翻訳ひといきコラム

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海外だより

隣人アボリジニ(アリススプリングス編)

以下の文章は2019年の10月に書いたものです。当時は新型コロナウィルスの存在さえ知らず、何の不安も感じずに旅行が出来ることを有難いとも思っていませんでした。一日も早く感染が終息し、自由に人の移動が出来る日が来ることを切に祈ります。

アボリジニアートの溢れる街アリススプリングス

友人を訪ねて4泊5日でアリススプリングス(Alis Springs)へ行ってきた。アリススプリングスはオーストラリアのほぼ中央に位置する人口約2万5千人の街で、エアーズロックで有名なウルルまでは約460キロ。ケアンズからはウルル経由で直行便が飛んでいる。ウルルに行った際にアリススプリングスにも立ち寄ったという日本人の友人に旅行の計画を話すと、「アリスに4泊5日?きっと退屈するよ、何も無い所だから」と脅されたが、実際アリスで日本人観光客はもちろん、昨今どこに行っても必ず見かける中国人観光客の姿すら目にすることが無かった。友人が言ったように「観光地」として期待するものが多くないからだろう。そこに在るのは息を飲むような粗削りな大自然と、アボリジニアートの溢れる独特な街。10カ月前にケアンズからこの街にパートナーの仕事の関係で移り住んだ友人から、「ケアンズや他の都市とは全く違う」と聞いてはいたが、百聞は一見にしかず。空港に降り立った瞬間に感じた乾いた空気、靴の底が真っ赤になる大地、まるで太古にタイムスリップしたような、初めて来たのに懐かしいような、何とも不思議な街だった。

市内中心から車で数分走るとこの景色。岩、赤土、乾いた木、青空、原始的な風景が果てしなく続く。

私が住むケアンズは熱帯雨林気候に属し、乾季と雨季が有るのだが、アリススプリングスは砂漠気候で年中殆ど雨が降らない。気温も年間を通じて1度から34度まで変わるそうで、私の滞在した5日間でも日本の初夏から真冬の気温を体験した。宿泊したホテルは地図によれば川の前だったので、「朝は川沿いを散歩しよう」と楽しみにしていたのに、着いてみると川には水が無く、どこが川なのかわからない状態だった。友人カップルが、街から車で1時間少し走ったロスリバー(Ross River)という所に連れて行ってくれたが、そこにもまた水は無く、現地の人によれば最後に川で水を見たのは20数年前のことだという。水が無い、乾いた大地。この過酷な土地で、先住民アボリジニ達は4万年以上暮らしてきたのだ。彼らの強い生命力を改めて思い知らされた。

アリススプリングスの街を歩くと、街を歩いている半分以上はアボリジニであることに気づく。街にはアボリジニアートを扱うアートギャラリーが複数あり、そこでは日本円で数千万円という絵画も取り引きされている。不動産屋の私は「この絵一枚で、ケアンズで寝室二つのマンションが買えるじゃない!!」と驚くばかりだった。街のあちらこちらでは、アボリジニの年配の女性が地面に座って小さな絵を数枚広げて観光客に販売していた。私と友人がカフェでお茶を飲んでいると、絵を3枚持ったアボリジニのおばちゃんが「4ドル」と言いながら売りに来た。ケアンズでは街でアボリジニの酔っ払いに「1ドル頂戴」と言われることがたまにあるが、アリスのアボリジニは物乞いはしないようだ。

アボリジニアートは、ドットペイント(点描写)が特徴的で、彼らが「My Country」とよぶ自分の故郷や、動物、お祭りの様子等が表現されている。私は絵画の知識も見る目も全く無いが、以前ケアンズの美術館で、あるアボリジニアートの前で鳥肌が立ち、涙が出そうになった経験が有る。理由は今もってわからないが、自分の中の何かと共鳴したのだと思う。アボリジニアートは世界中に熱烈なファンを持ち、その購入を目的にアリススプリングスを訪れる人も少なくない。

アボリジニアートのギャラリーを任されている友人のパートナーが、アーティスト達が寝泊まりして絵を描いているスタジオに連れて行ってくれた。アーティスト達は普段は彼らが「コミュニティ」と呼ぶ故郷で暮らしているが、不定期にそのスタジオに家族と共にやってきて、数日間泊まり込んで絵を仕上げるらしい。私が行った時は40代のウォルターが水源をテーマにした絵を描いているところだった。彼は英語もきれいに話し、自分の子供の頃の事や、家族の話もしてくれた。友人カップルもこれまで聞いたことが無かったという彼の話は、私達の常識からはかけ離れていて、私にとっては大きなカルチャーショックだった。それでも「前に美術館に頼まれて蛇の絵を描いたけれど、もう描かないことに決めたんだ。自分が飲み込まれてしまうからね」とiPhone片手にとつとつと話す彼の言わんとすることは、不思議と理解できる気がした。

「水源」をテーマに絵を描いているウォルター。

前から思っていたことを彼に聞いてみた。「ケアンズでは白人社会とアボリジニ社会の間に大きなギャップが有る。もっと仲良く暮らせないものかって思うんだけど、あなたはどう思う?」彼は煙草をゆっくりとくゆらせ、横を向いて、私が言ったことを反芻しているようだったが、すぐに答えは返ってこなかった。友人のパートナーが、「白人とかアボリジニとか日本人とかで括るより、個人で考えたらよいんじゃないかな。自分はミホを日本人としてじゃなくてミホとして見てるよ。ウォルターのこともそうだ。アボリジニではなくウォルターだ。皆がそう思ってたら、それで良いんじゃないかな」。

ウォルター達は、その夜は屋外でカンガルーの尻尾を蒸し焼きにして食べると話していた。食べたことがあるという友人によると、チキンのような味なのだそうだ。ケアンズにはカンガルーの尻尾は売っていないし、蒸し焼きにして食べるという話も聞いたことが無い。ウォルターはお気に入りの新しい四駆の車でコミュニティーまで帰るらしいが、そんな彼もスタジオに滞在中、屋内に寝室が有るのに「外が良いから」と屋外に寝ることも有るそうだ。ここのアボリジニ達は、彼らの文化をしっかりと守っているようだ。

友人が、パートナーのギャラリーに絵を買いに来たお客さんの中には、そこに居合わせたアボリジニアーティストに「あなた、この絵の販売額の何割を貰っているの?」と聞く人がいて、聞かれたアーティストは「None of your business!(あんたには関係ない!)」と怒ると言っていた。アーティスト達が貰っている金額を教えてもらったが、その金額は私が想像していたよりもはるかに高かった。友人は「『白人がアボリジニアートを高額で売買し、アボリジニから搾取している』と考えるのは、アボリジニを見下している証拠」と憤慨していたが、恥ずかしながら私の中にもそんな思いが有ったのかもしれない。
(小さなスーパーマーケットで凍ったカンガルーの尻尾を売っていた。一つ約15豪ドル。)

アリススプリングスに滞在中、ほぼ毎日メイン通りをぶらぶらし、そこにたむろするアボリジニ達と時空を共有した。絵を売りに来るアボリジニのオバちゃんを横目に思った。「白人とアボリジニが共存する社会が出来れば良いのに」と考えていたのは、白人側に立った私の思い上がりだったのではないか。アボリジニ達は共存することなんて望んでもいないし、彼らは今のままで十分幸せなのかもしれない。

友人のパートナーが教えてくれた。アボリジニは先祖から伝わる水源にたどり着くために、決まった歌を歌いながら歩き続け、その歌が終わる所で立ち止まるとそこに水源が有るのだと。嘘のような話だが、ゴツゴツとした岩と乾いた木と赤土しかない、多分何万年と変わっていないであろう大自然の中に立っていると、そんな話も素直に信じられる。Google mapやコンパスや、ありとあらゆる文明の機器で太刀打ちしても絶対に叶わない。私達は文明の発展とともに道具に依存するようになって、元々は自分達の身体に備わっていた多くの能力を失ってきたのかもしれない。だからこそ、それを今も持ち続けるアボリジニ達が描く絵や、彼らが奏でる音楽に、心を揺さぶられ感動するのかもしれない。

アリスで出会ったアボリジニ達は、ケアンズに住んでいるアボリジニに比べて、リラックスしていて自信を持っているように見えた。そんな彼らが暮らすアリススプリングスという街を、私は結構好きかもしれない。観光名所もお洒落なお店やレストランも無いけれど、大地を魂で感じ、深く深呼吸したくなったら、またアリスを訪ねたいと思う。

繁華街でアメリカンポップスを歌うアボリジニのおじいさん。

熊谷 美保

福岡県出身。2003年通訳・翻訳の勉強にオーストラリアのメルボルンへ。 2007年、ケアンズへと移り地元の不動産会社に就職。その後、当時のパートナーと不動産会社DJスミスプロパティを設立し、2017年に単独オーナーとなる。 ケアンズで不動産仲介、賃貸管理業務を行い、日本人のお客様にもご愛顧頂いている。 今は翻訳の仕事から離れているが、いつの日かオーストラリア人作家の作品を日本に紹介するのが夢。

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