翻訳ひといきコラム

翻訳学校のサン・フレア アカデミー

海外だより

2009年8月2日 クロアチア ドブロブニク 夜の散歩で見つけた月。海にその光がきれいに映し出されて。
(この頃は俳句をしていなかったけれど、月を見ると写真がとりたくなる)

「今日は十三夜だって」

学校帰りの途中、我が家に寄った小学三年生の孫娘が、ランドセルを下ろしながら言った。

「あら、十三夜を知っているの、すごいわねぇ」

孫の口から飛び出した“古風な”言葉に、私は思わず続けた。「大人だって、十三夜を知っている人は多くないんじゃない?」

「あたしも今日初めて知ったんだけどね。給食の時にお当番が発表したのよ。九月の十五夜と十月の十三夜にお月見をするんだって。月がきれいだから」

2024年9月17日 今年の中秋の名月です。 荻窪駅を出たところ。
商店街から生まれたような、きれいな満月でした。

小学校三年生は、吸収が速い。学校で聞いたこと、知ったことを自分の中に素直に取り込んでいる。中学、高校と年を重ねると段々に人の話を聞かなくなり(という私自身の体験だけど)自分の興味の方向にしか目を向けなくなったりするけれど、、、スポンジのような小学生! そして、それを発表した子供たち(給食係の上級生かもしないが)にもとても感心した。

「十三夜は月の出るのが早いから、あとで、暗くなる前に東の空を見ましょうか」

と、私が提案すると、「へぇ、すごいね。月の出る時間まで知ってるの?」と孫はまた素直に驚いてくれる。

でも、これは、実は俳句を詠むようになってから旧暦をとても意識するようになり、また俳句の一番の句材「花(桜のこと)」とか「月」とかを真剣に観るようになってから学んだこと。私の人生においては“つい最近”知ったことなのである。もちろん、お月見、月見団子、芒、、、と、幼いころからそれなりに“知って”はいたが、十三夜までは知らなかった。

そういえば、人から聞いた冗談のような話がある。

ある秋の夜、日本人数人が空を見上げて佇んでいるところに外国の人が通りかかった。日本人の様子を訝り、外国人が尋ねる。「どうしたんですか? 空に何かありますか? え? 月? 月がどうかしましたか? 爆発でもするんですか?」

SF映画じゃあるまいし、、、と思うけれど、、、

星や星座は世界中の人が見ていて、それぞれの文化にそれぞれの形で浸透しているけれど、、、

月を愛でるのはアジア人だけ。

ことに、十三夜の月を美しいと感じるのはどうやら日本人だけらしい。

広辞苑によれば、十三夜の月見の行事は醍醐天皇の御代919年(延喜19年)の宴が始まりとされ、宇多法皇がこの夜の月を無双と賞した、ということである。

2022年10月8日 パリ コンコルド広場
(この時、私は俳句を詠みました)

見上ぐるは吾のみパリの十三夜 ちづこ

孫と二人、ベランダに出て、新宿副都心の高層ビルの方を見ると、暮れ始めた東の空に月がポコッと上っていた。

「まん丸じゃないね」と孫娘。

彼女の観察眼に驚きつつ、私はいつもより熱心に説明をしてしまった。そして、私の机の横の壁にかけてある「月の暦カレンダー」を示しながら、私の知識の種明かしをする。

月の暦

今年の十三夜は10月15日。

月は夕方3時50分に出て、夜9時47分には南の空高く輝くのだから、子供たちも十分に「お月見」を楽しめるのである。

歳時記によれば、「、、、秋もいよいよ深まっており、前月の十五夜の華やかさはなく、むしろそこを楽しむ。満月より二日早い月を見るというのも、少し欠けたところをこそ賞する日本独特の美意識、、、」とあるが、もちろん、孫娘にそこまでは話さない。

情報盛沢山の月暦カレンダーを見まわしながら、孫が「あ、これ、へんな俳句ね。これも俳句?」と聞いてきた。

何でもかんでも、子供は「どうして?」「なぜ?」が大好きなのだ。

カレンダーの小さな囲み「今月の俳句」のところに紹介されていたのが次の句である。

旅はほろほろ月が出た 種田山頭火  (昭和14年)

「うーーーん。確かに変よね。5-7-5じゃないし。でも、山頭火だけは別。 とりあえず、覚えておいて、山頭火さんよ。昔の人」

と、私はしどろもどろで続ける。

「あ、俳句と言えばね。芭蕉さんよ。俳句の最初の先生。今年生誕380年。」

「えぇぇ? 380歳なのぉ?」

と、素頓狂に聞いて来るところが、まだまだ3年生で可愛い。

「ちがうわよ、380年前に生まれた、ってこと。江戸時代の人だからもちろん死んじゃってるわよ。でも、超有名人で、世界中の人が名前を知ってるわよ」

十三夜の夕方、孫と私のとんちんかんな会話は続くのであった。

2018年6月26日 スウェーデン ストックホルム 夏至をちょっと過ぎたところ。
白夜で暗くなりきらない夜空だけれど月は美しい。

北原 千津子

東京生まれ。 大学時代より、長期休暇を利用して欧州(ことにフランス)に度々出かける。 結婚後は、商社マンの夫の転勤に伴い、通算20年余を海外に暮らした。 最初のパリ時代(1978-84)に一男一女を出産。その後も、再びパリ、そしてロンドンに滞在。 2013年、駐セネガル共和国大使を命ぜられた夫とともに、3年半をダカールで過ごし、2017年に本帰国した。現在は東京で趣味の俳句を楽しむ日々である。

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