翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

いい加減(その1)

菩提樹の広場

どうしてフランス語を話せるのですか?

外国にいて、英語以外の、その国で流通する言葉を少しでも使えるとすぐにこういう質問が降って来る。ことに地方にでかけたりすれば猶更だ。フランスも例外ではない。世界が“狭く”なり、好むと好まざるに拘わらず英語を共通語とする現状にあって、他の国々は自分の言葉になおのこと愛着を感ずるのだろう。私も、流暢に日本語を話す外国人に会うと、つい同じ質問を発してしまう。

この質問は、10月のフランス滞在の間にも二度ばかり、私たちに寄せられた。

パリから南へ下ること500キロ余り、オーベルニュからローヌアルプ地方を旅するという小旅行の2日目、ペルージュという小さな村を訪ねた時だった。

レンタカーのナビが導くままにその日泊るホテルの“住所”までやって来た私たちを迎えてくれたのは、大きな菩提樹が一本だけ立つ広場だった。

静まり返った広場には誰もいない。

ゆっくりと周囲を見回すと、古びた石造りの、せいぜい2階建てという建物が数件あった。

広場に入ったすぐの右手に、少し大きめの“立派な”ものがあり、私は「ここだろう」と目星をつけて、重い木の扉を押して中に入った。

中は薄暗かったが、広い土間のような(“サロン”と言えなくもない)ところには、無骨ではあるけれど温かみのある木製のテーブルが並び、よくよく見ると、壁の調度には、なかなか趣のある陶器などが置かれている。まさしく「旅籠」の雰囲気だった。

入ってすぐの所には“フロント”というイメージの机が一つ。「ボンジュール!」と大きな声を出すと、奥のほうからタブリエを着た初老の女性が肩を揺らしながら出てきた。

「キタハラです。今夜泊る予約をした。車は何処にとめればいいのかしら?」

「ちょっと待って、鍵を取ってきます。駐車場が裏のほうにあるから、そちらに車を回してくださいな」

女性は再び奥へ入ると、今度は大きな黒い鉄の鍵を持って来た。外に出る彼女を、私はあわてて追いかけ、車に残っていた夫に、後についてくるよう合図した。

ごろごろと大きな石の道を来たほうに戻る感じで5-60メートルも行くと、“村はずれ”のような所に広い場所があり、数台車が停まっていたが、確かにそこの塀の向こう側には、さっき見た建物の裏側が見えているようだった。

彼女が、「フランス語上手ですね。どうして?」と言った。

彼女が大きな鍵を持っていた理由はその後すぐに分かった。

夫が“きちんと駐車”し、車からそれぞれの荷物を取り出して、また、彼女について歩く。元の建物にもどるのではなく、ちょっと手前の小径(ここだってゴロゴロ石の石畳)の所で立ち止まると、やおら彼女は黒い大きな鍵で石塀にあった小さな扉を開けた。そこが、“アネックス”で、食事はさっきの“本館”、眠るのはこちらだと言う。

「鍵がちょっと難しいけれど、ここのは必ず閉めてくださいね」

閂がバタンと大きな音を立てた。

アネックス(右手の3階建て:フランス式)と泊った部屋

小さな中庭に古い建物があり、また鍵を開け閉めして、彼女は私たちを3階の部屋へと案内した。宿泊用の小部屋はおそらく全部で10もないだろう。1階、2階には素敵なサロンがあり、「ここも全部自由に使ってくださいね」と彼女は言った。10月半ばという季節外れ(フランスはその直後11月1日の諸聖人祭に休暇がある)のその時期に、お客はほとんどいなかったようで、私たちは小さなお城のような3階建ての“アネックス”を占領した。

アネックスの客間

リヨンの北東30キロほどのところのペルージュという村を選んだのは夫だ。「中世のままの佇まいを残す静かな美しい村で、≪フランスの最も美しい村々≫の一つだから行ってみようよ」と言われ、一も二もなく賛成した。

2001年からの2度目の駐在時に、私たちはこれらの村を訪ねることを週末の楽しみなどにしていたが、それはやはりパリからせいぜい2-300キロの所に限られてしまう。当時、大型休暇にはもっぱらイタリアを旅していたために、フランス中央部は“忘れ去られた”地域になっていた。だから遅ればせながら“フランス再発見”というわけである。

この≪フランスのもっとも美しい村々≫という制度、いや、組織と言ったほうがいいかもしれないが、これは結構“権威ある”もので、その栄誉を与えられた村は本当にどこを訪ねても、旅心を満足させてくれる、よい場所である。

なんでも、選ばれるにはかなり厳しい審査があり、またその栄誉ある称号を保つためにも数多くの“努力”が必要らしい。現在、そこに登録されている170余の村のうち、私たちが実際にいくつ訪れたのか正確に数えたことはないが、どこも裏切られることはなかった。観光シーズンにはもしかしたら、それなりの喧騒もあるのかもしれないが、大体は落ち着いた雰囲気を保ち、都会人がほっこりとゆったりと過ごすことのできる空間を与えてくれている。

中世のままの石を並べた道、石を重ねた塀、古い教会、昔の貴族の館、名残りの菜園、、、私はぺったんこの靴をはいて、句帳を片手に、のんびりと歩いた。歩いては立ち止まり、古い建物の扉が開いていれば中を覗きこんだ。

城壁の門をくぐって“外”へ出てみたり、古い塔のてっぺんにも上った。背の低い石塀のそばに来たら、まねき猫のように座るトラちゃんがいて、2-3言葉を交わした。

(左から)菜園を見下ろす、城塞の門、まねき猫?

今はもう使われていない古井戸の、黒い滑車が素敵なオブジェになり、きれいな“花壇”として設えてあるのに感嘆の声をあげながら、東京の庭を思った。(つづく)

石積みの壁這ひ上がる蔦紅葉 ちづこ

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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