翻訳ひといきコラム

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海外だより

オーストラリアで雇用する

うちのオフィスの受付デスク。起業してから14年、何人がここに座ったのだろう。

オーストラリアのケアンズで小さな不動産会社を経営し、住宅の販売と賃貸物件の管理を行っている。売り物件を獲得して成約するまでの業務や、賃貸物件の管理を滞りなく行う事はそれぞれに大変ではあるが、私が一番苦戦しているのはスタッフの確保だ。信頼出来て仕事が出来るスタッフに長く働いて貰うのは(長く働いてくれるスタッフを見つけるのは)、至難の業だと言わざるを得ない。

起業してから採用した営業スタッフはこれまで9名。5名は「営業職は向いていない」と双方同意のもと退社し、4名はうちでトレーニングを受けて自分一人で販売が出来るようになると「大手の会社に移ります」と退社していった。ある女性は月曜日の朝に携帯のテキストメッセージで退職を告げてきた。金曜日まで「私はミホの下で働けて本当に幸せ」と言っていたので我が目を疑った。うちの会社に入社する前に大手不動産会社へ応募したが「未経験だから」と断られた彼女は、うちでトレーニングを受けた後、再度その会社へ面接に行き採用されたのだと後から知った。日本と違って終身雇用というシステムが無いオーストラリアでは、自分の実力に合わせて会社を変わっていくのは向上心の表れだという見方もある。それでも、未経験のスタッフをお金と時間を使って一生懸命育てた後に、感謝の念も無く、突然、競合他社に移られるのは心が折れる。

賃貸管理及び事務スタッフの採用も簡単ではない。ある女性は入社予定日の朝「他の会社から良い条件のオファーが来たので入社はキャンセルします」とメールを一本送ってきた。別の女性は勤務初日にランチ休憩に行った後、「車が壊れた」と言って二度と戻ってこなかった。

採用には広告代や契約書作成費用、人材紹介会社への手数料等、採用の時点で出費が発生するだけでなく、新しいスタッフが突然辞める事で、既存のスタッフにも負担がかかる。採用を決める前には二度面接するのだが、そこで正しい人選をできなかった自分を責めるし、日本人の私がオーストラリア人を雇うのは無理なのかなぁと、毎回落ち込む。

こちらからスタッフを解雇する場合もある。あるスタッフは電話応対や受付業務は好んでやったがデータ入力が嫌いだったらしく、彼女が病気で休んだ日に、未入力の請求書が何十枚も机の下に隠されているのを見つけて唖然とした。別のスタッフは勤務時間中の頻繁な私用電話や遅刻、早退、欠勤が目に余り、他のスタッフからもクレームが出始めたので注意したところ、翌日「ストレスのため出勤できない」と医師からの診断書を提出して欠勤した。診断書があれば病欠となり有給となる。欠勤した日の夕方、クラブで踊っていたのを知り合いが目撃し、解雇を決めた。

広大な土地を擁するオーストラリアは天然資源も豊かで政治的にも安定している。社会保障も充分に整っていて、失業保険の受給期間に期限は無い。「大変な仕事だったら、しないほうがマシ。気に入った仕事が見つかるまでは社会保障を貰ってれば良いし」と考える人も少なくない。特に新型コロナウィルスが蔓延していた間は失業保険額も増額され、「働かなくても生きていける」と考える人が更に増えたように感じる。

オーストラリア失業率(ABS, RBA参照)―2025年3月の失業率は4.1%

従業員探しに苦戦しているのは私だけでなく、ビジネスをやっている人にとって共通の悩みだ。水道配管業を営んでいる男性は「海外からスタッフを採用している。ビザの手間や費用がかかっても『仕事をしたい』という人を見つけることが出来る。そうでなければ他の州から移動してくる人を選ぶ。ケアンズの人はやる気が無い人が多いので極力雇わない」と言っていた。確かにシドニーやメルボルンといった都会の人達は、ケアンズの人に比べて労働意識の高い人が多いように感じる。年中暖かいケアンズでは、ゆったりのんびり暮らしたいと考える人が多く、キャリアを確立したいという人は少ないのだろう。

最近、海外在住者をリモートスタッフとして雇う会社も増えてきた。私も一昨年オーストラリアの会社がフィリピンで運営する会社と契約し、フィリピン人スタッフのリモート業務を試みた。お客様からの電話にも英語で応対出来るし、ネット接続で事務作業もシェアできる。大きな期待を持って始めたが、請求書の金額や、お客様の氏名、電話番号、メールアドレス等の入力ミスがあまりにも多く、入力を間違ってないかをチェックするための業務が増えて本末転倒だった。注意するたびに真摯に謝ってはくれたがミスは改善されなかった。彼女自身の資質も一因だったかもしれないが、文化背景によるものもあるかもしれないと思い、3か月でフィリピンスタッフのリモート採用は諦めた。

日本に帰るたびに垣間見る日本人の仕事に対する責任感、勤務態度、会社に対する忠誠心には感嘆する。「スタッフ不足」で悩み続けている私は、「こんな人達がうちの会社で働いてくれたらなぁ」と思わずにはいられない。Googleによると2025年4月現在日本の最低時給は1055円、オーストラリアは$24.10(1ドル90円計算すると約2169円)。あんなに真面目に真摯に仕事に取り組んでいる日本の人達が、こんなに安いお給料で働かされているというのはとても悔しい。オーストラリアのビジネスと連結して、日本の人達と一緒に働く事が出来ないだろうか。日本の優秀な人材を確保することが出来れば仕事の質もグッと上がるし、オーストラリアの経営者の頭痛の種の一つが解消できる。英語力の問題はあるが、AIを上手に使えば、何とかなるのではないだろうか。真面目で、細かくて、勤勉で労働意識の高い日本人はオーストラリアでは垂涎ものだ。私が以前トライしたフィリピンの会社のような事業を、どなたか始めてくださいませんか?

日本失業率(NHK、総務省 参照)―2024年12月の失業率は2.4%

 

熊谷 美保

福岡県出身。2003年通訳・翻訳の勉強にオーストラリアのメルボルンへ。 2007年、ケアンズへと移り地元の不動産会社に就職。その後、当時のパートナーと不動産会社DJスミスプロパティを設立し、2017年に単独オーナーとなる。 ケアンズで不動産仲介、賃貸管理業務を行い、日本人のお客様にもご愛顧頂いている。 今は翻訳の仕事から離れているが、いつの日かオーストラリア人作家の作品を日本に紹介するのが夢。

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