海外だより
2024.05.22
強い女性
4月13日、スクールホリデーが始まった最初の土曜日、オーストラリア国内に戦慄が走った。家族連れで賑わうシドニー郊外のショッピングセンターで、40歳の男が買い物客を次々にナイフで刺し、6名を死傷、12名を負傷させた。犯人は女性を中心に襲ったと報道されているが、犯人を止めたのもまた女性だった。
近くをパトロール中だった女性警官は通報を受けて現場に駆けつけ、応援の警官が来るのを待たずに独りで犯人に立ち向かった。持っているナイフを手放すよう犯人に命じたが、犯人はナイフを振りかざして彼女に襲いかかってきた。彼女は犯人に向って発砲し、頭に弾丸を受けた犯人はその場に倒れた。即座に犯人に駆け寄って救命措置を試みた彼女は、犯人の死亡を確認するとすぐに他の負傷者達の救助に向かった。その様子の一部がニュース等でも公開された。まるでテレビドラマか映画のワンシーンを見ているかのようだったが、これは制服を着た普通の女性警官が、自分の判断で凶悪犯に対峙した実際に起こった話だ。彼女の冷静で勇敢な行動は、被害者の数が更に増える惨事を食い止めたとオーストラリア国内で大きく称賛されている。
突入準備をする機動隊(写真はRNZ News参照)
ニュースでこの女性警官の活躍を見た時、「この人の判断力と行動力、すごい!」と感嘆すると共に、「やっぱりオーストラリアだな」と思った。後日ケアンズに暮らす日本人の女友達が、私と全く同じ感想を持ったと話してくれた。私達が「オーストラリアだな」と思った理由は二つ。一つは日本で同じ事が起きたとしても、日本の女性警官が単独で犯人に立ち向かい、自分の意志で犯人を射殺するという事は有り得ないだろうという点。オーストラリアの女性警官に許されている職務が、日本の女性警官には認められていないと思う。もう一つは周りの人達からの反応だ。今回の女性警官の行動は、老若男女を問わずオーストラリア国民、マスコミ、政府関係者から手放しに大絶賛された。そしてこの警官が女性であったことが、特別扱いされることは全くなかった。これが日本でだったらどうだろう。殺人犯をその場で射殺した警官が男性だった場合と女性だった場合では、報道の仕方や内容、社会の反応にも大きな違いが出ると思う。女性警官に対しては、男性警官には寄せられない批判も出るだろう。『可愛い女性』がもてはやされ『強い女性』を敬遠する日本社会では、今回のような女性警官の活躍は期待されていないと思う。私がこんな風に思ってしまうのは過去の経験によるためかもしれない。
犯人に対峙したあとの女性警官・Amy Scottさん(写真はABC news参照)
数年前、著名な日本人経営コンサルタントMさん(仮名)のポッドキャストを毎週楽しみに聴いていた。当時還暦過ぎだったMさんの話は斬新で、小さな会社をやっている私には学ぶ事が多かった。番組に届いた相談にMさんが答えながら話を広げていくというスタイルで、ある日アメリカ在住の日本人女性からのメールが紹介された。「配偶者の転勤でアメリカに来たために日本で築いた仕事を諦めたが、せっかくアメリカにいるのだから、それを生かして今後のキャリアを拡充したい」というような内容と、それに付随した相談だった。相談者のやる気が伝わってくるメールで、私も彼女と同じく海外に暮らしているため、「Mさんは何と答えるのだろう」と楽しみに彼の第一声を待った。しばらくの沈黙の後、Mさんはこう言った。「いやぁ、こんな頭が切れて、出来る女性が奥さんだったら、だんなさんはさぞかし大変だろうな~。そう思わない?」。尋ねられた番組ナビゲーターAさん(仮名)は慌てた感じで「僕は素晴らしいと思います。こういう女性が増えて欲しいですね」と取り繕うように言って、Mさんに相談に対する回答を始めるよう水を向けたが、Mさんは「そうかなぁ。こんな人が奥さんだったら、家に帰っても緊張して寛げないよ」といった発言を繰り返した。ショックだった。時勢に合わせて新しいビジネスのやり方を提唱していたMさんが、こんなにも遅れて偏った考えの持ち主だとは想像もしていなかった。メールを送った女性はMさんのポッドキャストに刺激を受け、自分の人生や仕事について真剣に考え、勇気を出して相談のメールを送ったであろうに、自分が女性だからという理由で、相談の内容には全く関係のない、こんな意地悪なコメントをされて、どんなにか悔しかっただろう。Mさんの発言は彼女や彼女の配偶者を侮辱しただけでなく、Mさん自身の配偶者に対しても失礼極まりないものだった。ポッドキャストは録音し直すことも出来たはずなのに、そうしなかったのは、作り手側がMさんの発言を問題視しなかったためだろう。Mさんは上場企業を含む多くの日本企業の経営者に対して経営指導を行っていた。少子高齢化が進む労働者不足の日本において、また女性が自信を持って暮らせる社会を実現するために、女性の社会進出の促進は日本政府、日本企業の最重要課題の一つであるはずなのに、日本社会をリードする人達が、「出来る女性が奥さんだったら大変」なんて公然と言ってのける人から経営指導を受けているというのは、現在の日本社会の縮図を見ているようで恥ずかしく、悔しく、そしてとても悲しかったのを今でもよく覚えている。私はこの日を境にこのポッドキャストを聞くのを辞めた。
九州の片田舎に生まれ、昭和の価値観をガッツリと叩き込まれて育った私は決してフェミニストではない。それでも「女はこうあるべき」とか「女はこれをすべきではない」といった制限をつけられる事が無いオーストラリアに暮らしていると、『強い女性』や『出来る女性』が正当に評価されない現在の日本社会は、多くの女性達の才能や可能性を潰していると感じる。今のような状態が改善されなければ、『強い女性』や『出来る女性』の中には生き辛い日本から海外へ出る人も増えるだろうし、自分の才能を封印する人も出てくるだろう。彼女達がノビノビと自分の実力や才能を発揮できる環境を作る事が、そして彼女達の活躍が公正に認められる社会を作る事が、低迷した今の日本から新しい日本へと生まれ変わることに繋がるのではないだろうか。
オーストラリアの女性の中には精神的にも肉体的にも強くなりたいと望む人が多く、『強い女性』は社会からも尊敬され、男性からもモテる。前述のケアンズ在住の友人には中学生の息子が三人いるのだが、彼らが通う中学校で、女の子同士の取っ組み合いの喧嘩がたまに有るそうだ。そして喧嘩に勝った女の子は、男の子の間で人気ランキングが上昇するらしい。ショッピングセンターで殺人犯に立ち向かった女性警官Amy Scottさんは身長180センチ、ブロンドの髪を持つ精悍な美人だ。彼女に憧れて強くなることを切望するオーストラリアの少女達が、更に増えるに違いない。
犠牲者の追悼式に参加したAmy Scottさん(写真はNews com参照)
熊谷 美保
福岡県出身。2003年通訳・翻訳の勉強にオーストラリアのメルボルンへ。 2007年、ケアンズへと移り地元の不動産会社に就職。その後、当時のパートナーと不動産会社DJスミスプロパティを設立し、2017年に単独オーナーとなる。 ケアンズで不動産仲介、賃貸管理業務を行い、日本人のお客様にもご愛顧頂いている。 今は翻訳の仕事から離れているが、いつの日かオーストラリア人作家の作品を日本に紹介するのが夢。