海外だより
2022.03.17
パンデミック下の日本帰国〜私の場合②
アメリカに帰った私の鬱症状は、しばらく続いた。主治医(Primary Doctor)に直接会って相談したかったが、当時、私がかかっている病院では、救急医療以外の医者は自宅待機で、患者とはオンライン診療のみを受け付けていた。病院での診察が叶わない私は、オンライン診療の予約を取った。彼女は私と40分ほど話し、一番軽い精神安定剤を処方してくれた。昼間は外に出て庭仕事をし、畑で取れた野菜で料理をする。また家中の掃除をしているうちに1ヶ月半もすると鬱の症状は軽くなった。
アメリカでは、2020年3月からドイツのビオンテック社とアメリカのファイザー製薬会社によってコロナワクチンが共同研究開発され、劇的な速さで試薬されていた。そして最も早い接種が2020年12月から医療関係者向けに始まった。私自身も2021年3月にファイザー社の1回目、4月初めに2回目の接種を終えた。熊本の母や姉夫婦も高齢者枠で6月中旬にワクチン接種ができていたので、1年ぶりに6月初めから6週間、日本に行くことに決めた。母は幸いにもこのコロナ禍の時期を生き延びてくれていた。
2021年6月〜2度目の帰国―隔離状況が厳しくなった!
2021年夏、世界中のコロナ感染者は爆発的に増え、デルタ株(Corona 19 Delta Variant)の死者数が増えていた。日本政府は前年度からずっと外国人の入国禁止を続けていた。私には、8月に東京オリンピックの開催を決行するために、感染者数や死者数の増加などの諸問題を黙殺しているように見えた。
しかし、日本人帰国者への空港での入国審査や隔離期間の監視は昨年夏より確実にずっと厳しくなっていた。
アメリカ出国前72時間以内のPCR検査が加わっていた。また入国して質問票に答え、携帯に居場所確認のGPSアプリを入れさせられる(GPS機能が入らない携帯電話所有者は、空港でスマートフォンを自費で借りてGPSを入れなければならない)。そして入国後のPCR検査*を受け、陰性の結果が出てやっと解放される。私の場合はなかったが、予約していたハイヤーに乗るところまで係員がついてきて確認された人もいた。そして、帰宅あるいはホテル到着「翌日から14日間」、隔離規則を守っているかどうかの確認連絡が入る。
厚生労働省による帰国者の健康・自宅隔離の管理に「顔認証」が加わった
GPSは、まず朝一番に自分で健康状態を報告し、発熱や嘔吐などの症状がないかどうか、滞在している家族の健康状態を『はい/いいえ』で答える。その他1日3回ほど厚生労働省から居場所確認の連絡が入った。しかし、2020年度と違ったのは、かかってきた電話に応答し、自分の顔を携帯画面に写して見せるという「顔認証〜MySOS」が加わったことだ。
入国時羽田空港で携帯電話に入れられるGPS「MySOS」
私の携帯では着信音が鳴らなかったため、家の中でも携帯を持ち歩き15分毎に携帯をチェックしなければならなかった。厚労省に「MySOSの着信音が鳴らないのはどうしてか。連絡が来ても携帯を始終見ていなければわからないので本当に困っている」とメールを送ったが返事はなかった。
初めて電話がかかってきたとき、私は驚いた。内容は良く覚えていないが、若い男性の声で「厚生労働省からの顔認証の確認です。『ビデオをON』にして携帯に顔を写して見せてください」と命令的に言われた。相手の顔など全く見えない!私は「あれ?どうして自分の顔は見せないの?」と思ったが、この命令にただ従った。
しかし、2回目の顔認証の時、真っ黒な画面から聞こえる指示に従うのは、土足で家に踏み込まれているようで非常に不快だった。私は、遂にプッツンしてしまった!私は厚労省からの電話の相手に向かって言った。
「人に顔を見せろと依頼するのであれば、あなた、まず自分の顔を見せ『厚労省の〇〇です』と名乗り、『顔認証をさせていただけませんでしょうか』とお願いするのが礼儀ではないですか?私は外国から帰ってきた普通の国民です。仮釈放中の犯罪者ではありません!!」と言うと、相手は黙ってしまった・・・。
息子が「お母さん、外部に委託しているバイトかなんかの人に文句言ったって、どうにもならないよ。文句があるなら直接厚労省に連絡するか、署名活動か何かしてメディアにでも訴えなければ無駄だよ!」と私をたしなめた。しかし、私の腹の虫は治まらない。2週間の間にかかってきた内で3回ほど不愉快だと文句を言った。
私は一人で帰国したのだからいいが、子連れの家族の場合、小さい子供も一人として扱われ、1歳ぐらいの子供でさえ顔認証を要求され、寝ている場合、泣き叫ぼうが起こして顔を見せなければならないと聞いた。プライバシーへの配慮を欠いたビデオ通話を強いるのは、一体何なのだろう?政府の国内向けの対策「やっている感アピール」でしかないのではないかと思った。
14日間の隔離期間を終えた私は、翌日母の介護の手伝いのため熊本に向かった。
バッハ会長やオリンピック選手の隔離期間はなぜゆるい?
このような不愉快な隔離期間を終え、実家で母の世話をした私は、東京オリンピック開始直前アメリカに戻った。アメリカのTV Japanでは、オリンピックは放映できないが日本のニュースは入ってきていた。オリンピックのバッハ会長が隔離期間をほとんど免除されていること、オリンピック選手も2週間の厳しい隔離は強要されていないことなど・・・。待遇の差に愕然とする。ワクチン接種の有無など関係ない。
「なんで日本人帰国者ばかりをこのように厳しく管理するのだろう?」と、また日本政府のやり方に怒りが収まらない。
オリンピック・パラリンピック終了後、コロナの感染者数は爆発的に増えた!!
隔離期間が短縮可能になった
オリンピック後の感染者数が減少し始めてきた秋口、それまでに相当の苦情が出たのだろう、帰国者で隔離期間を14日から10日に短縮したい人はできるようになった!この4日間の短縮は、隔離されている者にとってどれほど精神的に楽になるか、また大都市圏以外の地方出身者で14日間ホテルに滞在しなければならない人たちにとっては、自費で支払うこの費用は経済的にも助かる。
しかしだ!!この10日間に短縮するためには、10日目に改めてPCR検査を自費で!受けなければならないようになっていた。
PCR検査所が滞在場所近くにない!
ベルギーに住む妹は、11月にアメリカ人の夫(配偶者ビザ)と帰国し、東京に住む別の妹のところで10日間隔離期間を過ごした。ところが、滞在していた江戸川区には、国から指定されたPCR検査病院がない!調べてみると一番近い診療所は千葉県市川市と出てきた。隔離期間10日目では、まだ公共交通機関を使うことができない。あと4日間我慢して期間満了とするか、またはハイヤーを頼むかとも考えたが、隔離期間の我慢に限界が来ていた妹夫婦は、携帯電話のGPSを頼りに市川まで歩いて検査を受けに行くことに決めた。1時間あまりほどの距離だったそうだ。
市川の診療所でPCR検査を受けている最中、妹に厚労省から居場所確認の連絡が入った。幸いこの診療所は、厚労省のリストに入っていたので「居場所確認」の問題にはならなかった。ところが妹の夫には市川から歩いて帰っている途中に「居場所確認」電話がかかってきた。道路はリストに入っていないので「居場所が違う!」と何度か確認連絡が入り、遂に「警告!!」が出てしまった。特に外国人であったためブラックリストに載る可能性があると心配した妹は、厚労省に直接電話して事情を説明した。
「昨日『隔離期間を10日間に短縮したい人はPCR検査を受けてください』という連絡を受けたので、検査を受けるために外出しました。私たちは江戸川区に滞在していますが、この区には検査所が全くないのですよ。なぜですか?仕方がないから携帯のGPSを頼りに歩いて市川まで検査をしに行きました。
私の夫は善良なアメリカ人です。この10日間、全ての隔離確認にきちんと応答しています。記録を調べてください!!このような状況で『ブラックリスト』に載せられたのではたまりません。警告を取り消してしてください!!」と言ったら、相手は「すみません。取り消します」と謝ったそうだ。PCR検査費用は、夫婦で4万円だったとまた怒り狂っていた(怒りが多い!!)。
このような状況がいかに大変か、隔離されてみなければわからない。
私のポートランドに住む友人でこのパンデミック期間中に、親が亡くなっても帰国を諦めた地方出身者が3人いる。親や家族が大都市圏外に居住している帰国者は、公共交通機関(飛行機、新幹線、バス、タクシー)が全く利用できないので、空港から直接自宅に帰ることがほとんどできない。つまり、帰国翌日から14日間都内のホテルで隔離生活を送らなければならないので、親が危篤でも間に合わないと考えるのだ。何のために帰国するのかと躊躇してしまう。14日間のホテル滞在費用は自費なので、帰国費用の大きな負担になる。もし10日目にPCR検査を受けるとまたお金だ!
外国に住むことの大変さを改めて認識させられるパンデミック下の帰国だ。〜つづく〜
田中 寿美
熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。