翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

2026.01.15

アメリカでの「人生の終末」を考える③

空っぽになった義母のアパートのダイニング・リビングルーム

人生、誰もが自分の親の終末期を自分の手に委ねられるとは限らない。誰が親の終末の責任を負うのか。兄弟姉妹がいれば、中心になって行うのは誰か。また家族がいない場合、どのようにするのか。終末医療の問題、その後の親の遺産相続問題、住居、遺品や所蔵物をどのようにするかなど、一人の人生が終わる時、残された家族の負担は想像以上に大きく、普段考えていない問題が次々と出てくる。

夫と私にとって、義母の死は、病気がわかってから亡くなるまで1ヶ月余りと短く、比較的短期間に決断し処理しなければならないことが数多くあった。そのほとんどの処理事項は長男である夫に任された。リタイアメントホームの片付け、遺留品、遺産相続のことなど、私たちは、考え試行錯誤しながら進めていった。

葬儀をしない

アメリカでは、葬儀に関しては、宗教が大きく絡んでくる。家族の宗教によって葬儀のやり方も異なる。例えば、ユダヤ教の場合、死後できるだけ早く葬儀を行い、土葬が基本のようだ。イスラム教も死後早めの埋葬が推奨されている。しかし、キリスト教の場合、牧師による礼拝、教会や葬儀場で死者との最後のお別れの場を設けることもある。アメリカには無宗教の家族も多い。また宗教信者であっても宗教に従わずに葬儀をすることもある。土葬か火葬か、火葬でもアメリカの場合、遺骨ではなく「遺灰」となる。近年、墓を設けず、遺灰を森や海に散灰する家族も増えている。

夫の家族は、ユダヤ教であったが、義父の代から「Unitarianユニタリアン」といういわば神道のような宗教に改宗した。

義母もそれに習い、日曜日にはユニタリアンの教会に行っていた。

この宗教は特別の決まりが少なく、葬儀も比較的自由である。義母の場合、家族や親戚のほとんどは存命中に最後のお別れにきていた。そのため亡くなってもすぐに葬儀のために遠路再び来ることは難しく、夫と私は葬儀をしないことに決めた。「葬儀をしない」ということは、宗教に関係した牧師を呼び、家族や親戚を招き死者を弔う儀式をしないということだ。

義母は生前、自分の遺灰を入れる特別な箱を注文し、どの火葬場を使うかまで決めていた。夫と私は、その箱を業者に渡し2人で義母を見送った。後日義母の遺灰を受け取り、今年2月にLouisiana州New Orleansにある義母の先祖が眠る墓に納めに行くまで我が家で預かることになった。そして、9月に葬儀に代わる義母の追悼式「Memorial Service」をおこなう計画を立てた。

Trustee―委託者という仕事

夫の父は、2022年に98歳で心臓麻痺により急逝した。義母と離婚した後、再婚した相手とBostonに住んでいたが、再婚して30年以上が経っていたため、夫は長男ではあったが、葬儀に関することから義父が残した財産まで全てを再婚した相手家族に委ねるしかなかった。

しかし、義母の場合、2019年に私たちが住む地域に東海岸から引っ越してきていたため、長男である夫が妹弟の承諾を得て「Trustee-受託者(亡くなった人から信託された財産やほとんどの権利を管理し、財産を受け取る人全員が納得いく行動と役割を果たす人)」となった。

日本の場合、家族間の誰かが「Trustee-受託者・財産資産管理」になることはあるのだろうか。資産の受取人の状況によって異なると思うが、公認会計士や司法書士などに委託されるのではないかと思う。

Trusteeとなった夫は、義母のリタイアメントホームの様々な処理事項、アパートの片付け、保険・財産・資産関係、メモリアルサービスの企画など、数えきれないほどの仕事をこなしていくことにった。私は、この仕事量にほとほと頭を抱えながら、夫と一緒に考え一つずつ物事を処理していった。

遺品整理・片付け

状況の違いはあっても、近親者を亡くした家族にとって、残された遺品整理について悩む家族は多いのではないだろうか。

義母の場合、再婚相手を亡くした後、2019年11月に東海岸のMaryland州から長男が住むポートランドに引っ越してきた。アメリカの大型引越しトラックにたくさんの家具の他に320の箱が移送されてきた。老人一人世帯の荷物とは思えないほどの量である。当時89歳の義母がそれらの箱を梱包したのではないので、業者に全て任されて運ばれてきたわけだ。私はその家具と荷物の多さに仰天してしまった!!

荷物を運んできた業者は、家具の荷解きはしてくれたが、箱まではしてくれない。結局義母ができることは限られており、私がその仕事を負うことになった。私は、私の友人たちに応援を頼み、3L D Kの部屋に320箱を区別して入れ、その部屋ごとに箱を開けて義母が自分でわかりやすいように収納できるまで手伝った。これも大変な仕事だった。

しかし、その後2020年にパンデミックが始まり、夫も私も義母の住むリタイアメントホームには入ることができなくなった。義母は少しずつ自分の新しい住まいを作り上げていった。

義母は5年半を好きなものに囲まれ、快適に暮らし亡くなった。ただ、義母には、「断捨離」や「終活」という概念や言葉が「皆無!」と言う程なく、パンデミックの間外出ができなかった分、インターネットやリタイアメントホーム内のショップで買い物を楽しんだ。その間、物の数はますます増え、家は隙間がないほどの家具と物で埋め尽くされていった。

私自身は、どれほどの物が増えていったのか、亡くなって初めて知ることになった・・・。

さて、片付けに関して私が最も気を遣ったことは、義母が入院した後リタイアメントホームの自分のアパートに戻った時である。

参照:アメリカでの「人生の終末」を考える〜②

夫は、義母のために24時間体制の介護サービスを頼み、3人交代で全く知らない介護の人たちが義母の部屋で長時間を過ごすことになった。私が懸念したことは、義母が所持している宝石類、銀食器・製品が誰にも手が届くところにあったことだ。

義母の世話をしている人たちを疑う訳ではなかったが、もし何かが紛失した場合、疑いの目がこの介護者たちに向けられる状況は回避しなければならないと思った。

私は、介護サービスが始まる直前に貴重品のほとんどを我が家に持って帰ることにした。

アクセサリーをつけるのをこの上なく楽しんでいた義母は、ほとんど動けなくなるまで、毎朝服に合わせた色のイヤリングとネックレス、指輪やブレスレットをつけていた。それらを残し、私はできる限り気づかれないように、普段使わない物を我が家に運び始めたが、その数の多さに驚いた!

義母が銀行に預けていた宝石の一部


義母は、10年ほど前、自分の母親から受け継いだ多くの銀製品を業者に売って
処分したと言った。しかし、私がアパートから持ち帰った「残された銀製品」は、
私の想像を遥かに超える数であった。

物を捨てる!

義母が亡くなって部屋を整理し始めた私は、途方に暮れた。これを一人で片付けることは絶対不可能だと思った。幸い私の友人たちが手伝いを申し出てくれた。

義母は若い頃からの服を一切捨てることなく保管していたかのように服を持っていた。夜会服、ドレス、毛皮のコート、Tシャツは7~80枚、靴はイメルダ夫人には到底及ばないが、50足以上・・・。

立派な毛皮のコートが3着クローゼットにかけてあったので、私が友人に「凄い!ミンクのコートもあるよ」と一着を見せたら「寿美さん、それはウサギの毛皮、こちらがミンクよ」と訂正された・・・。

右がミンクのロングコート。
オレゴン州はアメリカでも最もリベラルな州である。
SDGS支持者や動物保護団体も多い。
このような毛皮のコートを着て歩いていたら、拳銃で撃たれるかも?

衣類だけでも大きなゴミ袋に28個あり、これらをGoodwillに持っていった。


何を処分し何を残すのか・・・、考えるだけで気が狂いそうだった。

戦争経験者の多くが物を捨てられないということは聞いたことがある。またアメリカの家は大きく、ガレージなどを含め限りなく収納ができるのであれば、物を捨てる必要がない。よほど意識して断捨離をする人でなければ所有物は限りなく増えていく。

遺品整理にあたり、夫は義母の書斎に入り、書類の分別に多くの時間を費やした。台所から主寝室、ゲストルーム、3つのバスルーム、バルコニーなど、すべての部屋は、私と友人たちで片付けた。気が遠くなるほどの仕事量だった。

重要な書類は書斎に保管されていた為、
夫はここで何日もかけ書類をチェックした。

 Goodwillの有り難さ!

アメリカの良さは、非営利団体〜「Goodwill」という家庭でいらなくなったものを無料で引き取り、それらをリサイクルショップ店で低価格で販売する流通機関があることだ。利用可能な物ならば、どんなものでも引き取ってくれる。

私自身もこの機関を何度利用した事か、毎年数回不要となった品を寄付に行く。

街にはいくつかの大型店があるが、我が家は、
近所にあるこの店によく不要品を持っていった。
右奥の方に荷物を預かってくれるところがある。

私は、このGoodwillに物を寄付する場合、「私が持っていて全く使わないのなら、誰かが使ってくれた方が良いのではないか」と思って寄付をしてきた。

参照:引っ越しは大変だ〜②

しかし、義母はこの機関を知らなかったのか、あるいは物を処分したくなかったのかわからない。衣服ばかりではなく、台所用品、食器、大工道具、裁縫道具、本など、生活全般において、捨てる、あるいは寄付したという形跡はなく、老人一人が生活するのに必要な数以上のものが次から次へと出てきた。

夫と私が捨てた物の数は計り知れず、使えると思う物は袋や箱に入れ大型車で10回以上Goodwillに運んだ。

私は、寄付した義母のもので、自分の「Goodwillリサイクルショップ」が開けるのではないかと思ったほどだ!



台所用品、食器類も頭痛の種だった。
あまりに数が多く、殆どは
「estate sale company」に処分を委託した。

このリタイアメントホームでは、住人が死去しそこに住んでいなくても、アパート代金を毎月支払わなければならない。義母のアパートは、5,500ドル(約825,000円〜1ドル=150円)だったので、夫は、7月中に部屋のものを全て処分すると決めた。

しかし、夫と私はこのアパートに来る度に、夫は胃がキリキリと痛みだし、私は頭が痛くなった。「早く片付けてしまわなければ」というストレスは、日に日に増していった。私は、この部屋の重いものを片付けている時「ぎっくり腰」を2回おこし、その都度2日間動けなかった。

家具や遺品を家族や親戚に送る

物には価値があるものとそうでないものがあると思う。そして、「その価値とは何だろう」と、この片付けを通して考えさせられた。高い値段を出して購入したもの、骨董品、家族代々受け継いだものなどは価値があるだろう。しかし、最も大切なことは、「自分がそのものを『好き』であるかどうか」がその価値を表すのではないかと思った。

義母は、たくさんのユニークな家具や絵画、絨毯などを集めていた。義妹や義弟は東海岸に住んでいて、大型の家具を受け継ぐ気持ちはなかった。我が家も十分に自分たちが集めてきた物に囲まれて生活していたので、義母が残したものに金銭的価値があったとしても我が家に置く場所はほとんどなかった。

夫は、夫の妹弟、私たちの子供達、義母の再婚相手の家族に家具の全て、絵画、絨毯などの写真を撮りメールで送り、欲しいものがあるかどうかを尋ねた。義母に会いに来た家族は直接自分たちの欲しい物を私たちに伝えた。

手伝ってくれた友人、リタイアメントホームの義母の友人たちにも欲しいものがあれば、持って帰ってもらった。

「自分の時には、絶対子供達に迷惑がかからないようにしたい。そのためには今後自分の持ち物をどのように処理しておくべきか、断捨離、終活・・・」という考えが頭の中をぐるぐる回っていた。

義母には到底及ばないが、私だって頭を悩ますほど物を処分できずにいる・・・。

ミシガンに住む義妹に送った家具

送る人ごとに印をつけて区別した。
義母の再婚相手の孫が欲しいと言ったソファーと椅子。

PDX Estate Marketplace〜遺品整理会社

それでも家具などで処理できた物は全体から見るとほんの僅かであり、他は「PDX Estate Marketplace」という遺品整理会社に依頼し、アパート内にある全てのものを処分してもらうことになった。アパートの片付け代金は、4,000ドル(約60万円)であったが、アパートをもう1ヶ月借りる費用や私たちのストレスを考えると、決して高くはないと思った。
この会社は、これらの遺品を「Estate Sale」と称し一般公開で販売し、売ることができたものについては、その価格の半分を依頼主に返金する契約になっている。

どの町でも日々多くの人が亡くなっている。
その遺品を預かり売る仕事も必要なものである。
ポートランドにあるPDX Estate Marketplaceはとてつもなく大きい。

毎月第一土曜日と日曜日に店が開けられる。
市販の5分の1ほどの値段で良い品物を買うことができるので、
朝8時の開店前から数百人が列をなす。

義母が他界して約一ヶ月半後の7月末、全てが片付き、アパートを引き払うことができた。義母が他界した事の寂しさよりも、私にとっては、残念ながらこの遺品整理の方が悪夢のように思えた。

空っぽになったアパートを見た時、夫と私は一つの大きな仕事を成し終えたような達成感を感じた。(つづく)

田中 寿美

熊本県出身。大学卒業後日本で働いていたが、1987年アメリカ人の日本文学者・日本伝統芸能研究者と結婚し、生活の拠点をオレゴン州ポートランドに移す。夫の大学での学生狂言や歌舞伎公演に伴い、舞台衣裳を担当するようになる。現在までに1500名以上の学生たちに着物を着せてきた。2004年から教えていた日本人学校補習校を2021年春退職。趣味は主催しているコーラスの仲間と歌うこと。1男1女の母。

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