出入りが自由なので、早く来て早く帰る人、遅く来て終りまでいる人、一日中いる人と実際には何人が参加しているのかわからない。少なくとも1000人以上が参加しているのではないだろうか。
「お盆」が目的であるから、浄土真宗のこのお寺では、お盆のしきたり、ご先祖様の供養などが本堂で行われている。そして素晴らしいことに、人種や宗教に関係なくこの本堂に自由に入ることができる。
盆踊りに集まった地域の人々
車椅子の人もいて、色々な人が集まって楽しそうだ。
さて、全米でどれほどの盆踊り大会が催されているのだろうか。夫はニューヨークに住んでいた1970年代後半、盆踊りに参加したことがあるそうだ。場所がどこだったか覚えていないが、大勢のニューヨーカーが参加し盆踊りを楽しんだとのことだった。
夫の友人であり大学で日本文化、日本音楽史、踊りや太鼓文化の研究をしているハワイ出身の教授の話でも、アメリカの盆踊りの起源はわからないそうだ。記録に残っているのは、1930年代西海岸サンフランシスコ地域で Yoshio Iwasakiという人が提案し催されたのが初めだったらしい。その後、日系アメリカ人(略:日系人)や日本人がいる西海岸で広まり、徐々にこの慣習が根付いていったようだ。
しかし、せっかく地域に根付き始めた盆踊りも、第二次世界大戦によって西海岸のほとんど全ての日系人が強制収容所(Internment Camp/Concentration Camp)に収容された為、盆踊りもなくなってしまった。ただ、キャンプの中でも日本文化を絶やさないようにと、盆踊りが続けられていたようだ。戦後強制収容所から解放された日系人たちが地元に戻り生活を立て直す中、日本の文化や慣習を再構築したいと熱望したのは否めない。
Internees celebrating Bon Odori Festival. Heart Mountain Relocation Center (Wyo.)
American Heritage Center Collections. Photo by Bill Manbo, 1942-1944.
乾燥地帯のワイオミング州強制収容所で盆踊りを楽しむ人々
参考:#58. ロッキー山脈を越えて(後半)
しかし、ここに日系人の屈折した歴史が現れる。
強制収容所に収容された日系人の生活がすぐに元に戻ったわけではない。地元に帰っても戦前のように日本文化を尊重し、アメリカで生活しながら日本の生活を楽しむという習慣は元のようにはいかず、多くを諦めなければならなかった。「アメリカでアメリカ人として生きていかなければならない」という覚悟と選択である。特に日系人が多かった西海岸各州では、アメリカ人社会と強制収容所から戻った日系人社会の溝はすぐには埋まらなかった。全財産を没収され、数年もの間僻地に追いやられた日系人の屈辱や恨みもなかったわけではないだろう。
しかし、どうあがいても日本ではなくアメリカの土地に住んでいる。その地に適応し生きていかなければならない。その溝が埋まるのには、数十年の月日を要した。
戦後地元に帰った日系人は、アメリカ人社会の中で自分のアイデンティティーを消し、アメリカ人として認めてもらう努力をする人も多かった。
家庭内、日系人の内輪だけではともかく、外に出ればなるべく英語を話し、子供たちに日本語を学ぶ機会を与えるのを諦めた家族も多い。
しかし面白いもので、文化というものはそれほど簡単に無くせるものではない。日本文化として日系人の間に最も強く残ったのは、食文化である。立派な巻き寿司、ちらし寿司、おはぎなど日系人のパーティに行くとよく出された。
アメリカにおける人種差別問題は、戦後の日系人ばかりでなく、黒人、ヒスパニック問題となり、1950年〜60年代には「黒人公民権運動~Black Civil Rights Movement」が始まった。黒人のこのような運動の陰で、日系人の賠償運動が1970年に始まる。強制的に移送され収容された日系人に対する補償、認識、謝罪を米国政府に求めた運動は、その後20年続いた。1990年に米国政府が8万2000人以上の日系人に対し、謝罪の大統領書簡と財務省から2万ドルの小切手を含む封書を送り始めた。
私は、1985年に初めてポートランドに住んだが、日本人に対する差別を感じることはほとんどなかった。当時この地域の日系人に差別の話をすると、「この地域の日系人、日本人の数はおよそ5000人だが、この地域に居を構えた日系人は、長い年月を掛け地域に貢献しポートランドの発展に尽くしてきた。そのために偏見が少ないのではないか」と応えてくれた。オレゴン州の人口は435万人(2022年統計)、日系、日本人数は23,000人(2024年)とのことだ。1990年代には日系企業の誘致が始まり多くの企業が支店を構えた。そして会社の関係で毎年たくさんの日本人が引っ越して来るようになった。私が教えていた日本人学校補習校も急激に生徒数が増え、数年前は幼稚園から高校まで400名を超えていた。このように日系人、日本人の人数が急激に増えたことも偏見が少なくなっていった理由の一つと言えるかもしれない。
ポートランドの街の中心には、市の発展に大きく寄与したBill Naito氏の名前にちなんで「Naito Parkway」という通りがある。1996年に「Front Avenue」に代わってこの名前がつけられた。このことからもわかるように、多くの先人の功績によって人種への印象は大きく代わってくると思う。
しかし、ここはアメリカである。個々の人種偏見は他の人にはわからないし、変えることもできない。
Naito Parkwayのサイン
Naito Parkway道路
Japanese American Museum of Oregonで開催されているBill Naito氏の展示会チラシ
Oregon Buddhist Templeの盆踊りも一般に開放され知られるようになったのは、ほんの30数年ほど前になってからである。アメリカ人一般に開放されるまでには紆余曲折の時期があったに違いない。予約もなく、その日お寺全体に自由に出入りができる。このことは、アメリカでどれほど大胆なことであるか。銃所持に規制が効かないこのアメリカで、大勢の人が集まる場所の危険のリスクは大きい。しかし、この盆踊りは、毎年8月第一土曜日に催され、ポートランドの夏の行事として多くの人たちの楽しみの一つとなっている。
しかし、盆踊り大会といってもただ集まってできるわけではない。
それを主催する団体や地域住民が自由に出入りできる場所が必要となる。そして盆踊り大会であるから、盆踊りを踊って指導、先導する人が必要となる。
どの音楽(盆踊り用)を選ぶか、会場の飾り付け、日本のように食べ物を売るブースを決める。また盆踊りが始まる前には、この地方の太鼓団、舞踊団のエンターテイメントもあるので、ここまでたどり着くのには相当の時間がかかるのではないだろうか。
この盆踊り大会は、浄土真宗信者でこのお寺の檀家の方々が早くから計画し、本格的な準備を始める。私はこのお寺には関係していないが、私の日系人の友人が檀家であり、熱心にこのお寺をサポートしているので、着物関係のセールを手伝って欲しいと言われ、手伝っている次第である。
サンプルとして頼まれてマネキン数体に着物を着せた。
夫の学生たちに浴衣を着せた。自分の浴衣を買うMegan
着物の他に雑貨も販売する。
この盆踊りは、毎年参加している人たちが6週間前から週2回夜7時にお寺に集まり、リーダーによる指導、練習がある。この練習をした人たちが、当日の踊りの模範となり皆が真似て踊る。盆踊りは、ほとんどが同じ振りの繰り返しなので、誰でも楽しむことができる。ちなみに東京音頭は1933年に作曲されたとのことで、ここでも毎年踊られる人気の盆踊りである。アメリカでは、近年その地方の盆踊り曲が作られているそうだ。この地でも2016年に「ポートランド音頭」が作曲され、踊りが付けられ人気の曲となっている。そして必ず「炭坑節」でこの盆踊り大会が締めくくられる。
お寺の地下の集会場で毎週集まって練習する人たち。
「ポートランド音頭」
会場では、屋台も出て、焼きそば、そうめん、おにぎり、かき氷などが売られている。お寺の地下では、着物の販売が大人気で、多くの人が浴衣や着物を買い求めにくる。そして買った浴衣をそのまま着て盆踊りに参加する人もいる。既に浴衣を持っていて自分で着て会場に来る人もたくさんいる。着物は多くの人の寄付で集まり、着物コーナーを担当している人が、日本で古着を買って来ることもあるそうだ。この盆踊り大会の収益は、古着の着物売り場だけで10,000ドル以上(今年は11,000ドル)あるそうだ。この収益は、お寺の運営を大きく支えているばかりでなく、檀家の方々の結束の力を示しているように思う。
着物が大好きなアメリカ人女性。この女性は日本関係の行事には、いつも素敵な着物を着て参加する。
この日は狐の模様の浴衣にうちわ、そして狐の帯締めだった。自分で髪も結う。
アメリカ人でありながら日本文化を尊重し大いに楽しんでいる。
可愛い友人の子供たち
この地域には、もう一つ素晴らしいお盆の行事がある。Portland Japanese Garden
「O-bon, The Spirit Festival」である。「Spirit Festival」と言うように、ガーデン内の池に「灯籠流し」のようにロウソクに火を灯し浮かべる行事もあるようだ。太鼓演奏と盆踊りもあり、多くの参加者が楽しむと聞いている。しかし、夫と私は残念ながらこのお祭りには参加したことがない。今年も8月19日と20日の2日間、午後7時〜9時まで開かれる。あまりに多くの人が参加すると思い躊躇していたが、いつか参加してみようと思う。
このように夏だけでも2つの大きなお盆の行事がこのポートランドに根付いていることを本当に素晴らしいと思う。これからも人種の垣根を超えたポートランド人のお祭りとして、たくさんの人の楽しみの祭りとして継続していってほしいと願っている。
田中 寿美
熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。